たまには健康を考えてみる話
先日会社で健康診断を受診した。別に禁欲しているわけでもなく酒もタバコも飲まないし、メタボからは程遠い体格を維持しているのでまず心配することはない。検診直前の数日間は禁酒しなければといったように、受験直前の一夜漬けのような対策の話を周囲で聞くと少々気の毒ではある。結果もいつものとおりで、少々貧血気味という以外に指摘された点が無く、まあまあ丈夫と判定されたのはありがたい。吉田兼好の徒然草のどこかの一節に、友とするのに適・不適な人間にはどういうのがあるのかを述べた一節があったと記憶しているが、丈夫な人間は不適とされていたのを何故か思い出した。どういう理由だったのかまでは定かではないが、人の痛みやつらさを理解できないからなのかもしれない。
自身の体について全く顧みることのない生活を続けているのであるが、何を勘違いしたか過去に一度だけマッサージを受けたことがある。かつてハワイに出かけた時に、妻がどうしても一回試してみたいと言うものだから、暇を持て余しそうだったのでお付き合いをしたのである。
人の体に触れて、マッサージ師がまず言ったのは、べらぼうに肩が凝っているとのことだ。意識したことないし、別に凝っていると思ったことなんかないよと答えたところ、自分で一度触ってみろと言う。いやいつもの通りだと言うと、それは異常だ、一体何の仕事をしているんだとまで畳み掛けてくる。おせっかいなやつだなと思いながら適当に返事をしていると、これからほぐしてやるから期待してろよ、とばかりに力任せに(本当は手加減していたのかな)、押す、絞る、引っ張る、のしかかる、の繰り返しである。何か怨まれるような事を言ったことも無いのに、ただただ痛いばかりで骨はあちこちで軋んで音を立てるし、マッサージってこんなにつらいものだと思わなかった。金を払ってまでお付き合いするような事ではなかったと公開したが後の祭りである。途中で切り上げるなどと言おうものなら何をされるかわかったものではないし、あまりの痛みに相手の機嫌を損ねることなく中止できるようなうまい言い訳を考えている余裕もない。その一方で、金を払っただけのサービスは受けなければ、という貧乏根性は健在だったのである。
ようやく苦痛の時間が過ぎると、最後に自分の肩を触ってみろと言う。すると全くこれまでに無かった感触である。例えて言うなら新品の硬式テニスボールだったものが、マシュマロのような柔らかさになっている。心なしか肩が軽い。なるほど、僕は慢性的(と言うのが正しいかどうかはわからないが)肩こりだったらしい。さすがプロのマッサージ師は違うもんだと感心したのである。そしてマッサージを受けることで、僕は肩凝り持ちになったのである。
凝ったらまたおいでと言われてマッサージ師の元を後にして以来、しばらくするといつもの硬式テニスボール並みの硬さに戻ってしまった。たまに自分の肩に手をやると、その硬さに変わりはない。今でも自覚症状のない肩凝り持ちを続けているらしい。