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グレイトフル・デッドのコミュニティにおける先進性

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昨日は朝から雨が降っていたせいもあって、どこにも出かけず一日中家でゴロゴロ。正月ボケがまだ抜けてないみたい。でも、そのおかげもあって久し振りに音楽三昧の一日を過ごすことができた。

実は、以前からまとまった時間ができたら、絶対に聴こうと思って買っておいたCDがあった。米国のロックバンド、グレイトフル・デッドのボックスCDだ。グレイトフル・デッドというバンドは、1965年に天才的なギタリスト兼リーダーでもあるジェリー・ガルシアを中心に、サンフランシスコで結成された米国を代表するロックバンド。サイケデリックの先駆者でもある。

米国ではデッドヘッズと呼ばれる熱狂的なファンがいるほど人気の高いロックバンドだけど、日本ではその米国での人気の高さが信じられないほど人気がない。その証拠に、サンタナやザ・バンドあたりが好きだというロックファンはいても、グレイトフル・デッドのファンだというロックファンにはめったに会ったことがない。

そのグレイトフル・デッドが演奏する音楽が素晴らしいのはもちろんだが、もう一つ彼らを語る上で避けては通れないエピソードがある。それらは、ファン同士で作られたコミュニティ文化のさきがけ的な存在だったということ。

グレイトフル・デッドは、ライブバンドとして米国のロックバンドの中でも驚異的な動員数を誇っていたわけだが、そのライブ演奏を自由に録音することを、なんとファンに許可していたのだ。ライブ会場には録音を希望するファン(テーパーと呼ぶそうです)のためのスペースまで用意し、録音されたライブ音源のカセットなどをファン同士の間で交換することも認めていたというから驚き。

普通は海賊盤が出回るのを嫌がって、ライブ演奏を録音することは禁止するのが当たり前。でも、グレイトフル・デッドはあえてそれを許可し、ファン同士の間で自然発生的にコミュニティができることを歓迎したわけだ。いま思えば、グレイトフル・デッドというバンドは随分先進的な考え方を持っていたバンドだったということになる。

グレイトフル・デッドはファンと繋がることを大事にしていたバンドだ。もしかしたら、彼らは閉鎖的な状況が続くことで、音楽産業が衰退していってしまうことを予見していたのかもしれない。

残念ながらジェリー・ガルシアが1995年に亡くなり、結局バンドも解散に追い込まれてしまう。彼らの自由がいっぱいに詰まった演奏を聴いていて、彼らだったら僕が立ち上げたfaamにも真っ先に登録してくれたんじゃないかと、勝手に思ってしまった。。。

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