光造形を日本で初めて導入した山田眞次郎が、3Dプリンターで「産業革命」が起きるか検証する。

パナソニックは日本企業再生の道しるべか?

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パナソニック津賀社長の「負け組み」発言(昨年10月31日)
 昨年10月31日、パナソニックの津賀一宏社長は、2013年3月期通期の業績見通しを、500億円の黒字予想から一転、7,650億円の赤字に引き下げる発表をしました。 
  そのとき、津賀社長は「もはや、うちは負け組みである」であると発言しています。
  私は、赤字の額よりも、この発言の方に衝撃を受けたことを覚えています。それ以来「80年代にアメリカの家電産業が消滅したのと同様に、今度は、日本からも家電産業は消滅するんだなぁ」と単純に考えていました。
 社長自らの「負け組み」発言は、社員に大きな影響を与えたと聞きます。「あれだけがんばってきたのに、俺たちは負け組みかぁ」と、社員のモチベーションはガタ落ちだったようです。多くの人もこの発言に失望したでしょう。

 しかし、1年経った今、津賀社長の「負け組」発言を振り返ってみると、私には、全く違う意図が見えてきました。

パナソニックは日本産業の抱える苦難の象徴
 私は、パナソニックは、日本産業が抱える苦難を象徴していると思っています。
1995年以降、日本のGDPの成長はピタリと止まり、貿易赤字からの脱出はもはや不可能な状態になりつつあります。戦後の高度成長を支えてきた日本産業が、各時代に共通して抱えていく時代の変わり目の起きる問題に、パナソニックやシャープが、今、直面しているのだと思います。


 1971年に、米国は、19世紀から80年間続いた貿易黒字から貿易赤字に転落しています。それ以来、米国は貿易黒字になったことはありません。米国が貿易赤字に転落した原因は、日本の台頭です。戦後の焼け野原から、繊維、鉄鋼、造船、家電、自動車と日本の産業は見事な復興を遂げました。アメリカは、これらの産業で、次々と「メイド・イン・ジャパン」に負けていったのです。米国から、鉄鋼高炉がなくなり、家電産業は完全に消滅し、ついには、100年続いた世界一のGMが破綻するまでに追い込んだのです。

 しかし、アメリカにおきたことと同じことが、タイムラグをはさんで、日本にも起きています。
繊維はずっと昔に負けました。造船は、今や、世界の生産額の70%が中国と韓国で、日本は14%ほどです。鉄鋼も粗鋼生産で中国は44%に対して、日本はわずか8%ほどです。「鉄は国家なり」といっていた新日鉄と住友金属が合併しないと生き残れない時代になりました。いずれも、かつては米国が、次に日本が、世界一の座についた産業でした。


順番からして、今度は当然、家電の番です。

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 このグラフは、2010年に経済産業省から発表された、「新産業構造ビジョン」の中で、いかに、日本の電気産業が急激にシェアを落としているかが説明されています。液晶パネルだけを見ると、93年には、日本のシェアは100%でしたが、03年には10%程度まで下がっています。このグラフを見ているはずなのに、2005年に、シャープは、3500億円を投じて第二亀山液晶工場の建設を始めています。2007年には、パナソニックが、2700億円を投じて尼崎プラズマ工場の建設を開始しています当時は、それを批判する論調はあまりなかったと記憶しています。両社にとって、この決断が最後の引き金となったことは明白です。

2013年11月18日付け、パナソニックの「欲しい人材、いらない人材」
 先月、11月18日付け「プレンジデント」で、津賀社長のインタビュー記事がでています。タイトルは「欲しい人材、いらない人材」記事を読んでみましたが、人材のことは明確には書いてありません。再生計画の詳細は回答されています。ほぼ本文を引用して要約すると以下のようになります・・・

【理念】
① お客様へのお役立ちが最大化できる会社
  私たちが目指す経営は、「お客様へのお役立ちが最大化できる会社」であり、それがいい会社の定義です。

② これまでの価値観を捨てる
  今は改革のとき。「いままでのパナソニックのマインドは捨てていい」「事業をやるのならば徹底的にやろう」というのが私の考え方です。私は、パナソニックのこれまでの価値観を、必ずしも良しとはしていません。とくにいまは改革の時期なので、そうした考え方が必要です。

