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クルマを「馬のない馬車」と捉えてはいないか

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ウィキノミクス』の著者の一人、ドン・タプスコット氏の最新刊"Grown Up Digital: How the Net Generation Is Changing Your World"が出版されたので読んでいます。発売されたのは昨年末なので、既にご存知の方も多いと思いますが、この本は1998年に出版された『デジタルチルドレン』(原題"Growing Up Digital")の続編にあたり、成長中(Growing Up)ではなく成長した(Grown Up)「デジタルチルドレン」の姿を描いたもの。昨年は「デジタルネイティブ」という言葉をテーマにしたTV番組や記事などが日本でも登場していましたが、それと同じく「物心ついてからずっとデジタル技術に囲まれて成長した世代」(具体的には11歳から31歳まで)が何を考え、どう行動しているのかを明らかにする本です。おそらく日本語訳が出るのは確実だと思われますので、チェックしておくと良いと思いますよ。

いや、僕だってネットを使いこなしている。わざわざ本を読んで勉強するまでもない――デジタルネイティブ/デジタルチルドレンではないあなた、そう考えてはいませんか?別に責めるつもりはありません、僕がまさにそんな考えの持ち主なのですから。ちなみにガートナーの定義によれば、成長してからデジタル技術に慣れた人は「デジタルイミグラント」なのだとか。完全にデジタルイミグラントな僕は、「デジタルネイティブの定義からは外れるけど、これでもかなりデジタル/ネット文化を理解している」と考えていました。

しかし、"Grown Up Digital"にこんな一節が登場します:

We're still in the early days of understanding how social networks will be used and for what purposes. The picture is not clear yet, which is not surprising. "People tend to frame the new in terms of the old," notes Alan Majer, executive analyst at nGenera. "When automobiles arrived, for instance," he says, "they were seen as 'horseless carriages.' It wasn't immediately obvious that drivers could share the interior with their passengers. And when 'moving pictures' were invented, it also took a while for studios to tap all the new possibilities the medium offered. Similarly, next-generation social networking platforms will unlock entirely new possibilities but it will not be immediately obvious what all of them are, or how they should be tapped."

ソーシャルネットワークがどのように、何のために使われるのかという点が考えられ始めてまだ日が浅い。まだイメージがつかめていないのも驚くに値しないだろう。nGenera のエグゼクティブアナリスト、Alan Majer は次のように述べる。「人間は新しいモノを、古いモノの枠組みで捉えようとする。例えば自動車が登場した時、それは“馬のない馬車”と見なされた。運転手が同乗者と車内を共有できるのだということが理解されるようになったのは、自動車が登場してすぐのことではない。また「動く写真」が発明されたときも、それがもたらす新しい可能性を映画スタジオが手に入れるのには時間がかかった。同様に、次世代のソーシャルネットワーキングプラットフォームは全く新しい可能性をもたらすだろうが、それがどんなもので、どうやったら手に入るのかが明らかになるのには時間が必要だろう。」

新しいモノが登場したとき、古いモノに置き換えて理解する。それ自体は悪いことではなく、脳の構造から言って当然のことなのでしょう。しかしそれでは、新しいモノが持つパワーを完全に解放することはできません。クルマを「馬無し馬車」ではなく、「クルマ」として見ることができるかどうか――物心ついてからクルマを見た人(そんな人は現代にはごくわずかだと思いますが)は、努力をしなければ難しいはずです。

流石に僕はクルマを「馬無し馬車」とは見ていませんが、ケータイを「ネットにもアクセスできる携帯電話」、ニンテンドーDSを「ワイヤレス接続ができるゲーム端末」程度にしか考えていないかもしれません。以前「ニンテンドーDSで革新的な遊び方をする子供」という記事がネットで話題になったことがありましたが、自分で考えているよりもずっと頑張らないと、この子供たちのような発想はできないかも……と考えを改めた次第です。

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