自分のためだけでなく、日本のために留学した世代
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シアトル在住の日本人女性として大先輩にあたるNさんからいろいろお話をうかがう機会があった。
「私がアメリカに学部留学したのは1962年よ。外貨持ち出し制限があって、海外からの奨学金がなければ留学できなかったの。」
「留学した翌年に、ケネディ大統領の暗殺があったのよ。ベトナム戦争反対の運動も学生の間で激しく、命を落とした人もいたわね。今シリアなど中近東で起きているようなことが、アメリカでも起こっていたの。今から思うと、歴史を生きてきたのね。」
「あの頃の日本人留学生は誰も、ただ自分のために留学しているという人はいなかった。みんな、日本のために留学しているという意識があったわね。」
1962年といえば私が生まれた年。先輩方は、こういう気概をもって太平洋を渡ったのだと、初めて知った。当時は船で。
人はすべからく歴史を生きている。それを実感するかどうかは、その人にかかっている。そして、実感するためには、やはり、自分より大きい何かのために自分は存在する、というような意識が必要なのだろう。Nさんの言葉はずっしりと心にきた。
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