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デジタルコンテンツ流通の潮流を見据えて

電子コンテンツにアフォーダンスはあるか?

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Picture_5心理学者佐々木正人のアフォーダンスに関する本が面白い。心理学とは必ずしも人間の視点だけで物事を理解するものではなく、物質や環境の視点から理解することもできるということだろうか。アフォーダンス(Affordance)とはWikipediaによると、

環境が動物に対して与える「意味」のことである。物体の属性(姿や変化など)が、動物に対してその物体の取扱い方についてのメッセージを発しているとする考えに基づく。アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンによる造語であり、生態光学、生態心理学の基底的概念である。「与える、提供する」という意味の英語 afford から造った。

ギブソンはその起源はゲシュタルト心理学にあるという。物質や環境にはそれぞれ情報を持っていて我々に対して何らかの動作を促している。英語でAffordとは〜できる、〜する余裕があると言った意味だ。I can't afford a new carで自分には新しい車は買えない、持てないってな意味になる。あらゆる物質は一定の情報(意味)を発信していて我々はそれを感じ取って行動を起こしている。例えば、机の上に本がある。その本はそこにいる人にそれを手にとって、頁をめくり、さらには内容を読むように情報を発信している。それを感じて実際に手にとり読む。普通は本は単なる物質で人がそれを見て自発的に手に取ったり読んだりするものだと理解しがちだが、そうではないという理論だ。よく例に出されるのは花は色や形や匂いなどで虫を誘っている。これはなんとなく理解できるが、無機物である本が同じように情報を発しているというのだ。この時本や花には「アフォーダンス」(affordance)があるということだ。すべてのものがアフォーダンスを持ち、我々はそういった無数のアフォーダンスのなかで知覚し行動している。ただ同じアフォーダンスでもそれぞれの人の経験によって変化する。ここがややこしいところだが、やっぱり人間の経験や理解が最終的な認知を決定しているのかとも思える。

確かにアナログの物質にはなんらかの精神的、心理的に人を惹き付けるものがあるように思う。書店に並んでいる本もそれぞれが自己主張をしている。それを感じるかどうかはその人の経験や意識によるのだろう。何気なく手に取る本もある。それは意識しないだけで本の発するアフォーダンスを無意識に受け取っているということだ。

さて、ここで本題。いったいデジタルコンテンツにアフォーダンスはあるのだろうか?例えばKindleには物体としてなんらかの人を惹き付けるものがあるだろうか。デザイン的にそれほど優れたものでは無いのでたいしたアフォーダンスではないと思うがゼロでは無いだろう。だがその中のコンテンツには?iPodも魅力あるデバイスだが、その中にあるMP3となった音楽に人はアフォーダンスを感じるだろうか?昔はSP、その次はLP、そしてCDと音楽のパッケージは半世紀の間に変遷してきた。ここ数年でそれはネット上のファイルになり、それはiPodやiPhoneの中に格納されている。iTunesはよくデザインされたアプリケーションだが、SP/LP時代は紙、CD時代はプラスチックのジャケットを撫で回した感覚とはほど遠い体験だ。好きな本を鞄に入れて持ち歩いたり、汚れないように気をつけながら読んだ感覚もKindleからは期待できない。・・と言ってノスタルジーに浸るつもりはなく、デジタルの世代としてのアフォーダンスを創造するにはどうしらたいいのかを考えている。

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