マカオの印象
何を間違えたか、お盆のシーズンにマカオに出張に来ている。アジア地区全体のお客様向けイベントなのであるが、日本の事情は全く省みられていないらしい。僕の今年の夏休みはいったいどうなるのだろう?いやもしかしたら、家にいても行くところがなくて邪魔者扱いされて困るだろうから、出張という名目で家族の冷たい視線から避難させてあげようという、ありがたい配慮なのかもしれない。
マカオは初めてである。香港まで飛び、フェリーに乗り継いで1時間弱といったところか。香港行きの飛行機に乗る際に預ける荷物にはマカオ行きというタグは付かない、というか付けられないらしい。しかも香港で荷物を一旦引き取ることもできない。タグはあくまでも香港行きであって、フェリー乗船の手続きをすると空港側でマカオ行きタグに付け替えてくれて、荷物はそのままフェリーに積み替えられる。良く言えば乗客の手間要らずと言えるが、実際のところはマカオ上陸時からギャンブルが始まっているような気分である。フェリー下船時に自分の荷物と再会を果たした時は、ほおずりをしたい気分であった。
日本での生活は、鉄板焼きのフライパンのようであったので、南方のマカオはさぞかし灼熱地獄に違いないと思いきや、気温はそうたいしたことはない。最高でもせいぜい30度程度のものである。問題は気温よりも湿度であって、外を歩くとべっとりとした空気が顔や手だけでなく、首筋や足元からも侵入して来て体中にまとわりついてくる。見えない巨大な化け物の舌に絡め取られようとする時は、こんな気分なのかもしれない。観念してしばらく外にいるとじきに慣れるのであるが、クーラーの効いた部屋に入ると二度と外に出たくないと思ってしまう。
マカオと言えばギャンブルの町という印象が強いが、例えばラスベガスと比べると大分違う。確かにSandsとかGrand Lisboaなど豪華絢爛であるが、それらの隙間や裏手に蠢いているのは中国のバイタリティーである。東京などの感覚から見れば、お世辞にもきれいとは言えない雑然とした小道を、大声で行き交う中国語は何を言っているのかさっぱりわからないが、勢いのようなものを感じる。何故だろう。日本語のイントネーションは全般的にはだら下がりのように文を終えるのに対して、中国語のそれは少なくともフラット、もしくはトーンを上げながら終えるからかな。だから話を聞いた方も何かの応答を返さなくてはならないような、急かされる気分になってしまうからだろうか。
街中を少し散歩したのであるが、ポルトガルの息吹が感じられるのは一部の建造物の類だけのようだ。じわじわと何者をも蝕んでゆく中国のバイタリティーは、かつての中心部セナド広場周囲にも及んでいる。建物はポルトガルでも、入居しているのは中国だったりする。マカオの湿気のように、即効性のあるダメージには至らないが、ふと気が付くとどうにも取り返しのつかない事態になっている、そんな毒気に負けそうである。