【社員へのメッセージ】-すべてが対等-
私の最大のメッセージは、49事業部はすべてが“対等”であるということです
そして、事業部が対等に競い合い、Cross-Value Innovationとして連携し合う。そこで新たなモノを生みだしてほしい。

【事業方針】-家電・住宅・自動車の3本足打法のB to Bでいく-
 車載事業をやり、住宅事業もやり、家電事業もやっている。これらが組み合わさることで、パナソニックでしかできない提案、商品、事業が生まれてくる。だから、こんなお役立ちができるというのが、パナソニックが目指す「ユニークな会社」です

【組織方針】-今年4月から事業部制の復活-
 再編した49事業部のうち赤字なのは8事業。なにが問題であるのかを明確にして、赤字解消に向けて取り組みはじめたところもあれば、残念ながら赤字脱却への道筋が見えない事業も2、3ある。

【人材】-スピード感・個人プレー・オリジナリティ-
 結局、突き詰めれば、パナソニックに1番欠けているのがスピード。スピードを出そうとすれば、なにが必要か。プライオリティの付け方が適切でなくてはいけない。そのためには、自分たちにとってなにが大事なのか、なにがチャンスにつながるのかといったことを頭のなかで整理しておく必要がある。
 
1. もっと「個人プレー」を重視しなくてはいけない。
 組織がスピードを上げるのは難しいが、個人がスピードを上げることで、ほかの個人のスピードにも影響を与え、組織のスピードが上がることになる。スピード感を実現するためには大切な要素だと思っています。

2. 我々にとって、いまこそ個人プレーが必要です。
 いまの当社の役員を見ても、社員や外部から評価される人は、個人プレーができる人です。従来型の仕組みのなかでは、個人プレーができずに出世してきた人もいるだろうが、もうそれは通用しない。その価値観も変えなくてはいけないと考えています。私は、次の役員を選ぶときには、個人プレーができるという要素は外せないと考えています。

3. 役員について課題があれば、すぐに代える
 役員については取締役会の承認だけで代えることができます。より透明性を持ったプロセスを確立すれば、いつでも異動はありです。事業部長に関しても課題があれば、すぐに代えることは辞さない。これもスピードのひとつです。

4.「オリジナリティ、ユニークネスが1番の価値である」ということです。
 どれだけ自分のアイデンティティを発信できるのかが重要であり、私自身もそういうふうになりたいと思っています。

 あえて、一番下の「人材」に関係しそうな文章はすべて取り上げました。これを見ても、人材に関しては、「役員はいつでも取り替える」「欲しい人は、スピード感を持ってアイデンティティーを発信できる個人プレヤー」ってところです。

 この記事を読んで、今、冷静に考えてみると、約1年前に、日本産業史に残る、大幅赤字への転落の日に、津賀社長は、「うちは負け組みだ」と、自らが言わなくても誰でもが連想できるようなことを、何故、わざわざ言ったのだろうとの疑問が湧きました。

アメリカから家電産業が消滅したときは、どうだったのか?
 1889年に、エジソンによって設立された、世界一の電気メーカーだったGEは、約100年後の1980年代に家電産業を撤退しています。GEは、こうして体を変えたことで、ニューヨーク証券取引所の中で、100年以上生き残っている数少ない企業になっています。

 2001年に慶応の三田キャンパスで行われた「ビジネススクールの生徒とジャック・ウェルチ氏との討論会」に参加したことがあります。ウェルチ氏は、「皆さんは、MBAの学生なんだから、通訳無しでやろうと」と、GEがテレビ事業の撤退を決めたときの心境を英語で話されました。

「私が、GEのCEOに就任して初めて本社に出社する日の朝のことだ。私は、南部の工場から転勤して本社のあるコネチカット州に越してきた。出社する前に、これから、初めての住む町の家電量販店を覗いてみた。そこには日本製のテレビがたくさん並んでいた。そこで見たSONY製のテレビの価格は、GEのテレビの原価より安かった。それを見て私は、社長として本社に入る前に、テレビ事業の撤退を決めていた。」

 私は、ウェルチ氏のオーラを感じたくて、前から3列目で聞いていましたが、彼が舞台の上を、人差し指を立てて、コツコツと歩きながら、あっさりと「出社前に、撤退を決めた」と話したのに、とても衝撃を受けたことを覚えています。

