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読点を打つ日 【文章技術:句読点の打ち方】

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編集者たるもの、読点を打たない日はありません。しかし、よく考えてみるとどこに読点を打てばよいのか、きちんと教わったことがないような気がします。おぼえているのは、せいぜい

「息のつぎめのところでテンを打つ」

ぐらいで、あとはすっかり忘却の彼方へ。皆さんはどのように習ったでしょうか?

さて、読点とはいわゆる「、(テン)」のことでありますが、句点「。(マル)」を含めた句読点とは何か。学研国語大辞典で調べてみることにしました。学研国語大辞典さんが言うには、

くとうてん【句読点】文章を読みやすくするためにうつ符号。句点「。」と読点「、」。

だそうです。ここで「文章」とは書き言葉のことで、話し言葉は含まれません。当然ですね。大事なので大きい字で示すと、

話し言葉に句読点は存在しない

のです。そのかわりに話し言葉では、音の強勢や音の高低、間の取り方などで、文や語句の切れ目を表現しています。逆に言えば、これらの機能を句読点に担わせているわけで、責任重大です。

4490106769これまで何十冊も文章表現に関する本を見てきましたが、読点の打ち方に関して、包括的でよくまとまっているのが中村明氏の『センスをみがく文章上達事典』でした。次のようなものです(同書16ページより引用)。

句読点のルール

1 文の主題を示す部分が長くなったら、そのあとに打つ。
 例)このルールをうのみにすることは、思いがけないときにとんだ恥をかく危険をはらむ。
2 文の中止するところに打つ。
 例)相手はさっと顔色を変え、はだしで外へ飛び出した。
3 並列になっている語句の切れ目に打つ。
 例)まんまるな顔、でっぷりとした体。
4 条件や理由を説明して意味を限定する語句のあとに打つ。
 例)もし親に見つかったら、ひどくしかられるにちがいない。
 例)弁解してもむだなので、終始黙っていた。
5 途中のいくつかのことばを隔てて修飾する語句のあとに打つ。
 例)こっそり、隣の弁当と取り替える。
6 接続詞やその働きをする連語のあとに打つ。
 例)しかし、勝負はこれからだ。
 例)そうはいっても、たしかに労力が大変だ。
7 感動詞のあとに打つ。
 例)やあ、元気かい。
 例)いいえ、そういうわけではありません。
8 提示したことばのあとに打つ。
 例)監督の使命、それは選手にやる気を起こさせることだ。
9 修飾部分が長く続く場合、大きな切れ目に打つ。
 例)去年の夏の避暑地で安く買った、濃い茶色の冬物の革製の鳥打ち帽をかぶる。
10 文の成分を倒置した場合、その間に打つ。
 例)そうっと振り返った、いくらなんでももう見送ってはいないだろうと思いながら。
11 文の途中に主部を置いた場合、その前に打つ。
 例)ぼけがひどくなった老後のことを、私は一晩中考え続けた。
12 助詞を省略した箇所に打つ。
 例)若いときの写真、一枚貸してください。
13 読みの間(ま)を示すところに打つ。
 例)ほ、ほ、ほと声をたてて笑った。(瀬戸内寂聴『わたしの樋口一葉』)
14 リズムを強調したい場合、五音なり七音なりの切れ目に打つ。
 例)ちょいと出ました、三角野郎が、四角四面の、櫓の上で。
15 ことばや考えなどの引用の範囲を明確にするために打つ。
 例)それでは約束が違う、と言い返す。
16 仮名が続きすぎて読みにくい場合に必要に応じて打つ。
 例)ひとりひとりがみな、ほんとにしあわせになるよう、ともにあゆんでいきたい。
17 文意を明確にするために打つ。
 例)先生は、あくびをしながら勉強している生徒をぼうっと眺めている。
 例)先生はあくびをしながら、勉強している生徒をぼうっと眺めている。


