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「死ねばいいのに」

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ネットの世界では、「死ね」という言葉が平気で飛び交っています。「学校裏サイト」のような世界だけでなく、掲示板、コメント欄、ブックマークなどなど、罵り言葉は場所を選びません。「何て酷い世界だ、国かプロバイダ/サービス提供者が規制を行うべきだ!」という反応が出てきても仕方のないことでしょう。米国では、ネット上に悪口を書き込むことに刑罰を適応しようという法案まで提出されたそうです(参考記事)。

しかし、単純な規制は効果がないと考えます。例えばはてなブックマークの「死ねばいいのに」というタグですが、本当に死んでしまえと思っているわけではなく、誇張や冗談の意味で使われることも多々あります(某お笑い芸人さんもギャグとして「死ねばいいのに」を使っていますよね)。文脈上悪意がないものでも、「死」という言葉が使われているから禁止、というのではただの言論統制でしょう。

また「死ね」を「氏ね」と書き換えたり、特定の相手にしか分からない脅し(「~丁目~番地って誰の家だっけ?」など)を使えば、機械的にチェックするのは不可能。さらにプロバイダやサービス提供者が人力でチェックしろ、というのでは、ベンチャー企業が耐えられず次世代を担う産業が育たない――などという弊害が予想されます(モバゲータウンなどでは徹底した監視体制を敷いていますが、彼ら並みの仕組みがなければ携帯SNS市場に入れないというのであれば、新規参入は難しいでしょう)。

では、どうするべきなのか。昨日の池田信夫氏の意見については賛否両論あるようですが、個人的には「ユーザー側が行動を起こす」という部分に賛成します。上からの規制に実効性がない、あるいは危険な副作用をもたらす恐れがあるのならば、残るはユーザー達に協力を求めるしかないでしょう。ユーザーという「多くの目」があれば、悪意の芽を早期に発見できるでしょうし、「集合知」的にユーザー達自身が効果的な対策を考え出す、ということも期待できるのではないでしょうか。もちろん楽観的な考えであることは理解していますが、国による規制の実効性を考えれば、検討に値すると思います。

しかしどうやってユーザーの意識を高めるのか――正直言って名案が無いのですが、少なくとも子供たちに対しては、地道に教育を行っていくことができるのではないでしょうか。例えば前述の参考記事の中でも書きましたが、アメリカで起きたネットいじめ被害者の遺族は、子供たちにも行動を起こすように呼びかけているそうです。何かあれば大人たちに報告するように促し、子供たち自身のリテラシー(ネット上ではどう振る舞うべきか、煽りや否定的な言葉をどう受け止めればよいか、など)も高める。そういった教育の中で、他人が困っている場合にも手を差し伸べられるようになると期待します。

悪意はネットが生み出したわけではありません。いくらネットを規制しても、悪意は形を変えて生き残り、別の形で吹き出すはずです。回り道かもしれませんが、地道に人々の意識を変えていくことしか根本的な解決策は無いのではないでしょうか。

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