 ウェルチ氏がCEOに就任したのは、1981年と書いてあります。実際に、電気事業の売却を始めたのは、1986年あたりからです。その日の朝に決断したとは言っていましたが、調べてみると、1986年には、ビデオ・デッキ事業で失敗した家電のRCAをGEが買収合併しています(RCAは、1919年にGEから分離独立した家電メーカーです)。しかし、翌1987年には、RCAの家電部門を売却しています。このあたりが、GEの本当の家電事業の撤退の始まりだったのではないでしょうか。撤退を決めた後のRCAの買収は、松下幸之助氏の弟が分社独立した三洋電機を、松下電器が買収したことと重なります。星が消える前には、まるで赤色巨星のように肥大するかもしれまません。

ジャパン・バッシング 
 私は、1986年、ちょうどGEが家電を撤退し始めたころに、デトロイトに駐在することになりました。三井金属に勤めて、自動車部品の設計者だった私は、自らデトロイト支店を開設し、支店長として就任しました。ビッグ3の仕事を取りに行ったのです。88年には、クライスラーと10年間で1000億円の契約を取り付けました。私は有頂天でした。まったく取引のなかった日本メーカーを、クライスラーが受け入れてくれたことについて、「日本の技術は強い。アメリカって国は、懐は深いが脇が甘いな」って言って回っていたくらいです。

 私が赴任した当時は、日本製の製品に対してのジャパン・バッシングが最悪の時期でした。電気製品だけでなく、自動車の都デトロイトにおいても、人生で初めて渡米した私のような日本メーカーが、わずか2年で、仕事をさらっていくくらいですから、気持ちはわかります。実際に、私が仕事を取ったことで、それまで、クライスラーに納入していた英国とカナダの2社の、それぞれ600人の工場が2つ潰れました。私たちも、よく通っていたデトロイトの12マイルあたりのレストランで、日本人と間違えられて中国人が射殺されたこともあります。1986年当時は、そのくらい、流れ込んでくる日本製品に対して、アメリカの「ものづくり産業」は防戦一方の時代だったのです

 日本車の輸出で工場が閉鎖になったデトロイト周辺の町では、UAW(全米自動車労働組合)の労働者たちによって、自分たちの職を奪った憎き日本車を、ハンマーで打ち壊すパフォーマンスが、日本のテレビでも報道されていました。

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 1987年には、東芝機械によるココム違反があり、東芝の不買運動が始まりました。その見せしめとして、ワシントンで国会議員が、東芝のラジカセをハンマーで壊すパフォーマンスをしました。(ココム違反:冷戦たけなわの当時は、高精度工作機械を共産国に売ってはいけないという、ココムという取り決めがありました。東芝機械が、9軸の工作機械をソ連に売ったことで、ソ連の潜水艦のスクリュウー音が格段に小さくなったとのことに対しての反発です)

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 GEが家電事業のRCAをフランスの会社に売却したのは1986年です。その後、ウェスチンハウスなど大手家電メーカーが、いっせいにアメリカから消滅する時期だったから、工作機械ではなく、憎き日本の家電ラジカセをハンマーで叩き壊したのでしょう。

「ものづくり産業」にとって、ジャパン・バッシングとはなんだったのか?
 80年代には、あれほど騒いだジャパン・バッシングは、今はもうありません。
 なぜなら、1986年のGEの家電撤退から始まり、アメリカ最後のテレビメーカー・ゼニスが、1997年にLGに買収された時点で、アメリカの家電産業は消滅したのです。自動車産業でも、今は、日本車がアメリカ市場のシェア40%を占めています。まるで、日本メーカーが勝ったように見えますが、日本からの輸出台数は86年の350万台から94年には160万台まで減少います。それは、日本自動車メーカーが、1982年のホンダのオハイオ工場をかわきりに、アメリカへの工場移転が始まっていたからです。


 今や、アメリカ生産の日本車は、アメリカ国内からの部品調達率は100%近くなっており、労働力も材料もアメリカ内部で調達しているのです。したがって、輸出をほとんどしないアメリカ自動車産業は、労働者の数も、材料代も、ほとんどアメリカの中でお金は流れており、自動車産業の資本の40%が日本になっただけなのです。

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 先ほどのハンマーで日本車を壊している写真を見ると、前に立てかけてある看板には、「UAW says “If you sell in America, Build in America”」と書いてあります。「売りたきゃ、アメリカで作れ!」です。日本メーカーは言われたとおり従ったのです。アメリカ人を雇い、アメリカで生産される部品を買っているのです。電気産業は消滅しましたが、自動車産業はアメリカ国内生産に移ったので、もうとやかく言う必要はないのです。

