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王子はいらない。

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僕の父は大のゴルフ好き。先日実家に帰ったときも、TVのゴルフ中継に没頭している父の姿を目撃しました。が、いつもと違います。普段はゴルフ番組を見て文句を言うことなんてないのですが、何か愚痴をこぼしている様子。例の「ハニカミ王子」が出場した大会だったのですが……どうも最終日、ハニカミ王子優勝の可能性がほぼなくなった後も、彼の後ばかりを追う番組構成に不満だったようです。父は純粋に試合の行方を楽しみたかったのですが、画面にはトップを争う選手の様子はなかなか写りませんでした。

よく「スターシステム」と揶揄される、スター選手一辺倒の報道体制。何もゴルフに限った話ではないことは、ここで説明するまでもありませんね。野球やサッカー、バレーボール、水泳などなど……ある特定の「スター」が生まれると、彼/彼女中心にメディアが回り始める現象は、至る所に見られます。「スターがいれば、それをきっかけとして競技に興味を持ってくれる人が増える。だからスターシステムは有益だ」という擁護論もありますが、果たしてファンを増やすには、「王子」は必要不可欠な存在なのでしょうか。

先日、ITmedia さんから『負け組の奇跡 TDK野球部 栄冠への321日』という本を書評用にいただきました。スポーツジャーナリストとして有名な二宮清純さんの著作で、2005年の都市対抗野球でTDK野球部が優勝するまでを描いたもの。ただしメインは本大会での5試合の解説に置かれ、そこから必要な情報を回想的に補う -- という形式を取っているので、「栄冠への321日」というサブタイトルはちょっとミスリーディングですが。

TDK野球部は「負け組」と形容されているように、かつては廃部の危機に直面していたそうです。ところがラストチャンスとして臨んだ2005年の都市対抗野球本大会で、いままで一度もなしえなかった一勝を達成した後、そのまま優勝まで実現してしまったとのこと。そんなドラマのような展開が、選手やコーチ、監督など関係者一人ひとりの経験と共に描かれます。僕はそれほど熱心な野球ファンではないのですが、彼らがどんな思いでこの大会に臨んだかがヒシヒシと感じられ、面白くて一気に読んでしまいました。どこにも「王子」と呼べるような、華々しい経歴の持ち主が出てこなかったにも関らず。

以前もご紹介しましたが、伝わるメッセージをつくるにはどうすれば良いかを解説した本"Made to Stick"の中に、こんなエピソードが登場します。米 ABC News でテレビ制作に関わっていた Roone Arledge という人物が、NCAA(全米体育協会)の大学対抗アメフトのテレビ中継を任された時のこと。大学対抗なので、通常であれば、地元の人々や大学関係者しか試合を見てくれません。そこで彼は視聴率を上げるため、試合前に出場大学の紹介フィルムを流すという作戦を取ったそうです。この大学はこんな町にある、町の人々はこんなに熱狂している……といった情報があれば、人々はこれから見る試合の持つ「コンテキスト」が分かり、熱中してくれるはずだというのが Arledge の読みでした。この作戦は成功し、同じ手法が様々な分野で活用されるようになったとのことです。

『負け組みの奇跡』はまさに同じ状況を生み出しています。正直な話、僕はこの本を読むまでTDK野球部についてまったく知りませんでしたし、そこに所属する選手たちについても当然「誰それ?」という状況でした。しかし「この選手は選手生命の危機を経験しながらも生き抜いてきた」「彼は新婚で、決勝当日が奥さんの誕生日だった」などといった背景情報が巧みに織り込まれることで、試合展開を解説する文章ががぜん面白いものとなりました。仮にニュースのように、淡々と試合結果を解説するだけであれば(それではノンフィクション小説になりませんが)、何の興味も引かれなかったことでしょう。

「スター」「王子」という存在は、この「コンテキスト」を解説することを省いてくれる存在とも言えます。中継番組でわざわざ手間ヒマかけて、解説の時間まで割かなくても視聴者が熱狂してくれるのですから、番組制作者にとってはおいしい存在でしょう。しかしスターや王子はいつか引退します。ケガで出場停止、ということもあるでしょう(あぁ、ベッカム)。さらに彼らに頼りきりで、「コンテキスト」を伝えるテクニックを学ぶことを怠れば、番組だけでファンを増やすことはますます困難になります。スターシステムは手っ取り早いファン獲得装置のように見えて、けっきょくはファンの低下を招く諸刃の刃なのではないでしょうか。

と、「王子」批判を展開してしまいましたが、ハニカミ王子自身を批判しているわけではありませんよ。僕の父も彼の能力は買っていて、彼だけを追いかける番組構成に愚痴っていただけです。できるならば、あらゆる競技には「王子」だけではなく、「苦労人」や「縁の下の力持ち」、「戦略家」や「熱血漢」などなどがいることを教えてくれるような中継番組が増えることを期待したいですね。

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