受験生だなんて意識しない夏
そろそろ夏休みの時期も近い。娘にとってはまだまだ1年以上も先の話のはずなのであるが、進学教室の方が受験生というレッテルを貼り付けて、夏休みといえどもあの手この手で気を抜くなよとプレッシャーをかけてくる。受験生ね、ま、ちょっと早そうな気もするのだけれど、そういうことになるのだろうか。「中学受験のためにはX年生のXX休みが最重要」なんて言うけど、要するにいつもじゃないかと突っ込んだところで、親の不安を煽り立てる、いや受験への気分を盛り上げるための戦略を着々と実行するのがあちら様の常套手段である。最重要じゃない時期なんてないわけだ。
個人別の配布物を見ると、進学教室の情報分析技術もなかなかのものだ。過去の成績推移なんぞはあって当たり前、各科目の中で細分化されたカテゴリー別に得意・不得意の度合いをグラフ化したもの、さらには同程度の学力の生徒の中での比較と評価なんていうのもある。これがそのうちに志望校別合格可能性だけでなく、入試問題の傾向に合わせて補強するべき弱点分野の提示まで分析は進むのだろうか。ITの活用術の進化には感心してしまう。
夏休み期間中だって、何日間かの休みはあるものの、講習なるものがざっと延べ4週間もあるのである。これじゃまるで受験生だ。じゃなくて、受験生なら当たり前か。母親にとっては年中無休の有料託児所のようなもので、46時中家にいられるよりは良いらしい。そして進学教室のターゲットは子供だけに留まらない。保護者向け進学説明会なんてまだかわいい方で、親が子供のテキストとノート持参で、実際の授業内容を聞きに行く、なんてイベントもあったりする。親に算数の応用問題を説明してどうするんだと思ったのだが、出かけていった妻によると、子供が陥りやすいポイントを説明してくれたのだそうだ。ノートを見せてもらったら、確かに算数の問題と解法の解説が書いてある。要するに親も子供に教えられるよう準備をしておけ、そして適宜家庭できちんとバックアップしろよということなのだろうか。平日日中のイベントにも関わらず、何人かの父親もいたそうな。僕の方は一度妻に引きずられるように、保護者向け進学説明会なるものに参加したことがあったのだが、居眠りをしてしまい、「受験生の親として恥さらし」というわけで、同行禁止処分の身の上である。本当に退屈してしまったのだから不可抗力だと言い訳したところで、情状酌量の余地はないらしい。
周囲に聞いても自分の頃(昔)はこんなんじゃなかった、という声は多い。僕もそう思う。一方でニュースなどを見ると、ゆとり教育に対する反対派が勢力を盛り返しつつあるようである。そんな世間の動きを尻目に、進学教室に率いられた(?)一部が暴走し、一部が大幅に取り残されて学力低下だと騒がれ、結果として全体の平均学力は大きく変わらないまま推移している、というのが実情なのだろう。