テクニックとメカニックは違う
演奏においてのテクニックとメカニック、一緒にされがちですが、実は違います。
メカニックは、物理的な運動性です。
どれだけより速く弾けるか、同じ音を、例えば一秒間にどれだけ多く弾けるか、などです。
また、オクターブをどれだけつかめるか、などもメカニックの類ですね。
(オクターブとは8度の音の幅で、この幅がとどかない手の小さい人はピアノをあきらめるケースも多い)
テクニックは、作曲家の書いた譜面から演奏者のイメージする表現を実現するためのものです。
有名なショパンの「子犬のワルツ」。
これを、まるで子犬が喜んで転げまわるように表現するのがテクニック。
とにかく目にもとまらぬ速さで、完璧に一つのミスタッチもなく弾くのがメカニック、というわけです。
数あるピアノ曲の中でも難曲中の難曲、ピアノ・テクニックの最高峰と言われている、リスト作曲「ソナタロ短調」。
しかし、奈落の底を覗き込むような恐ろしさ、宗教的な天上の響き、魂の雄大さ、高貴な精神、清濁併せ呑んだ人間愛、そしてこれ以上ないほどのロマンティシズム・・・!
これらを表現して初めて、この曲の真の意味が聴衆に伝わります。
とにかく弾くだけでも大変な曲なのです。
腕自慢のピアニストが良くとりあげることでも有名です。
コンクールでも、特にスラブ系男性ピアニストは好んでプログラムに入れてきます。
これを、完璧にすごい速さで弾きこなした人気男性ピアニストの来日演奏会を聴きました。
普通の人が、多少速さを落とさなければ弾けないような難所を、逆にさらにアクセルを踏み込んでテンポを速くするのです。
「ほら、私はこんなに弾けるんですよ!」
という言葉が演奏から聞こえてくるようでした。
弾き終わると「ブラボー」の嵐。
隣の席の音大生らしき女性たちは「なんというダブル・オクターブ!」「すごいテクニックだった!」「かっこよかった!」と言っています。
この場合、テクニックではなく、「メカニックがすごい」というほうが正しい表現だと思います。
私は、オリンピックの競技か何かを見ているようで、「ほう、猛烈に手がよく動くなあ、すごいなあ」と思いましたが、音楽的な感動がどうしても得られなかったのです。
85歳現役イタリア人ピアニスト、アルド・チッコリーニが、すみだトリフォニーホールで40分近くもかかる大曲、ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」を弾いたときのことです。
一つ一つの絵が個性を持って美しい音で紡ぎ出され、速いパッセージを軽やかで色彩豊かなタッチで表現し、より速さや機敏さ、悪魔的なニュアンスを感じさせてくれました。
テクニックとはまさにこのことだ、と感動しました。
85歳、肉体的な衰えもあると思います。
しかし、経験やテクニック、そして類まれなる音楽への献身で、どんなに難しい曲でも表現してみせてくれたところに、音楽の奥深さを感じました。