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「あらたにす」の理想と現実

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既にオルタナティブ・ブロガーの方々もコメントされていますが、朝日・日経・読売の主要新聞3社によるポータルサイト「あらたにす」がオープンしました。

「ネットで新聞復権を」 朝日・日経・読売が「新s」(あらたにす) (ITmedia News)

予想通り、という言い方は失礼かもしれませんが、サイト内検索機能やRSS配信がないなど、中途半端な内容に失望の声が挙がっています。僕の第一印象はPolar Bear Blog でも書きましたが、いくつか「これは良いかも」と思う機能はあったものの、総合的にはイマイチ。確かに「どんな内容かはともかく、3社が提携したことに意義がある」「ネットに慣れていない人々がターゲットだから、先進的機能は必要ない」などという擁護意見は理解できますが、だからと言って中途半端な内容でスタートしたり、現時点でネットを活用している人々の意見を無視して良いということにはならないでしょう。とにかく3紙が提携したのに、出てきた目玉が3紙を横並びに見るだけ、というのでは悲しすぎます。

また1つおやっと感じたのは、「あらたにす」についての朝日新聞の社説。ちょうどネット上でも公開されていますので、リンクしておきましょう:

あらたにす発足―言論の戦いを見てほしい (asahi.com)

冒頭、新聞が比較できることの意義について、こんな例が引用されています:

「吾人(ごじん)は人類をして博愛の道を尽(つく)さしめんが為めに平和主義を唱道す。故に人種の区別、政体の異同を問はず、世界をあげて軍備を撤去し、戦争を禁絶せんことを期す」

1世紀以上も前のこと。軍靴の響きが高まり、日露開戦へと時代が加速する中で登場した「平民新聞」の1903年11月15日の創刊宣言である。

幸徳秋水と堺利彦が、開戦論に転じた「万朝報(よろずちょうほう)」を退社して立ち上げた。ほとんどの新聞が戦争を賛美する中、「平民新聞」は非戦論、反戦論を展開した。発行部数は数千の単位だった。

もし当時、全国の人たちが「平民新聞」と「万朝報」などの論調を読み比べることができていたら、どんな反応が起きていただろうか。

確かに様々な主張に触れるというのは大切なことです。それは分かるのですが、それならなぜ「あらたにす」が網羅しているのは3紙だけなのでしょうか?著作権云々で提携紙以外の記事にリンクすることは……というのなら、せめて「ANY(朝日・日経・読売)以外の主張もぜひご確認下さい。他紙サイトへのリンクはこちら~」などという形で読者を誘導することもできたはずです。

またこちらの記事によれば、「万朝報」の発行部数は最盛期で約25万部だったとのこと。一方の「平民新聞」は数千の単位、ということで今日の個人メディアに近い位置付けだったのではないでしょうか(立ち上げたのも幸徳秋水と堺利彦という2人の個人だったわけですし)。ということで、万朝報と平民新聞の例に倣うとすれば、「あらたにす」は個人のブログを取り上げてもいいはずです。「民主主義は、言論の多様さと主張の競い合いがあってこそ成り立つ」のですから。「個人のブログなんて信用できるか」というのなら、ご自慢の取材力で裏を取ればいいだけのこと。何も考えずに最初から主力新聞以外は除外、というのでは、エリート主義と批判されても仕方ないでしょう。

それでも、明治の自由民権や大正デモクラシーの時代には、政府寄りの新聞がある一方で、政府を厳しく批判する新聞もあって、鋭い言論や特ダネが紙面をにぎわした。そうしたあふれんばかりのエネルギーが、今も新聞の原点である。

いまやその「あふれんばかりのエネルギー」が存在しているのは、ブログを始めとする、一般の人々が参加するメディアではないでしょうか。一方で、大きな理想を掲げながら、現実のズレを止められないでいる日本の大手新聞。「あらたにす」べきなのは、まずは彼ら自身の現状認識なのではないかと思います。

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