【書評】『イスラム飲酒紀行』:本音と建前
紀行文と呼ばれるジャンルには、古くから名作が多い。その土地その土地の鮮やかな情景もさることながら、旅先で出会う人物や、料理も、魅力的な小道具となる。とりわけ酒をめぐるエピソードは、言語を超越したコミュニケーションとして描かれ、旅の記述をより一層魅力的なものへと昇華する。
本書もそういった紀行文に属するものなのだが、そのテーマは一風変わっている。おそらく世界で初めての、イスラム圏における飲酒事情を描いたルポなのだ。著者は、誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書くということが人生の目標であるという人物。その人となりは、ほとんどの章が、「私は酒のみである。休肝日はまだない。」という書き出しで始まっていることから察して欲しい。ちなみに今話題の本『困ってるひと』(大野更紗・著)のプロデュースを手掛けている方でもある。
◆本書の目次
ドーハの悲劇・飲酒篇 ~序章にかえて
第一章 紛争地帯で酒を求めて ― パキスタンからアフガニスタンへ
第二章 酔っ払い砂漠のオアシス ― チュニジア
第三章 秘密警察と酒とチョウザメ ― イラン
第四章 「モザイク国家」でも飲めない!? ― マレーシア
第五章 イスタンブールのゴールデン街 ― トルコ・イスタンブール
第六章 ムスリムの造る幻の銘酒を求めて ― シリア
第七章 認められない国で認められない酒を飲む ― ソマリアランド
第八章 ハッピーランドの大いなる謎 ― バングラディシュ
宗教と酒との関係は、その戒律によって両極端に分かれる。ユダヤ教やキリスト教にとってワインは重要な意味を持ち、なかでもキリスト教にとってはイエス・キリストの血を象徴するものである。イスラムにおいて酒は原則禁止だが、コーランのある個所では「酒に酔ってお祈りしてはいけない」と記されており、「何が何でもいかん!」というほどの迫力ではないそうだ。意外なのは仏教で、その戒律においてはるかに厳しく酒を禁止しているそうである。
著者の経験によると、個人レベルで中東で最も酒のみ率が高い気配は感じたのはイランだという。世界で唯一イスラム法学者が最高権威とされる「神の国」であり、国家レベルでは飲酒厳禁のはずの国である。これはイランが、現在はイスラム圏に属するが、いまだにイスラムがやってくる前の土着の習慣を残しているということによるものである。その長い歴史において、革命も酒の禁止も、つい最近のことでしかないのだ。伝統的に、華やかで繊細な文化をもち、著者をして「中東の京都」と言わしめるイラン。日本の京都と同様に、本音と建前の落差も大きいのである。
また、シリアでの話も興味深い。シリアの地酒を求めた著者は、キリスト教徒が造っている地元のワインに遭遇する。これがむちゃくちゃ美味しかったそうである。中東の多くの地域では国民もムスリムが多数派だが、少数のクリスチャンは以外によい待遇を与えられていることが多いという。旧イラクにおいてもサダム・フセイン大王の下で、外交を一手に引き受けていたアジズ外務大臣はクリスチャンであった。異教徒も、歴史的にイスラムのコミュニティにおいての不可欠な要素として、社会の大きな役割を担ってきたのである。
一見水と油のような関係にある、イスラムと酒。著者はその二つを追い求めることによって、結果的に双方を魅力たっぷりに描いている。じつに、お見事な一冊。
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