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明治時代のウェブサイト

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空気のように身近な存在でも、改めてその成り立ちを見ると意外な発見があったりします。いま『「中立」新聞の形成』という本を読んでいるのですが、明治初期、誕生したばかりのメディア「新聞」の上で、こんなことが起きていたそうです:

実際、当時の新聞には投書が連日掲載され、紙面の重要な要素となっている。そこにはニュース取材力の不足という新聞社側の事情だけでなく、既成の価値秩序の大きな変動に直面した人々の不満や意見という下からの大きな沸騰が存在していた。人々は意見表明の機会を求めており、建白書や新聞への投書として表れた。しかも、生まれたばかりの新聞という公示的メディアに載った投書は思いがけないところからの次の投書を触発し、それがまた次々と連鎖反応を引き起こすという機能を果たしえる。

投書という言論装置は、一回限りの意見表明にとどまらず、それへの反論も呼び起こし、論議論争という開かれた言論空間を成立させる契機を内在させているのである。

とのこと。実際、読者からの投書が元で大きな議論が起きたり、優れた投書をした人物が職を得たり(明治時代の「ブログ転職」といったところ?)ということがあったそう。そして最初は「主張」を行うことに慎重だった新聞側も、読者が投書を通じて声を上げるのを見て、次第に主張を行う姿勢に転じていったのだとか。

それまで声を上げる術を持たなかった人々が、新しいサービスを通じて活発に主張するようになり、そして繋がってゆく。いつの時代かを書かなければ、まるで現代のネットやブログの話をしているかのようです。「歴史は繰り返す」ではありませんが、政治や社会が激しく変化する時代には、人々は何かしらの道を考え出して繋がろうとするものなのかもしれません。

毎日新聞の事件を例に挙げるまでもなく、いま新聞というメディアは大きな岐路に立たされていると思います。しかし歴史を見てみれば、彼ら自身が現在のウェブサイトのような存在であり、人々のコミュニケーションを実現する場でした。歴史的にそのような存在であった新聞が、現在のネットやウェブに対応できていない(そればかりか非難を浴びる存在である)、というのはなんとも皮肉です。いまさら投書欄が交流の場になることはないでしょうが、かつて人々に支持されていた時代を研究して、新しい時代にふさわしい役割に生まれかわってくれることを願います。

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