文章表現に関する本を見ていると、句読点の打ち方として

「主語のあとに打つ」【NG】

というルールを挙げている本が多いのですが、あまり感心しません。たとえば、次の2つを見てください。

(1a)私は、彼に電話した。  (1b)彼は、走った。
(2a)私は彼に電話した。   (2b)彼は走った。

後者のように、読点はなくても文意は読み取れますし、むしろないほうがすっきりしています。特に文そのものが短いときは、主語のあとに読点を打たなくて済む場合が多いので注意が必要でしょう。その点、中村氏の句読点のルールは周到です。1番目のルールを見ると

「文の主題を示す部分が長くなったら、そのあとに打つ」

とあり、まさしくそのとおりだと思います。なお、ここでは「文の主題」と書いてありますが、通常は「主語」のことを指していると考えて問題ありません。


ところで、この原稿を読んだ友人の遠野君が「これはどうなんだ?」とメールしてきました。


YouTube: PARCO 1985年

昨日は、何時間生きていましたか。 by パルコ

あ、これは仲畑貴志のコピーじゃないか。
テレビCMを持ち出してくるのは反則だよ、遠野君…


【関連リンク】
読点がいっぱい 【文章技術:句読点の打ち方】|エディテック
 http://blogs.itmedia.co.jp/editech/2011/12/post-c109.html
文の意味を変えてしまう読点 【文章技術:句読点の打ち方】|エディテック
 http://blogs.itmedia.co.jp/editech/2011/12/post-b4fc.html
句点の打ち方 基本編 【文章技術:句読点の打ち方】|エディテック
 http://blogs.itmedia.co.jp/editech/2012/03/post-397f.html

Comment(4)

コメント

通り過ぎ

読点ってむずかしいですね。
自分の文章を推敲するとき、いつも悩むのが読点です。
持論として、「読点は少ない方がいい」と思っています。
正確には、読点を多用しなくとも意味のきちんと通じる文章が美しいってことです。
思いついた順番に言葉を並べておいて、読点で無理やり区切ることによって意味を通じさせようとする文章が氾濫していると感じています。
個人のブログなどはまだ仕方ないとしても、雑誌誌面などでも時々見かけます。

その意味で「文の主題を示す部分が長くなったら、そのあとに打つ。」のは少々危険だと思います。
自分としては、「文の主題部分が長くなったら修飾関係を見直して短く表現することを検討し、それでも長かったら読点を打つ」っていう意識でいたいと思います。

川月

まったくご指摘どおりで、読点は少ないほうがよいですし、
読点を打たずに済むよう、修飾関係を見直すことも大切だと思います。
次回以降のテーマとして考えたいと思います。
コメントありがとうございました!

横田 啓子

はじめまして。 
写真展でのご挨拶文で句読点がおかしいと思われる文章を目にしたので質問ですが
「本日は、ようこそ、私どもの「〇〇写真教室作品展」にお運びいただきまして、有難うございます。」  上記の文で本日はの後の句読点とようこその句読点は不要で
「本日はようこそ。・・・・・」となるのが正しいのではないかと思います。
つまらないささいな質問ですが、ご回答いただけましたら嬉しいです。
どうぞ宜しくお願いします。         横田 啓子

川月 現大

横田さん、こんにちは。
たしかにこの挨拶文では読点はなくても読み間違えることはないですね。

横田さんの修正文からもわかりますが、わたしも「ようこそ」の使い方がちょっとひっかかります。
「ようこそ」は大辞林の語釈では「相手の訪問などを歓迎する意を表す語」となっていて、この挨拶文の最後は「有難うございます」ですから、二重に相手を敬意を表すのはちょっとくどいような気がします。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=ようこそ&dtype=0&dname=0ss&stype=0&pagenum=1&index=120032100000
※横田さんの「本日はようこそ。」は、大辞林でいう「感動詞的」な用法ですね。

自分ならば、「ようこそ」を取って次のようにするでしょうか。
「本日は私どもの「〇〇写真教室作品展」にお運びいただきまして有難うございます。」
あるいは
「本日は私どもの「〇〇写真教室作品展」にようこそいらっしゃいました。」
というのも考えられますが、こちらは話し言葉っぽいですね。実際に主催者の方がお話になるときの言い方だと思います。

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