 60年代にはアメリカの自動車市場は、ほぼ100%アメリカ自動車メーカーが持っていました。今は、50%です。アメリカ自働車メーカーは弱体化したのです。アメリカの自動車販売台数は、リーマン・ショックで数年落ちましたが、今年は1550万台規模まで回復し、1908年のT型FORD発売以来、自動車産業の規模は成長し続けているのです。弱体化したのは、アメリカの自動車産業ではなく、チャプター11になったGMやクライスラーのような、自国資本の自働車メーカーなのです。


1986年から1993年でアメリカは産業構造を変えている
 私は、11月26日に、SFC(慶応湘南藤沢キャンパス)を創設された井関利明先生(慶応義塾大学名誉教授)と一緒に、「思考(日本企業再生のビジネス認識論)」というタイトルの本を出版いたしました。昨年末から、約1年間で50日を一緒に過ごし、対談を本にまとめていきました。私たちは、送り迎えの車の中を含め、1日に12時間話し合いました。
テーマは、「日本産業の閉塞感の原因。そして、その再生への道」でした。

 先生と対談をしていたある日、「アメリカ人はジャパン・バッシングといえば、どうして自動車やラジカセをハンマーで壊したのでしょう?」、という話になりました。本には書いてありませんが、井関先生は、とてもユニークな見方をされていました。

 「あれはねぇ、山田さん、日本に向けたパフォーマンスではなく、アメリカ国民に向けたものだったのではないでしょうか。アメリカという国が、屈強な労働者を雇って、“もう、アメリカは、自動車やテレビでは生きていけないから諦めろ!新しい産業に切り替えろ!”ってことを、国民や、その産業で働く労働者に示すために、自動車やラジカセが象徴する産業を、ハンマーで壊させたと、考えてみたらどうでしょう。負け組産業の労働者が、ハンマーで日本車を壊しているのを見ると、アメリカ国民は、“もう自働車や、家電産業では生きていけないんだぁ“、ってしみじみと、感じたと思いますねぇ。」

1985年「ヤングレポート」
 1985年、J. A.ヤング氏(米Hewlett-Packard Co.社長)を委員長として「ヤングレポート」が提出されています。

「1980年代、自動車、鉄鋼、半導体等の分野における我が国等との競争により、大幅な貿易赤字を抱えるに至った米国は、様々な対策を講じたが、その中の代表的なものとして、1985年に競争力評議会が取りまとめた“ヤング・レポート”が挙げられる。
・・・、同時に、米国は、新たな先端技術のフロンティアに対する取組も加速させてきている。クリントン政権における全米情報基盤(NII(注))構想の1993年の発表など、米国はIT、バイオテクノロジーなどの新たな分野の研究開発の振興を強く打ち出した。今日、これらの分野において米国が世界を大きくリードするに至っている。」(コラム7 「ヤング・レポート」に見る米国の競争力政策:文部科学省コラムより)

日本は、今が1985年?
 アメリカは、80年代に、電気産業と自動車産業を諦めたのだと思います。戦後の日本は、90年までに、その2つの産業でアメリカに勝利し、世界一になりました。しかし、GDP(ドル建て)を比較して見ると、勝ったはずの日本の成長は1995年でピタリと止まっています。負けたはずのアメリカのGDPは、一瞬のかげりもなく成長し続けています。

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  1995年には、日本のGDPは、アメリカの70%までに迫っていました。しかし、今では1/3です。

 1985年あたりまでは、アメリカの産業構造は、日本と同じように、家電や自動車が大きな産業だったはずです。日本バッシングをしていたことが、何よりの証拠です。今では、テレビも、時計も、カメラも、ビデオも作っていないアメリカ。しかし、アメリカは、GDPの成長速度を落とすどころか、むしろ成長速度上げています。GDPの成長速度まったく落とさずに、985年から1995年あたりまでの間に、アメリカは産業構造を変えていったはずです。

なぜ、日本人は、ジャック・ウェルチのように気がつかないのか?
 ジャック・ウェルチは、社長になる朝、家電量販店に行ったら、日本製のテレビが並んでいました。しかし、昨年、津賀社長が、社長になる朝、家電量販店に行ったとしても、そこに並んでいるのは、日本製のテレビばかりです。世界シェアの40%も持っているサムソンやLGのテレビはほとんど並んでいません。自動車も然りです。2012年の国内販売台数は520万台ですが、輸入車は24万台と、約5%です。国内で、日本国民に見えるのは、日本製のテレビと、日本製の自動車ばかりです。これでは、パナソニックやシャープが大騒ぎするまで、日本の「ものづくり」は強いと思いこんでしまいます。

