【書評】『聖地にはこんなに秘密がある』:質か、量か
近年パワースポットなどと呼ばれ、熱い注目を浴びている場所も、元をただせば何某かの信仰と結び付いている場所であることが多い。そのような聖地と呼ばれる場所が形成されるうえで、決定的に重要なのは祭祀である。祭祀が営まれ、それがくり返されることによって、その空間は聖性を帯びてきた。
一方で、数百万単位の人間を集める聖地が、それこそいくつも存在しているのは日本くらいであるという。われわれ日本人の多くは、無宗教でありながら、複数の神を信仰するという離れ業を演じてきた。本書はそんな日本の聖地を辿り、その秘密を解き明かしていく一冊である。
◆本書の目次
第1章 クボ―御嶽 @久高島
第2章 大神神社 @奈良
第3章 天理教協会本部 @奈良
第4章 稲荷山 @京都
第5章 靖国神社 @東京
第6章 伊勢神宮 @三重
第7章 出雲大社 @島根
第8章 沖ノ島 @福岡
どの聖地の場合においても、歴史を経るにつれて、聖地の姿は変わっていく。そこには聖地を作り、それを守っていこうとする側の意志と、それとは必ずしも関係なく、いったん成立した聖地を自分たちの都合に合わせて崇拝の対象にしようとする参拝者側との対立や葛藤が示されている。その信仰において、質をとるか、量をとるかという選択が求められるのである。
例えば、終戦記念日が近づくにつれて、ニュースで話題になることも多い靖国神社。その約一カ月ほどの前の7月13日~16日までのあいだ「みたままつり」というお祭りが開かれているそうだ。みたままつりには毎年30万ほどの参拝者があると言われるが、平均年齢は相当低く「ギャルの祭典」の様相を呈しているという。浴衣姿で夜店を歩く彼女たちの頭に、英霊を慰めるという認識は、おそらく皆無であろう。
一方で質を重視している例には、奈良の大神神社があげられる。この神社には拝殿はあっても本殿はない。本殿のあるべき場所には三輪山があり、この山全体がご神体とされている。拝殿の奥の「三ツ鳥居」の先は禁則地とされ、厳格に封印されている。何のために封印されているかというと、民間信仰に多く見られる「神仏習合」という神道と仏教の入り混じった状態を嫌っているのだ。かくも神様と仏様は、仲が悪い。
さらに、聖地と聖地の間の関わりあいに着目している点も興味深い。例えば、京都の稲荷山と奈良の三輪山などは、山中の構造がかなり共通しており、まるで双子のような関係であるそうだ。そのほかにも、聖地同士のあいだには、神話的、地理的、人的などさまざまな形でのつながりがあり、重要な意味が与えられているものが多い。
重ね重ね思うのは、日本人を無宗教と簡単に片付けることの、危うさである。信仰というものを、意識レベルで見るか、態度レベルで見るかによって、捉え方は大きく変わってくる。我々を守りしものは、ネットワークを形成するくらい、無数にあるということを実感する。
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