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世界遺産の作り方

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まずは宣伝です。ITmedia 傘下のサイト「@IT自分戦略研究所」で、インタビュー記事を掲載していただきました:

自分戦略研究室「今週のリーダー」 第5回 リーダーは、メンバーの目指すゴールを理解すべし (@IT自分戦略研究所)

お前がリーダーを語るな、おこがましい!と言われてしまいそうですが、これまでの経験を踏まえて、僕なりの考えをお話させていただきました。「いいや、その考え方は違うぞ」「こうも考えられるのでは」などなど何でも構いませんので、コメントがあれば akihitok (アットマーク) gmail.com までメールをお送りいただくか、twitter/akihito にメッセージを投げていただけると幸いです。

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では今日の本題。昨日のエントリで「新聞社がつぶれても、ネットからニュースが消えることはない」という話をしましたが、もちろん「だから新聞社がつぶれてしまっても構わない」という意見ではありません。はてなブックマーク等でもコメントいただきましたが、新聞社の取材力はまだまだ大きく、正しく使われるのであれば個人では到底追いつくことのできない価値を生み出すことができる、という意見に僕も賛成です。問題は、残念ながらその力にクエスチョンマークが付いてしまっていること、すなわち表面的な事柄をなぞっただけの浅い記事(最悪の場合は通信社や個人ブログが発信している情報そのままの記事)や偏見・誤解を含んだ記事が目に付くようになってきていることでしょう。それが何らかのモラルの低下によるものか、経営悪化による資金力の低下によるものか、はたまたそもそも日本の新聞社とはその程度で、個人が情報発信できるようになることでキズが明るみにでるようになったためかは分かりませんが、例えば「○○という問題について興味があるから、新聞記事の分析を参照してみよう」という行動に出る人は少なくなってきていると思います。

とはいえ、「新聞社の実力」をまったく感じなくなったということではありません。最近それを感じているのが、朝日新聞が新しく展開しているコーナー「GLOBE」。以前もこのブログで記事を取り上げたことがありましたが(参考記事:「頭脳」も外注する時代)、昨日の特集もなかなか興味深い内容でした:

世界遺産というパワーゲーム (朝日新聞グローブ)

皆さんご存知の「世界遺産」という制度。普通ならメディアで取り上げる場合は「素晴らしい世界遺産を毎週紹介!」といった感じですが、この特集では制度をめぐってどのような駆け引きが行われ、認定前後でどんな影響を生み出しているのかを追っています。日本でも富士山の世界遺産登録をめぐる問題や、熊野古道が世界遺産登録されたことによって生まれた影響(観光地されたり、維持を巡って軋轢が生まれていることなど)が報じられたことがありましたが、同じような問題が世界各地で起きているわけですね。

中でも面白かったのは、石見銀山の世界遺産登録をめぐる駆け引きのくだり:

[Part1] 「登録を支持する」。連絡があったのは、決定会合当日の朝だった

「石見銀山を世界遺産に」という構想は、当時の島根県知事が打ち上げた。翌年の大田市長選では、登録実現を公約に掲げた現職が再選された。登録されたら、06年には30万人台だった観光客が50万人を超えるはず、と市はその経済効果を試算した。他にこれといった産業を持たない人口3万~4万人の中山間地にとって、地域振興の「切り札」と期待された。

ところが、登録延期の勧告。市長は「世界遺産登録に向け、外務省、文化庁と連携して可能な限りの取り組みを続ける」と談話を出したが、地元選出の政治家や住民らの落胆は隠しようもなかった。

一時帰国した近藤は、島根県出身の有力政治家で、自民党の参議院議員会長だった青木幹雄と東京で会った。「できるだけ一つよろしく」と青木は近藤の踏ん張りに期待した。外務省は「十分説明して、理解を得るように」と近藤に指令を飛ばした。

何はともあれ、自分の目で石見銀山を見ておこう。そう思った近藤は青木に会う前日、大田市を訪れた。

「なんだ、普通の山じゃないか」。それが近藤の第一印象だった。

その「普通の山」を「人類が共有すべき際立った普遍的価値(Outstanding Universal Value, OUV)」を持つ存在と認識してもらうためにはどうすれば良いか。詳しくは記事の続きを読んでいただきたいのですが、「環境に配慮した鉱山」というポジショニングを確立することで、何とか遺産登録を勝ち取ったことが解説されています。いま「ポジショニング」という言葉を使いましたが、まさにこの辺りは、企業のマーケティング活動に通じるものがあるでしょう。世界遺産というコンビニエンスストアの棚に商品を置いてもらうためには、ユニークなポジショニングを確立して「これは確かに欠かせないな」と思わせなければいけないわけですね。

実際、日本人なら「世界遺産に登録されて当然」と感じるであろう平泉(中尊寺金色堂で有名ですね)は登録申請するも落選を続けていることが紹介されています。他にも二国間の軋轢により申請が行われなかったり、認められても不自然な形での登録となったり、いったん登録されたのに開発が優先されて、申請国自らが認定取り消しを求めたり。こうなってくると、世界遺産に登録された美しい遺跡・自然を眺めるよりも、美しいのに登録されていない場所について「なぜここが登録されていないんだろう?」と考える方がある意味で面白いかもしれません。

それがどんな内容であっても、賞や称号を与えるということは、それを巡ってパワーゲームが生まれる。考えてみれば当然のことなのですが、世界遺産のように平和的・文化的なものだと、その見方をつい失ってしまうのかもしれません。そういえば先日、ノーベル賞を巡っても、似たような問題点の指摘(日本人・日本出身者が複数受賞したからといって浮かれるのは間違い)がありました。GLOBE にはこの調子で、ノーベル賞やカンヌ映画祭あたりにも切り込んでいって欲しい、などと勝手な期待を抱いています。

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