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19世紀のケータイ小説

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一昨日から引き続き『本を読むデモクラシー』をネタにしてしまうのですが、この本では19世紀にも「ケータイ小説」があったことが紹介されています――といっても、そう感じたのは僕だけかもしれませんが。

バルザックと言えば、19世紀フランスの小説家として有名な人物ですが、彼が「新しいメディア」に適応するのに失敗していたことをご存知でしょうか。新しいメディアとは「新聞連載小説」のことで、本書ではこのように解説されています:

この「新聞連載小説」、フランス語では「ロマン・フユトン roman-feuilleton」という。「フユトン」は「小さな葉っぱ」(「葉 feuille」の指小辞)の意味で、新聞用語では、ページの最下段の横長の、現在でいうと文化欄とか学芸欄をさした。そこには書評・劇評・音楽評、あるいはゴシップなどが掲載されてきたが、このスペースを連載小説が譲り受けて、やがては独占することになる。

この「新聞連載小説」が生まれたのは1836年で、「新聞王」と呼ばれたエミール・ド・ジラルダンが発行部数拡大のための戦術として始めたアイデアとのこと。ともあれ、この新しいメディアに対して、既に小説家としての評判を勝ち得ていたバルザックが対応できなかった様が描かれています:

濃密な描写という、ぶあつい地塗りをした物語は、たしかに近代小説の醍醐味のひとつである。でも、バルザックの筆による「長回し」は尋常ではない。文庫本で何十ページも続く、『ゴリオ爺さん』の冒頭を思い出せば十分であろう。

(中略)

バルザックは、新聞連載小説の先駆をなしたとはいえ、彼の深い息つぎは、雑誌ならまだしも(たとえば『ゴリオ爺さん』は「ルヴュ・ド・パリ』に四回に分けて掲載された)、新聞紙面のぶつ切りのリズムとは、本質的に相容れなかったのである。

結局、バルザックが始めた新聞連載小説『農民』は第一部で打ち切りとなり、バルザックは新聞社からもらっていた前借り金を返済する結果に。その後を次ぎ、新聞連載小説の分野で成功を収めたのがアレクサンドル・デュマだったとのこと(ちなみにその際に掲載されたのは『王妃マルゴ』だったそうです)。我々からすれば、どちらもフランス古典文学なのですが、バルザックにしてみれば「ふん、新聞に合わせて自分のスタイルを変えられるか!」という心境だったのかもしれません。また前述の通り、新聞連載小説は発行部数拡大のために人々のウケを狙ったものですから、「デュマの奴、大衆向けの低俗な作品を書きやがって!」と感じていたかも?

いずれにしても、この「載せられるメディアに応じてコンテンツのスタイルが変わる」という現象、現代のケータイ小説そっくりではないでしょうか。当時、「新聞連載小説なんて小説じゃない」「文学の質を落とすものだ」などといった議論があったかどうかは定かではありませんが、バルザックのようにそれについて行けなかった人物がいたことは確かでしょう。だとすれば、それに適応しなかった人々から何らかの批判が上がっていたとしてもおかしくないと思います。

「ケータイ小説は小説ではない」……確かに現代の定義で言えば、それは事実かもしれません。しかし100年前のフランスで、いまと同じような「メディアがコンテンツを変える」という状況が起きていたことを考えると(そして今の私たちが、バルザックもデュマも共に文豪として捉えていることを考えると)、後世の人々が別の判断を下す可能性も高いのではないでしょうか。私たちがすべきことは、それを無碍に否定してしまうのではなく、健全な発展をするよう促していくことではないかと思います。

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