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デジタルコンテンツ流通の潮流を見据えて

DRM進化論第二章、出版は音楽から何を学ぶのか(2)

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・・・・・・当然出版社や書店は何らかのDRMをかけて流通を守ろうとしているわけだ。AppleもAmazonも同じだ。しかしここで、一部の出版社や作家にとっては別の考え方も出てきた。

紙を電子にするだけの電子出版ではなく、新たなコンテンツとして電子出版を考えようとするものだ。背景には紙を電子にしただけでは、単行本、新書、文庫の下に新たな廉価版のフォーマットを出すということにしかならず、急激に落ち込んでいる紙媒体のビジネスを補完することは到底できない。音楽ではCDが売れなくなり、ダウンロードミュージックが主流となったがその売り上げはCDの落ち込みを補完することはなかった。音楽産業はこれまでの純粋なパッケージされたコンテンツを売ること以外に、コンサートやイベントやグッズなど幅広く収益を上げるように変わりつつある。

その意味で出版の電子化はまだ本当に元年でしかなく今後大きな進化が待っている。音楽以上に出版は内容の幅が大きい。それぞれ違ったビジネスモデルを持つことができる。その際デジタルの無限の可能性が生きてくる。現在、出版は一つのビジネスモデルとして語られることが多いが、これからは内容によって多様なビジネスモデルの一部として吸収されていくように思う。

音楽産業はデジタルの無慈悲で横暴な動きに、恐れ、怒り、戸惑いながらこの十数年を闘って来た。今、そのフェーズが終わり新たなビジネスとして生まれ変わりつつある。その中で消え去っていった過去の人も多い。出版の革命はまさに今始まろうとしている。

この革命の中で最重要でありながらあまり語られないことがある。音楽も含めたパッケージ系のコンテンツ・ビジネスはこれまで「作ってなんぼ」だった。作家は作品が売れることではなく、印刷されることで収益を確保していた。重版され印税が入ってくる作家や作品はごくまれなヒットに限られる。これがデジタルになった途端に「売れてなんぼ」に変わる。コンテンツが売れなければ作家には一切収入が入らない。作家だけでなく流通も含めて売れなければ話にならない。これは非情なリベニューシェアの世界だ。売れて始めてシェアーが発生する。このほかのビジネスでは当たり前のビジネスモデルに出版は早く慣れなければならない。

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