アフガニスタン・ルール
上杉隆さんの『ジャーナリズム崩壊』を読了。ここで描かれる日本の「ジャーナリズム」の腐りきった姿は、池田先生曰く「業界では周知の事実」だそうですが、正直言ってここまでムラ社会だとは思ってもみませんでした。記者クラブなどの仕組みで「部外者」を閉め出すのは当たり前、権力を批判するどころか政治家を積極的にサポートしようとし、情報を握りつぶすことも厭わない。そう言えば今朝、朝日新聞でこんな記事が載っていたのですが:
■ 中国、国内メディア規制 「違反なら廃業も」通達 (asahi.com)
本書を読んだ後だと、目に見える形で規制が行われている中国の方が、いくぶんマシな状況なのではないかと思えてきます。メディア自らが自分の手足を縛り、権力に近づいている日本の状況は、外部からは巧みに隠蔽されて見ることができません。だから「NIE」なんて活動に無邪気に参加してしまう先生がいるのでしょう(新聞を反面教師にしてメディアリテラシーを養う、という話なら別ですが)。
ところでこの本の中に、「アフガニスタン・ルール」という言葉が登場します。ニューヨーク・タイムズ紙の編集部の中で使われている言葉だそうですが、ちょっと長くなるのですが紹介させて下さい。まず、この言葉が生まれるきっかけとなった、1980年のニューヨークでの状況から:
1980年頃、ニューヨーク・タイムズとコロンビア大学では大いなる論争が起こっていた。1979年からのアフガニスタン戦争で、多くの記者が現地入りし、素晴らしい記事をいくつも出稿していた。政権の中枢に迫り、容赦ない筆致でもってアフガン政府や反政府軍の内部情報を伝えていた。それはタイムズ内でも高い評価を得、自然、ピュリッツァー賞に推す声が大きくなってきたという。
一方で同年、メトロセクションでも評判を呼ぶ連載キャンペーンが始まっていた。ニューヨークのある消防署の不正経費支出疑惑を追及する一連の記事に対しては、さまざまな論議を呼んだ。市民の反応は大きく、取材先からは大きな反発があり、訴訟も含めた激しい応酬が当局との間で起こったという。
このふたつの記事については、タイムズ内でもどちらが優れているかと話題になった。そうしたジャーナリスティックな論争は、のちにアフガニスタン・ルールと呼ばれる次のような結論でもって終止符が打たれる。
と、「遠い国で起きている大きなニュース」と、「地元の人々にとっては深刻だが、ローカルに過ぎないニュース」という2つのニュース、いったいどちらが評価されるべきなのか?という論争が起きたわけですね。普通であれば、海外紛争を扱った記事の方が高尚なように感じてしまいますが、
遠い外国の政府の記事は言語の違いなどから反論されにくく、また検証も困難なため、厳しい論調で書かれやすい。同じ理屈で、過去の出来事は現在進行形のものよりも、すでに情報源が存在しないことや再検証が難しいなどの理由で大胆に書かれやすい。また、読者や新聞の発行地から遠く離れれば離れるほど、関心も薄まり、検証も難しくなるため自由な筆致で書かれやすい。
という指摘が行われたとのこと。一方、ローカルな記事に対しては
ところが消防署の記事は違う。些細な事例まですべての市民が知悉していることであり、実に多くの読者や当事者たちが共通認識でもって記事の細部まで読んでいる。当然、わずかなミスに対しても多くの反論が寄せられ、毎回さまざまな論争の材料を提供し続けた。確かに世界的な影響はなかったかもしれないが、現在進行形の身近な現象を切り取ることの困難さと重要性を知らせるに十分な記事だった。
という評価も行える、と。で、結論としては「新聞発行地に近い地域での話題であればあるほど、取材や記事執筆に困難が伴う(=従って海外での取材と同等の価値を持つ」という評価基準が定められ、これがアフガニスタン・ルールと呼ばれているのだそうです。
今年8月、終戦記念の時期にオリンピックが重なり、日本のメディアは「スポーツで感動!」「戦争を風化させるな!」もしくは「中国って素晴らしい/怖いところもあるね!」のいずれかで一色となっています。もちろんこういった「大きなニュース」も大切ですが、アフガニスタン・ルール的には非常に偏った状況ではないでしょうか。まるで面倒な議論に足を突っ込むのはご免、と言わんばかりに、反論・検証しようがないネタばかりをピックアップしているかのようです。
一方ネット上では、今日も様々な論争が巻き起こっています。最近では、例の秋葉原連続殺傷事件の際に、格差問題までからめた熱い議論が行われました。アフガニスタン・ルールの下では、ここで書かれた記事たちは海外紛争を取材したものと同等の価値を持つと言えるでしょう。しかし新聞を始めとする大手メディアでは、十分な掘り下げもないまま、事件は忘れ去られようとしています。
身近な事件を追い、意見を世の中に表明することは、非常に過酷な行為なのだ――既存の大手メディアに態度を改めて欲しいとは言いませんが、この認識が少しでも世の中に広まり、ローカルな話題で議論することの重要性が理解されていって欲しいと願います。
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余談ですが、上杉さんの以前の著作を書いて、エントリを書いたことがありました: