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大型店にできないフェスティバルで集客する昭和レトロ青梅商店街

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全国的に、郊外型のイオンやパワーセンターに押され、地盤沈下している商店街がほとんどだ。シャッター通りと言われ、後継者もないまま寂れているところも多い。そうした中でも、頑張っている商店街もある。その一つとして、青梅駅周辺の商店街(8つの商店街集合体)を行き、「昭和レトロ」という言葉を作り、商店街の活性化に尽力されてきたに横川秀利さんにインタビューをさせていただいた。以下、横川さんからお伺いした内容と、その際、ご提供いただいた資料をもとに、ご紹介をする。

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青梅駅周辺は、西多摩地域最大の繁華街として昭和30から40年代に最盛期であり、青梅に行かないと正月に必要なものが買えない時代であったという。その後、大型小売店など商業施設の郊外展開が進んだ。具体的には、西友ができ、その後、イオンができたことにより、青梅駅周辺も空き店舗も増加し、商業機能の空洞化が進んでいった。

このような状況に対し、青梅における商店街の振興策として、横川さんは、まず、平成3年に青梅フェスティバルを行ったそうだ。最初に、横川さんが所属する住江町商店街でスタートし、その後、フェスティバルは隣接する7つの商店街に次々と広がっていった。

そして、結果的に、開発が進まなかった街並みを逆手にとって、昭和のレトロな風景を活かした街づくり、景観を重視した街づくりを進めていく。その過程の中で、現、青梅赤塚不二夫会館の隣の商店が、店をたたんで駐車場にするといった話もあり、昭和レトロ商品博物館にした。

また、「元気な昭和」といったキーワードの表現として漫画を思いつき、同年生まれで、満州生まれで日本に故郷と呼べる土地がなかった天才バカボンで有名な赤塚不二夫さんに、直接、協力を仰ぎ、平成15年「青梅町赤塚不二夫会館」を開設させた。現在、この2館での、入館者は年間約6万人となっている。私自身も、青梅駅を降りると、いきなり天才バカボンの銅像であったので、てっきり赤塚不二夫さんは青梅出身だと勘違いしていたが、横川さんの働きかけによるものである。

アートフェスティバルで映画看板を掲示が好評であり、映画看板のある街として、全国的に知られるようになるきっかけとなっている。この市内にある明星大学の造形芸術学部の学生の協力によるものだ。また、JR東日本からの要請で、青梅駅の活性化のための「レトロステーション」計画に、映画看板などを提供して街ぐるみの取り組みに発展していった。さらに、他の街から来外者にも、1日中、楽しんでいただけるように、行政の協力を得て「ぶらり青梅宿ガイドブック」を作成し配布している。

現在、既存の商店街の枠を越えた活性化を進めることとし、NPO「ぶらり青梅宿実行委員会」を組織し、街全体をまるごと博物館構想を推進しているが、商店街特有の課題もある。

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デパートに、ユニクロやフォーエバー21が入る時代であるので、活性化しているといっても、個店に魅力的なところができないと商店街としても苦しい。実際、青梅商店街も、フェスティバルで他の地域から来街者を集めても、お金が落ちないのである。

そして、計画的な商店街づくりができない要因は、会社のように、社長がいて部長以下に指示を出しといった徹底ができないことだ。各商店街の店主は誰が上といったことはない。そのため、街全体で物事を進めるには時間が掛かり、なかなか徹底できないからである。特に、歴史のある商店街程、お互い「横ちゃん」と言うようにちゃんづけで呼び合う仲間同士では、ビジネスライクには進まない。実際、活性化に成功した商店街では、他の血を入れている。他の地域から来ているから、しがらみがなく展開できているところが多い。例えば、何度も青梅に視察に来て「昭和ロマン」で展開した大分豊後高田商店街の方が、街づくりといった点では統制が効いているのは、地元だけでなく他の血も入っているからではないかと予想する。

最後に、西友やイオンといった大型店が近隣にできる中、どのように考えてきたかを聞いてみた。すると、

「まずは、共存するために、自分の雑貨店も、西友の中にも出店した。それに加えて、大手が絶対にできないことは何か?を徹底的に考えた。そうすると、女、薬、宗教を大手がやったら問題になるのでできないと思いついた。まさか、商店街であっても、この3つは当然できない。しかし、ちょっとした怪しさや、エロチズムを感じる展開ができると思って、フェスティバルのコンセプトを作ってきた」

とのことだ。確かに、真正面で大型店と対決しても分が悪いのである。

商店街を活性化させるには、前述の他の血を入れるだけでなく、行政との連携が大切であるが、リーダーの存在が不可欠である。既に、75歳になる横川さんであるが、まだまだ、お会いしているとその情熱が伝わってくる。横川さんから見れば、まだ、放たれ小僧である48歳の私も頑張らなくては・・と、エネルギーが湧いてきた。横川さんの次を担う後継リーダーが育って、さらに、青梅商店街が活性化することを期待したい。

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