現代マンガ学講義10 マンガの奥行きと空間
2010後期.12 現代マンガ学講義10 マンガの奥行きと空間
1)平面と立体
図1 徐渭「青天歌」 明代(16c.) 「華夷」 筆先の運動とカスレによる遠近感(奥行き)
平面に単色で「字」を書くだけで生じる「立体」の感覚 平面上の線画は「平面」ではない
図2 ウィンザー・マッケイ(Winsor McCay)『夢の国のリトル・ニモ(Little Nemo in Slumberland)』
ニューヨーク・ヘラルド1908年1月掲載 遠近法による奥行き感と平面画の並列
図3 チャールズ・M・シュルツ『ピーナッツ』(1950~) 初期はやや奥行き感のある絵
『スヌーピーの50年 世界中が愛したコミック『ピーナッツ』』朝日新聞社 2001年 14p
図4 同上 定形化するとともに「平面的」に 背景の省略 必要な時に地平線、道端の草など登場同24p
図5 歯だけのスヌーピー 簡単な線画で可能な(?)ナンセンスな「遊び」同105p
この2系統の絵をどう考えるべきか?
2)線の集合を立体化して見る 認知の問題
図6 斜投象図 高畑勲『十二世紀のアニメーション ―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの-』徳間書店 1999年 14p 「軸側投象図」の両義性(中央交点を手前、奥の両方で認知可能)
左右構図も「仮想アングル」を変えれば両義的 逆に平面デザインとしては見るには無理がある
→ A)人間の視覚認知にはどこかに重点的なポイントを置く性質があるらしい
B)同時に立体視した対象の「見えない」部分(正方形の裏側)を補って構成している
C)視覚の「向き」を仮想して立体視する(正方形に見る場合は斜め上から)
図7 「鳥獣戯画」のバーを飛ぶ猿 同137p 「仮想アングル」によって立体の整合性が構成されるらしい
人はじつは非固定的視点(自由に変換できる視点の向き)で対象を立体的に把握している
→運動する中であらゆる知覚(色や肌目、陰影、音など)を動員した対象認知のしくみを再現している?
3)顔の「向き」 空間把握
図8 歌麿とボッティチェリの顔の向き 笹本純「描かれた顔における「向き」の類型性」筑波大学芸術系「芸術研究報」18 1997年 122~123p
〈歌麿は、パターン化した同じ向きの顔を徐々に変化させ、[略]同じ顔を画面上で上に向けたり下に向けたりすることで、見上げたりうつむいたりといった動作の違いを表現しているのがわかる。[略 ボッテイチェリ「春」の顔は]ひとつとして同じ向きの顔がない〉同上
〈画像として示される〈向き〉を持った顔の形には、見かけ上の形式がたとえ同じであっても、その働き・意味において異なった2つのタイプがあるということである。/1つは、空間の中にある立体物としての人の顔を前提として、それをあちらこちらから眺める可能性のうちの1つを定め、そこに得られるビューを平面上に投射するという方法で作られたものである。それはビューを再現している。これを見る私たちは、描かれた頭部の周辺に仮象の空間を認め、その中で任意に変動し得る〈向き〉のうち、ある1つがそこに固定されていると見なす。[略]もう1つのタイプは、ある方向を向いた頭について概念的に把え、それを表現する記号として描かれたものである。それは記号として〈向き〉を表現している。一般にそれは平面上に設置された形としての性格を強く持ち、それを含む画面は、上下左右にのみ広がる平面であり仮象の立体空間を実現することはない。〉同128p
※ここでの〈立体空間〉は、西欧美術の線遠近法を基準にした物理的な「空間」の再現性をいう
※逆に〈立体空間〉ではない〈平面〉とされる〈記号としての向き〉にも一定の空間の再現性=「奥行き」があると考えられないだろうか?
〈振り返り〉を〈意味として表す〉例
図9 武内つなよし『赤銅鈴之助』の例 同142p 斜め向きの顔を背中に貼りつける手法
図10 手塚治虫『陽だまりの樹』 同143p ありえないアングルで「向かい合う」二人
〈それが可能なのは、この横顔が、周囲の状況、特に右上の人物との関連の中で捉えられているからである。コンテクストに応じて〈向き〉の様相が変動することを示す端的な例であろう〉同143p
図11 目の「向き」表現で顔の「向き」を連想させる例 体の「向き」で目(視線)の向きを連想させる例
同じ「向き」の顔でも、視線や態勢で「向き」の印象を変え、さらに他の人物や状況の文脈で偏向させる
4)立体空間の前提 遠近法について
図12 デューラー「横たわる裸婦を描く製図工」 15世紀 消失点の発見 線遠近法→デューラー
〈絵画とは「与えられた距離と視点と光に応じて、ある面上に線と色を以て人為的に表現された、[視覚の]ピラミッドの裁断面にほかならない」〉小山清男「遠近法の成立 -図法の原理と絵画空間」 佐藤忠良他編『遠近法の精神史 -人間の眼は空間をどうとらえてきたか』平凡社 1992年 116~117p
