コミュニケーションを生む場としての美術館
先週から一週間ちょっとお休みをいただき、一足早い連休をいただいてしまいました。僕は残念ながら(?)若者ではないので、旅行離れというわけにもいかず、娘も連れて旅に出ることに。今回の目的地は、ベネルクス3国でした。
まったくの息抜き観光旅行でしたので、コレといってこの場でご報告できることもないのですが、ちょっと感心することがあったのでご紹介しましょう。アムステルダムでゴッホ美術館を訪れた際、面白い光景を目にしました:
入り口のホール、吹き抜けになっている部分を見上げると、3階部分に何やら壁画のようなものが。ゴッホ風の絵画(実在の作品?「星月夜」のように見えるものなど、何パターンか用意されていました)の上に人間が映し出されていて、中を自由に歩き回っています。どうやら登場しているのは観客の姿のようなのですが、いったいこれは何なのでしょうか?
実はこれ、1階にあるカフェの床にブルースクリーンを敷き、天井に設置したカメラで客席を撮影・人の姿だけを切り出してゴッホの作品にオーバーラップさせる、というインスタレーションでした。上の階から見るとこんな感じ:
さらに1階のカフェをよく見ると、何やらコンサートが行われているのが分かるでしょうか?美術館を訪れたのは金曜日の夜、午後10時まで開館している時だったのですが、そのためか演奏されているのはジャズ系の音楽で、お酒まで振る舞われていました:
観客も大喜びで、一曲ごとに拍手や歓声が起きるほど。もちろんコンサートですから音が流れているわけで、それも合わせれば美術館の中は決して静かだとは言えません。しかし決して作品の鑑賞を妨げられるということもなく、絵画と音楽が一体となった、不思議な空間を体験することができました。僕の見る限りでは、嫌な顔をしたりスタッフに苦情を言うという人もいないようでしたよ。
美術館や展覧会をエンターテイメントとして捉え、様々な催し物を行うというのは珍しいことではありませんが、現代アートのギャラリーなどではなくゴッホ美術館という場所でそれに遭遇するとは意外でした。ゴッホ美術館は文字通り「ゴッホ」という絶対的な資産を持っているのですから、何もせずに作品を掲げておくだけでも文句は出ないはずです。しかしこうした取り組みも行っているというのは、自分が持つ財産にあぐらをかくことなく、新しいことにチャレンジしていこうという姿勢があるからではないでしょうか。ゴッホ美術館は常にチケット売場に行列ができているそうで、僕らが訪れた際も15分ほど待たされたのですが、観客が集まるのは恐らく「ゴッホがあるから」という理由ばかりではないでしょう。
そういえば最近、日本でも「国宝 阿修羅展」で阿修羅ファンクラブなるものが開設されたり、完売してしまいましたが阿修羅フィギュアが発売されたりと、現代アート以外の分野でも自由な楽しみ方をしようという動きが出て来たように感じます。阿修羅ファンクラブには眉をひそめる方もいらっしゃるようですが、古い美術に関心を持ってもらう手段として面白いアイデアではないでしょうか。「美術館・展覧会とはこうあるべきだ」「美術はこういう見方をするべきだ」という画一的な考え方を捨ててみれば、ちょうどゴッホ美術館と阿修羅展のように、美術館・展覧会は人々のコミュニケーションが生まれる場としての価値をもっと高められるように感じた次第でした。
ついでにオランダということで、マウリッツハイス美術館にも行ってきたのですが、日本人が多くてビックリ。やはりフェルメール強し、のようです。