ケータイカメラ依存症
週末、新しくできたショッピングセンターに家族で出かけました。家を出てしばらくしてから気付いたのが、ケータイ(コレです)を忘れてきてしまったこと。どうしようか迷ったのですが、数時間で帰ってくる予定でしたし、日曜なので仕事の連絡が来る恐れも少ないということで、取りに帰らずそのまま向かってしまいました。
ところが……どうも落ち着きません。それは「誰かが電話してくるかもしれない」「誰にも連絡できない」という不安からではなく、「写真が撮れない」という不安から。別に何かを撮ろうと思っていたわけではないのですが(確かに新しいショッピングセンターだけあって、内装は美しかったけれど)、「もし写真を撮りたくなる瞬間が訪れたらどうしよう」と感じてしまったのです。言うなれば、僕は「ケータイ依存症」ではなく「ケータイカメラ依存症」といったところかもしれません。
考えてみれば、2003年に初めてカメラ付きの携帯電話を手にして依頼、常に身の回りにカメラがありました。たとえ画質は粗くても「写真が撮れる」というだけで満足でしたし、いまの910SHではデジカメ並みの画像が撮影できます。実際、近所のノラネコからお昼に食べたカレーまで、以前なら無視していたような他愛のないものをよく撮るようになりました。もはや「写真を撮って記録を残すこと」が息を吸うことと同じ……とまでは言いませんが、日常行為の一部となっているわけです。
それだけに、「ケータイ」ではなく「ケータイカメラ」を身に付けていないと不安に感じてしまうのでしょう。撮影した写真を見返してみることは少ないですし、写真を撮らなくたってお出かけの楽しさは変わらないのですが、「撮れない」だけでなぜか不安になるというのは面白いものです。どなたか心理学者の方が研究してくれると良いのですが。
僕と同じような「ケータイカメラ依存症」の人って、他にもいるのでしょうか?もし僕だけじゃないのなら、カメラ付きケータイを忘れてしまった人のために「デジカメ貸し出しサービス(指定メルアドへの画像データ送信サービス付き)」でも始めようかと思ったのですが、僕のように忘れっぽい人ばかりじゃないから無理かもしれませんね。
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