〈ヨーロッパの絵画では写実主義的な考え方が伝統的に重要な要素でしたが、同じ写実といってもウェイトの置きかたは時代によって変わってきています。二〇世紀に入るとこの思想に決定的な変革が起きますが、一八世紀の末から一九世紀末にかけて、もののかたちを人間の感情などを交えずに正確に描く、画家に正確さの極限まで求めるというのが、ヨーロッパ絵画の一つの主潮を成しています。[略]この正確さへの欲求は、一方では自然科学の急速な発展、展開と呼応して、ものごとを正確に観察する思想と関連していますが、他方では、絵画を鑑賞、享受する人びとに生じた変化と対応しています。[略]絵画の観客層に一般大衆も参加するようになる。[略]これらの大衆が好んだのが、本物そっくりに描かれた正確な絵でした。〉中原佑介「タブローとパノラマ 二つの視座 -市民社会と世界空間の発見」 同 230~231p
〈近代の空間概念はアイザック・ニュートンやデカルトが考えたように、等質的あるいは均質的な空間でした。[略]近代知の[略]特徴は、主観と客観の分離にもとづく、意志の自由と客観性の成立にあったのですが、そのために主体と客体の相互作用が失われてしまったのです〉中村雄二郎「ルネサンスと人間の目の誕生 -等身大空間の発見」同82p
〈一五世紀の初期ルネッサンスの画家たちは、視点を定めて目前に拡がる視覚空間を眺め、線遠近法を用いて消失点を求めます。しかし、実際に描く場合には、視覚ピラミッドは単一なものではなく、個々の部分に分割された複眼的な視覚情報の集積が画面に構成されるわけです。われわれが実際にものを見るときには、視野のなかのすべての形象について、このような分析的・構成的な見方をすることはまず考えられず、より総括的、重点的に見るのがふつうです。〉神吉敬三「遠近法への反逆と挑戦 -ピカソの目をめぐって」同281p
〈われわれが、広々とした視覚空間を前にして、ルネッサンス絵画の線遠近法における消失点と思われるあたりを凝視するとします。そして、視界にある対象がわれわれの網膜に映るままにしてみます。[略]そうした主体的で不動の視法をとればとるほど、逆説的ですが、視覚は吸引力を増し、対象のほうはわれわれに接近してきます。そうでなければ、網膜には映らないからです。空気遠近法の成立は、まさに西欧における自我の確立とその発展に呼応して、画家の視覚の主体性が絵画のなかに明確に現れてくるプロセスでもあるといえるわけです。/空気遠近法が発明した絵画空間において、対象が硬さと輪郭を失っていく溶解度は、一九世紀後半の印象主義においてその極限に達します。[略]網膜に映った対象をそのままに描くことからさらに一歩踏み込んで、対象が網膜に与える印象を描く方向に進んだのです。〉同上281~282p
A)均質で分割可能な物理的・客観的空間概念の成立←→写実的「奥行き」の再現性 近代的主体の確立
B)意味・象徴性をまとった伝統的空間把握←→「奥行き」を意味する文脈的表現
A~B)の混交した空間表現 →マンガ?
補足
遠近法、絵の奥行き表現と錯覚 フィービ・マクノートン『錯視芸術 遠近法と視覚の科学』創元社 2010年
5)マンガの空間再現 2.5次元
図13 夏目房之介「マンガ的思想」1 京都精華大学文字文明研究所『文字』創刊号 2003年 226~227p
A)ボッテイチェリやウンザー・マッケイの再現している空間 B)完全な平面
C) A~B)の中間 薄い奥行きを持った2.5次元的な平面/空間の仮定
限られた顔の「向き」(空間再現性)に文脈的に「意味」を与えて「薄い空間」(奥行き感)を与える
=多くのマンガの中の空間では? (あるいは伝統絵画、線遠近法成立以前の絵画など ※冒頭の書も
元来平面の表現であるため、恣意的・選択的に両者を使い分けられる
図14 五十嵐大介『魔女』1 小学館 2004年 56p 大友以降の立体空間を再現できる手法
図15 同 157p 物語の中で不思議な森に分け入る場面 空気遠近法的なボカシによる「奥行き」
図16 同 168~172p 空間再現レベルの変容→伝統絵画的な平面性のコラージュによる混乱
平面の分割構成と「薄い奥行き」の関係
図17 吉田秋生『海街diary3 陽のあたる坂道』小学館 2010年 41p 立体空間に浮かぶ吹き出し
「奥行き」の印象を消した奥行き=空白の背景→「内語」=心理的な「間」の空間(平面といいきれない)
奥行きを対照的に描き、心理空間を「吹き出し」という平面に付着させる→別種の立体性
図18 椎名軽穂『君に届け』1 集英社 2006年 190~191p 「間」(余白)=内語の多い構成
余白の平面=読み手に任された「奥行き」の印象 →人物視線への移入と廻り込み(接近)
男女間の言葉(心理)のやりとり(文脈)による反転と距離感→光(空間の打ち消し→心理状態の比喩
→空(正面の平面ではなく、読み手の「仮想アングル」による「上向き」の「奥行き」感
図19 視線運動の模式図
立体空間の再現性を持たない平面画の並列構成(コマ枠=単線であることに留意)だが、余白と人物の視線という文脈、文字の配置によって、コマの構成そのものに前後の疑似空間性を持たせている
図20 夏目「マンガ的思想」2 京都精華大学文字文明研究所『文字』2 2004年 144p
本阿弥光悦「桜山吹図屏風」(江戸初期) 参照 夏目『書って何だろう?』二玄社 2010年 114~119p
〈言葉は[略]風景の観念と[見る]人のあいだに柔らかな遠近感をかもし出すノリみたいなものだ〉同 118p
文字も「遠近感」を担う 理念、様式としての風景は「奥行き」という意味を持つ
〈主体と客体の相互作用〉(中村)の文脈を「薄い奥行き」空間の連鎖で表現するマンガ?