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アジャイルに行こう!

スクラムの原典を読み解く(7)

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オリジナルの竹内・野中論文を読んで現代のスクラム(ソフトウェア開発)と比較しています。たぶん最終回。

学びを組織で共有する

過去の成功を組織に伝える、もしくは、捨て去る。

オリジナルでは...

「マルチ学習」で触れたように、学びは多層に(個人からグループへ)、多能力に(複数の専門領域へ)積み重ねられるが、この学習をさらにグループを超えて伝え、共有して行く活動が見られる。1つの新製品開発が終わった後に、次の開発に繋げる活動や、他の組織へと伝える活動である。

研究した組織の中にはこの知識伝達活動を「浸透的に」行っているものがあった。つまり、キーパースンを、次のプロジェクトに入れることによって、やり方を浸透させるのである。あるいは、プロジェクトのやり方を組織標準へと昇格させる方法もある。

組織は、自然と成功したやり方を標準化して制度化する方向へと向かう。ただし、これが行き過ぎると逆に危険だ。外部環境が安定している場合には、過去の成功を「先人の知恵」として言葉で伝えたり、成功事例を元に標準を確立したりすることはうまくいく。しかし、外部の環境変化が速いと、このような教訓は逆に足かせになることがある。いくつかの組織では、古い教訓を逆に捨て去ろうと努力していた。多くの場合、過去の成功体験を捨て去ることは難しく、外部環境の変化によって強制的に捨てることになる。しかし、いくつかの組織では意識的にその努力をしていた。

アジャイル開発では...

アジャイル開発は1つの製品やプロジェクトに対する開発手法として誕生した。アジャイルが普及し始め、2005年ころから、ようやく海外のカンファレンスではアジャイルと組織改革(Organizational Transition)や、組織全体でのアジャイルへの転換の話題が語られるようになったが、残念ながら、アジャイル開発ではチームの外部への知識の伝達については未だ多くが語られていない。

この部分は、経営視点で見た場合、アジャイルの大きな欠落点だと言える。この欠落の理由の1つは、アジャイルがプログラミングを中心とするソフトウェア開発が対象領域であり、発祥である米国はソフトウェア技術者人材の流動性が高く、企業内で知識を育てていこうという考え方が希薄であったためと筆者は推察している。特に、90年代以降に設立された若い企業、西海海岸を中心とするスタートアップではビジネスを早期に立ち上げ、投資を受けて成長し、株式公開や大企業に買収されることが成功である、という路線を描く企業が多い。その中で、ソフトウェア技術者は経験と高い報酬を求めてプロジェクトごとに職場を転々としながら、履歴書に勲章をそろえていく。あくまでも、プロジェクトの成功と、個人の経験の蓄積に価値がある。だから、プロジェクト内での知識の共有には意味があっても、会社組織全体に知識を蓄えていく動機が起こりにくい。または、それだけの長い間企業が存続しないこともある。

逆に日本は、(最近では古いといわれるかもしれないが)終身雇用という考え方も未だに残っており、自分の会社を家庭のように考える就労感もある。企業側も、人材を人財と呼んで教育を手厚く施し、将来に向かって育てようとする。

よって、「学びを組織で共有する」というオリジナルのスクラムにある考え方は、アジャイルに抜けた部分として、日本のオリジナリティが活きる領域だともばくは考えている。世代を超えて企業が長く存続し、「持続的イノベーション」を起こしていくという日本の考え方の中から、この部分を埋める考え方が、経営視点とエンジニアリング視点の両方を持って出てくることが望まれている。

というか、出していこう!

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