Without Practice, No Emergence - 永平寺にて
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Without Practice, No Emergence
修さざれば、現れず
この言葉は、アジャイルの感覚ととってもよく似ていて、いつもはっとさせられる。
Practiceは、禅宗の文脈では、座禅であったり日々の修行であったりする。禅宗は身体性を重視しており、頭ではなく身体でやってみることから、現れてくる(Emergence)ことを重要視している。
また、アジャイルの文脈では、理論ではなく実践してみてはじめて、それを掴むことができる、というアジャイルマインドを示している。また、それと同時に、すべてを先持って予見したようなアーキテクチャや設計というのはダメで、実践を通してしか、構造は現われないのだ。ということも言っていると思う。
ぼくは、この言葉がとても好きで、ここに来るたびにこの言葉をみて、考えを新たにします。
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