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『予想どおりに不合理』を読んだ後は、『人は意外に合理的』をどうぞ

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ランダムハウス講談社様より、新刊本『人は意外に合理的 』をいただきました。副題「新しい経済学で日常生活を読み解く」の通り、経済学の知識を駆使して、日常生活に潜む様々な疑問を解き明かそうという本。と書いてしまうと「あぁ、最近よくある『お手軽経済学入門』的な本ね」と思われてしまうかもしれませんが、決して中途半端な本ではありません。著者のティム・ハーフォードさんは世界銀行勤務、オックスフォード大学講師を経て、現在フィナンシャル・タイムズ編集員を勤められている方。フォン・ノイマン、トーマス・シェリングなど偉大な学者たちによる研究も引き合いに出し、「経済学はどのような考え方をする学問なのか」を読者に見せてくれます。

ところでこの「合理的」というタイトル、同じく最近出た経済学の本『予想どおりに不合理 』を連想させます(この本についても紹介を書いていますので、興味のある方はこちらをどうそ)。『人は意外に合理的』の原題は"The Logic of Life"(生活の裏に潜むロジック、といった意味)ですから、ランダムハウス講談社の社内で『予想どおりに不合理』を意識して付けたものかもしれません。確かに『予想どおりに不合理』は「人間はこんなに不合理な生き物だ」というメッセージを強く発している本で、『人は意外に合理的』の方は文字通り「よく見ると人間は合理的な生き物であることが分かる」という本ですから、2冊の本を対比して読んでみるのも面白いでしょう。

本書の「一見不合理に見える行動でも、裏側には合理的なロジックが存在している」という主張が最も良く出ているのは、第2章の「中毒」に関する部分ではないかと思います。例えば、こんな議論はどうでしょうか:

ベッカーとマーフィーが1988年にノイマンに比肩する結論を導き出したと聞いても、驚く人はおそらくいないだろう。二人の主張によれば、中毒はまったくもって合理的だったのだ。タバコ、アルコール、スロットマシンなど、中毒性の高い商品を消費する人は、その習慣から得る喜びは苦痛よりも大きいと計算しているのである。ベッカーとマーフィーにとって、リオ・ホテルのロビーをうろつくことは、合理的選択理論が支配する世界観に異議を唱えるものにはまったくならないのである。たしかにスロットマシンのプレーヤーはお金を失っていた。中毒になる者だっているかもしれない。しかし、プレーヤーたちは精神的な苦痛を味わい、中毒になる可能性だってあることを知ったうえで、合理的な意志決定をしてプレーしはじめていたのであり、この習慣をやめた場合に起こるであろう精神的な苦痛の高まりに耐えるよりもプレーしつづけるのだという合理的な意志決定をしていたのである。

こんなロジック、机上の空論に過ぎないと感じられるでしょうか?確かにこれだけでは説得力は小さいですが、本書ではこんな証拠も挙げられています:

ベッカーとマーフィーは、値上げが予想されるときには、実際に値上がりする前にタバコの消費量が減ることを突きとめた。別の研究者は、ギャンブルも合理的な中毒に似ていることを発見している。ギャンブル収益における競馬場の取り分が引き上げられると、賭け金はその年だけでなく、翌年も、さらには前年までも減るのである。ギャンブラーは賭け金が割高になることを見越して、ギャンブルから足を洗おうとするのだ。

このように、一見「不合理」な行動であるはずの中毒においても、合理的な判断を行った形跡が見られる、と。もしかしたら中毒症状は、「脳の何らかの欠陥がある人物が陥るのだ」などといった脳医学の側面から説明することも可能もしれません。しかし様々な面において、「人間は合理に行動している」という前提でも筋道の通ったモデルが構築できること、そしてそのモデルを通して有効な答えを導き出せることを本書は解説してくれます。その手法を学び、応用できるようになることは、決して悪い話ではないでしょう。

というわけで、『予想どおりに不合理』を読まれた方には、一緒に『人は意外に合理的』を読んでみることもお勧めします。取り上げられる事例は、上記の中毒に加えて「結婚」「離婚」「差別」「給料」そして「オーラル・セックス(!)」など、本当に多種多様。両方読めば、「いったい人間は合理的な生き物なの?不合理な生き物なの?」と混乱に陥ること請け合い……というのは冗談として、どちらも人間社会を分析する優れたツールを与えてくれると思いますよ。

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