せっかくの仕事をただの作業にしてしまう人の習慣
仕事を渡して、そのせっかくの仕事を作業にされると、ちょっとがっかりします。
仕事が「仕事」になるか?「作業」になるか?
気持ちが入っているかどうかという言い方もできますし、自分の付加価値がつけられたかという言い方もできます。
なぜ、そのようにしたのか?
という理由がきちんとあれば、それを説明できますし、その説明が論理的でなかったり、何よりもお客さまのためにならなかったり、その仕事を任せた人の限界点までの工夫がなかったりすると、
手を抜かれた
と感じてしまいます。
作業をされてしまった・・・という感覚です。
手を抜く
というのは習慣化してしまいます。
手を抜かない人たちはプロとして高額な給与を獲得し、手を抜くとそれはすぐに周囲に伝わり仕事を任せられなくなります。
だから、給料は上がりません。
仕事に対してどのような姿勢で向かい合うのか?
ということで期待も上がりますので、次はもう少し難しい仕事を任せてみようかと考えます。
学生を見ていても、手の抜き方をすでに憶えてしまっている学生もいます。
典型的なパターンは、周囲の欠点を先に指摘して自分が手を抜くことが指摘されないようにすり替えるというパターンです。
それを憶えてしまうと社会人なっても常にその手法でごまかそうとしてしまいます。
なぜ、チャレンジしないのか?
というと、「臆病」という一言に尽きますが、誰しも失敗はしたくないですし、誰しも辛いことからは逃げ出したいと思います。
その逃げの気持ちを抑えるためには、
自分がその仕事を通じて何を成し遂げようとしているのか?
と真剣に考えることも重要ですし、
仕事を任せてくれた人はどのような思いで仕事を任せてくれたのか、ということを真剣に考えることが重要なことではないかと感じています。