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【書評】『ドキュメント 戦争広告代理店』

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ある方にお勧めされ、『ドキュメント 戦争広告代理店』(文庫本版)を読んでみました。もともとは10年前の2002年に出版され、講談社ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞を受賞した作品ですから、いまさらご紹介というのもおかしいかもしれませんが、良書はいつ読んでも価値のあるもの。自分自身が考えたことの整理の意味も込めて、少し感想を述べておきたいと思います。

ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫) ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)
高木 徹

講談社 2005-06-15
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本書のテーマは、1990年代前半に発生したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争におけるPR戦争の内幕。日本語で「PR」と書いてしまうとなんだか呑気な響きになってしまうのですが、ここで言うPRとはもちろんPublic Relationsのことで、各種メディアに広告を出すような行為だけでなく、政治家や有力者との関係を取り仕切ることなども含まれています。こうしたPR活動を通じて、クライアントに有利な世論・国際世論やメディアの報道姿勢等を醸成し、具体的な成果(大国の軍事介入や国連による支援活動など)に結びつける――それが本書で焦点の当てられるPR企業・米ルーダー・フィン社の役割です。

本書にはルーダー・フィン社、正確にはその中でボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を担当した「3人のジム」ことジム・ハーフ、ジム・マザレラ、ジム・バンコフの3者の動きが中心に描かれているのですが、彼らが様々なテクニックを駆使し、クライアントであるボスニア・ヘルツェゴビナ共和国に同情的な空気を巧みに演出してゆく様は驚きの一言でしょう。当時の様子を覚えていらっしゃる方であれば、「民族浄化(エスニック・クレンジング)」という衝撃的な言葉が世間を駆け巡ったことをご存知だと思いますが、この言葉が注目されるようになった裏側にも計算されたPR戦略があったとのこと。悪かったのは本当にセルビア人勢力だけなのか、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国政府関係者に否はなかったのかなどの責任論に踏み込むことは避けますが、少なくとも「セルビア=悪」という空気が生まれる上で意図的な誘導が行われていたことが解説されます。

こういう話をすると、どうしても「やらせ」や「ねつ造」、「洗脳」といった方向に話が向かいがちです。確かにそのような悪意にもとづく情報操作も世間には存在していますが、本書でルーダー・フィン社が見せる戦略は、そんな単純なテクニックではありません。「ねつ造」などに準ずる行為は、それがバレた時に全てが崩壊するという決定的な弱点を持っており、ある意味で稚拙なものと言えるでしょう。しかしルーダー・フィン社は事実を捻じ曲げるようなことはせず、あくまでも事実に基づいて世論を醸成してゆきます。具体的にどのようなことが行われたかについては、ぜひ本書をお読みいただきたいのですが、喩えて言うなら同社は「非常に優秀な舞台の照明係」といったところでしょうか。

例えばクライアントに有利な出来事があれば、それに徹底的にスポットライトを当てる。逆に不利な出来事に対しては、ライトを一切当てないようにするか、当て方を工夫することでそれが疑わしく感じられるようにする。こうして舞台上に登場するもの、つまり「事実」に一切手を加えることなく、意図した空気を観客席につくり出し、時には観客からの圧力という形で舞台の登場人物を変えてしまいます。もちろんそう簡単に上手くゆくものではありませんが、成功すればねつ造などよりもはるかに強固で、長続きする効果を生み出すことができるわけですね。

また観客の側に対する配慮も完璧です。何かをニュースとして配信して欲しいのなら、記者の仕事が楽になる(つまり与えた情報がニュースとなって掲載・放映されやすくなる)ように仕事の環境を整えたり、相手の母国語で対応できるようにしたり、記事化・映像化しやすいような短い単位に情報を整えたり等々。ある意味でPR以前、コミュニケ―ションのいろはとも言える工夫ですが、こうした基本的な対応の積み重ねが大きな結果となって現れることをルーダー・フィン社の行動は示していると言えるでしょう。

本書の舞台となった1990年代前半は、当然ながら現在のようにネットやソーシャルメディアといったものが普及しておらず、PR活動の対象は政治家やメディアに置かれています。従っていまボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起きたのだとしたら、ルーダー・フィン社の駆使するテクニックは違っていたことでしょう。しかし観客の視点に立ち、舞台の上にあるものの見え方を変えるだけで空気の流れを変えるという本質は変わることはありません。その意味で本書は、10年という時の流れを感じることなく、様々な仕事の現場で今でも活用できる教訓を与えてくれると思います。

ところで、2005年に出版された文庫版の「あとがき」にこんな一節が登場します:

国際的には銃弾より大きな力を持つようになった「PR(パブリック・リレーションズ)」(時にそれは、「メディア戦略」や「情報発信戦略」の形をとる)に対する無理解が、日本のあらゆる業界のあらゆる場面で、致命的な弱点としてたちあらわれている。

そのことは、日本をとりまく国際関係の舞台では、さらに明瞭になる。一例をあげれば、中国・韓国では、戦後六十年を経ていまだに日本への反感が忘れられるどころか、逆に燃え盛っているように見える。この状況について考えるとき、日本の国家的なPR戦略の欠如を、一つの、しかし大きな要因として指摘せざるを得ない。同じ敗戦国としてよく比較されるドイツの、有名な「ナチスの被害者の碑の前でひざまづくブラント首相(西独=当時)の映像」や他の指導者たちがさまざまな手法を通して発してきたメッセージが果たした巨大なPR効果に匹敵する何かを、日本はしてきただろうか?

この言葉はいま、不気味な現実感を伴ってきているのではないでしょうか。日韓・日中関係を考えたとき、もちろん日本には様々な言い分があり、「事実」が伴っています。しかしそれはそれ。事実の存在だけでは不十分であることを、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の裏で繰り広げられたPR戦争がはっきりと示しています。自分の感情はひとまず脇に置き、観客席から自分たちの姿がどう見えているか、どう見えるようにするかを冷徹に計算して行動する必要に、私たちは直面していると言えるでしょう。

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