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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

産地直売の話

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車検などの面倒なイベントがあったりすると、マイカーなんぞぜいたく品だから、街中に住んでいる身にとっては不要だなどと思ってしまう。だけど事はそう単純ではなく、陸の孤島はあるものだから、結局は車頼みの呪縛から開放されない。あまり説得力がないが、バスを待つのも煩わしいし、工夫しようとしていないのがいけないけれど、大きな荷物を運ぶにはこれしか選択肢がない。結局のところ、走行距離はわずかながら、この連休は我が家の車は下駄代わりとして近所の道を何度も走り回ることとなった。

車を運転していると、どうしてもガソリン価格表示が目に入る。近所で最も安いガソリン・スタンドでは、ようやく実質リッターあたり150円を切るところまで来た。180円に迫る勢いだったのが夢のようである。マスコミでは代替のバイオ燃料なんて言っているけど、どこまで浸透しているのだろう。需要急増に伴って、原料のトウモロコシの値段は急騰しているなんて聞いたことはあるのだけれど、本当なのだろうか。

かつて住んでいたアメリカのミネソタ州ロチェスターという町は、大草原の真っ只中にある。この町の写真集なるものがあって、まあ思い入れのある人以外には用のないしろものであるが、たかだか10万にも満たない町であるにもかかわらず、郷土意識を高めるのに一役買っている。ロチェスターに何か特色があるのかと問われると、Mayo Clinicという大きな病院とIBMの開発部門と工場があるという以外に何もない。この程度のものでは特色とは言えるレベルに達しているとは言い難い。そして件の写真集で何の変哲もない町のシンボルとして掲載されているのが、緑と黄色でトウモロコシの絵模様が描かれた給水塔なのである。

町を一歩外に出ると草原では牛が放牧されていたり、家畜の餌を主目的としているのだろうか、確かに地平線まで続くトウモロコシ畑が広がっていたりする。これだけの広さの畑があるので、夏ともなると近所のスーパーでは大量に商品として販売される。原価が限りなくタダに近いためか、入り口近くにもいだままの状態で山と積まれており、ビニール袋とはいだ皮を捨てるための大きなゴミ箱と料金箱と10本1ドルと書かれた札が無造作に山の脇に掲げられている。料金をきちんと払っているのか監視する人もいない。要するにわざわざ売り場に運ぶのも面倒だし、人手をかけるまでもないので勝手に持って行けということなのだ。トウモロコシ1本が10円そこそこになるわけだから、日本のスーパーの特売価格の10分の1程度のものだ。しかしいくら安いからといって、幼児を含めても3人しかいない家庭に10本のトウモロコシは多過ぎる。しばらくは「家畜」のように、トウモロコシ漬けの日々である。

このいくら食べても減らない、少々雑に扱われていたトウモロコシは今はいくらになっているのだろう。スーパーの入り口脇のトウモロコシの山と、金を置いて勝手に持って行け方式の売り方は、僕にとってはアメリカの夏の風物詩でもあったのだ。

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