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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

納豆食って納得

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いや最初から済みません。娘が好きな駄洒落を勝手に引用しました。

最初はスーパーの棚からの消滅騒ぎであったが、ついには番組取り止めである。社長が頭を下げたり、関係者が処分されたりと大層なことであった。納得している人なんか、きっといないだろうな。

それにしてもと思うのであるが、誰か被害にあった人がいるのだろうか?納豆が3度のメシと同じくらい大好きなのに、どこへ行っても買えなかった人には気の毒なことであった。例えばふりかけを販売している人は、競合製品(ふりかけと納豆が市場において競合関係にあるとすれば)にあっという間に市場を席巻されてしまったので、一時的にせよ悔しい思いをしたかもしれない。納豆メーカーはこれで需要拡大が望め、ここぞとばかりに大増産体制に入ったとたんに需要が一気にしぼんだとすれば、在庫のだぶつきに悩まされることになるだろう。でも、こういう人達が損害賠償を求めている、というわけでもなさそうである。

番組を信じて番組で紹介されたとおりの方法で納豆を食べた人達はどうだろうか?事件発覚前までは結構自己満足に浸っていたのではあるまいか。公共の電波を通じて発表された、アメリカの大学教授というアカデミックの極みのような人のコメントを盲目的に信奉し、ありがたいガイドに忠実に従うとは何と素晴らしいことなのだろう。しかもその報酬として、ダイエットまでできてしまうのである。さらに周囲には同様の信者がいて、仲間と共に儀式に励むことができるのである。

結果的に番組終了後に裏でペロリと舌を出していた人が見つかってしまったわけであるが、番組を信じていた人の最大公約数的感情は、新聞等を読むとどうやら怒りとか落胆とか戸惑いであるらしい。直接的に何かの被害にあったわけではない。ただ番組中に展開されていた論理が、実は非科学的で都合のよいように歪められていたのがけしからんと言っている。信じていたのに裏切られた。これまでに登場した似たような話題も、どこまで信じてよいのやらわからくなってしまった。お気の毒様としか言いようがない。

騒動のネタとなった番組を作った人達に理はないことは事実なので、神妙に頭を下げるしかないわけであるが、実は「皆だってしばらくは幸福感に浸ることができたではないか」と本音のところでは思っているかもしれない。科学性なんかどうでもよいから、一時的な充実感や幸福感に浸るためのバラエティーだと割り切れば、それなりに価値のある番組であったと言えるかもしれない。ましてや疑惑の過去をほじくって、味噌やレタスが体に良いと論証したのはでたらめでした、なんて事実を露見させたところで、落胆する人達が増えるだけのことだ。いっそこのままくさいものにフタをして、疑惑を永久に葬り去った方が世間は平和である。いやいや、この場は真実を解明するべきだとの主張の方が正論なんだろうな。

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