ソフトウェア供養
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ずっと昔、高校の家庭科の実習で浴衣を縫っていた頃、先生が、針供養なるものがあると教えてくださった。「裁縫中に折れた針は、捨てずにまとめておいておき、針供養しなさいね。」と。
裁縫が得意でもなかった私は、もちろん針をよく折ったりもしたが、結局針供養に行かないで済ませてしまった。
去年大徳寺を訪れて、茶筅供養なるものがあることも初めて知った。使い古した道具を「供養」というイベントで送るというのは、ゆかしいものだと感じた。
ソフトウェア業界で過ごした過去10数年を振り返り、ふと「供養」という言葉がよみがえってきた。バージョンアップするたびに、古いバージョンのソフトウェアを送ってった。今時、Word 1.2が動くパソコンなんか存在しないだろう... 過ぎ去ったバージョンのソフトウェアを、今更心の中で「供養」してみようか...
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