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集合知は芸術を育てるのか?

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少し前の記事ですが、TechCrunch で興味深いニュースを見ました。ブルックリン美術館で、キュレーターの役割を「集合知」に任せてしまおうという試みが行われているそうです:

ブルックリン美術館、大衆に写真選びのキュレーター役を丸投げ (TechCrunch Japanese)

ブルックリン美術館が企画中の写真展"Click"について。この展覧会、公募で集められた写真作品をネットで確認/良い作品に投票することができ、得票数の多い作品が今年の夏に開催されるリアルの写真展に出品される、とのこと。仕組み自体はお馴染みの話ですね。

不特定多数の人々の知識や判断を一つに束ねるという、いわゆる「集合知」が専門家の能力をも上回るケースがあるということは、ITmedia 読者の皆さんには説明不要だと思います(集合知の方が常に優れている、という意味ではありませんが)。今回ブルックリン美術館が採用した方式によって、キュレーターという少数の専門家が選ぶよりも、優れた作品が展示される結果になるのでしょうか?それとも「アートの世界では、まだまだ素人の眼では力不足」ということになるのでしょうか。

個人的には、今夏に予定されているというリアル展覧会で、大勢のお客が集まる確率は高いと思います。それは「面白い方法で選ばれた作品たち」というニュース性が生まれることも1つの理由ですが、それと同時に、「観客の感性に近い作品が選ばれる」という点もポイントではないでしょうか。(潜在的な)来場客が自分が観たいと思う作品を選ぶのですから、観て楽しい・分かりやすい作品が集まるのは当然です。アートについてこだわりのあるキュレーターが「芸術性とはこういうものだ!」という独断・偏見で作品を選ぶよりも、お客を呼ぶ可能性は高まるでしょう。

しかし、例えば現代の日本で圧倒的な人気を誇る印象派だって、生まれた当時のフランスでは散々な評価だったわけですよね。仮にずっと昔から展覧会というものがこの手法(人々が出品作品を投票で選ぶ)だけで行われていたとしたら、「前衛的」と呼ばれるあらゆる芸術たちが陽の目を見る確率は、いまよりずっと少なくなっていたでしょう。過去の埋もれた名作が、現代のコンテクストで再定義される――そんなケースも少なくなると思います。もちろんアートは観る人々がいなければ成立しませんが、観客の側に全てのコントロールを委ねてしまうのも行き過ぎだと思います。

ともあれ、今回の取り組みは一種の実験として、興味深く感じています。どんな作品が選ばれるのか、乞うご期待といったところですね。

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