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ある学級委員の告白

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私は学級委員を2回やったことがあります。
 
1回目は、古めかしい木造校舎だった小学校の4年生の時。
その小学校の学級委員は男女ペアでした。
ある日のホームルームで、私は男の子の学級委員の子に糾弾されたことがあります。
 
「山田さんが、学級委員なのにストーブの石油を変えません。」
 
そう、石油ストーブの石油を変えることは学級委員の仕事だったのです。
石油ストーブが嫌いだった私は男の子の方の学級委員に頼んでやってもらっていました。彼はそれに対して私には何も言ったことがなかったのに、いきなりホームルームで不満をぶつけてきたのです。
 
ガーン、、イヤだったのなら、私に言ってくれれば良かったのに・・・と思っても、後の祭り。ま、ズルいと思って当然です。学級員同士の仲間割れで、しかも完全に彼の言い分が正しいかった。そうして、私はクラスみんなの前で学級委員失格の烙印を押された(ように感じました)。その日は、コリー犬がキャンキャン吠えるいつもの田舎道を、下を向きながらトボトボ帰ったのを覚えています。
 
その後、あっちに転校したりこっちに転校したりして、ふたたび学級委員をやることになりました。
中学3年生の時です。
 
中学生になった私は、自分で仕事をみつけることができる年になっていました。
ある日、ホームルームの時間になって先生が来ても着席しない生徒がたくさんいることが問題になったことがありました。そこで、私はルールを作り、着席しなかった生徒には窓ふきの罰を与えることにしたのです。その間みんなは座って待ち、窓ふきが終わってからホームルームを行うという、誰か違反した人のために皆が待つというプレッシャーを与える、イヤな罰でした。これで間違いなくみんな着席するだろうと踏んでいました。
 
ところが、なんと初日に一人が着席しなかったのです。
バスケが得意な背が高い、少しやんちゃで、でも心優しいO君。みんながシーンと黙って座って待っているなか、彼は一人で教室の窓ふきをしました。彼の申し訳ない顔、急いで窓を拭く姿を今でも覚えています。きっと数分のことだったと思いますが、彼の不憫な姿に、ものすごく長い時間に感じました。
 
次の日から、席をたっている生徒は誰もいなくなりました。
 
恐怖政治のようなルールを作った私はかなり落ち込みました。ルールを作る側には責任がある。
 
今思うと、あの時にO君が窓を拭くのを私も手伝えば良かった。
 
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