津賀社長は、なぜ「われわれは、もはや負け組み」だといったのでしょう?
 UAWには、自分たちの職を奪った、ハンマーで叩き壊す製品が目の前にありました。しかし、日本には、壊すべき敵は入ってきていません。サムソンは、日本に入ってこないまま、世界では、パナソニックやソニーに勝ったのです。日本に暮らす30万人のパナソニックの社員のうち、何人が、UAWのように、日々、自分たちの製品が負けていっていることを実感できたでしょうか?国民も同じです。日本製の製品に溢れた日本で暮らしていると、まるで茹で蛙のように、2003年には、すでに液晶パネルでさえ世界シェアの10%を切っているのに、2007年に、まだプラズマ工場に投資をして、熱いお湯を足すようなことをしていったのでしょう。

 津賀社長が、「われわれは、もはや負け組みだ」と言われたのは、井関先生が言われたとおり、UAWや国会議員が、ハンマーで叩き壊したパフォーマンスと同じで、国民や社員に向けて、「もはや、われわれは、家電産業では生きてはいけない」とのメッセージだったのだと思います。

「ほしい人材、いらない人材」というタイトルは?
 プレジデントの津賀社長へのインタビュー記事には、「欲しい人材、いらない人材」というタイトルが付いています。上述したように、本文の中に、明確にいらない人材のことは書いてありません。

 パナソニックに勤めている友人に、このタイトルと、記事の内容を、どう思うかと聞いたところ、「ハイブリットで、すでに自動車はやっているし、パナホームや旧松下電工は住宅関連だし、それと家電との3本足打法っていっても、今と何も変わらない。昨年の負け組み発言以来、優秀な人ほど、会社の将来はないから早く辞めようと思っている。津賀社長の思惑とは逆に、むしろ“欲しい人材は辞めて、他で役に立たない人材が残る”」と話していました。これを聞いたときは、私も、「そりゃあそうだ」と思っていました。

もし、津賀社長がジャック・ウェルチだったら
 しかし、もし、津賀社長の「負け組み」発言が、「もう家電ではでは生きていけない」との、国民や社員に向けての、ハンマーで叩き壊すパフォーマンスだったとしたら、どうなるでしょう。
  パナソニックの中で、これまで優秀だと自負していた社員とは、技術で言えば、テレビの開発をよく知っている、あるいは携帯の開発をよく知っているような人たちです。いくら優秀でも、家電をやめるとしたら、その人たちはいらない人材です。テレビや携帯の企画や営業も然りです。テレビや、携帯において優秀な人は、もはや、いらない人材になるのです。欲しい人材とは、これまでのパナソニックでは考え付かなかったことを発想する人材ではないでしょうか?今は、そんな人はパナソニックの中にはいない。なぜなら、30万人もいて、今まで、誰一人、起死回生の道を提案できなかったのですから。


 ジャック・ウェルチは、「CEO就任の朝、量販店で、ソニーの価格を見て、テレビ事業を撤退を決めた」と言われました。そのとき、私は、10分くらいで決めたように受け取りました。しかし、物事はそんなに単純ではなかったでしょう。もっと、もっと前から、テレビ事業をどうするかと、この2年間ほど、パナソニックが行っていたように、多くの議論がなされていたことでしょう。

 ジャック・ウェルチ氏は、化学専攻です。GEは大きなプラスチック部門を持っていたので、彼はそこの出身かも知れません。「テレビ事業は自分で育てた」との思い入れはなかったのかもしれません。

津賀社長の経歴は、コンピュータ・サイエンス専攻で、職歴を見ると、マルチメディア開発センター、 AVネットワーク事業、デジタルネットワーク・ソフトウェア、オートモーティブシステムズと、一貫してB to Bで活躍してこられているようです。
 今年の6月末に、就任してわずか1年で、大坪文雄代表取締役会長(63歳)は、退任して特別顧問に就任しています。大坪氏はテレビパネルの工場建設や三洋電機買収など大型投資を次々と実施した人だそうです。
  テレビ事業を育てた思い入れを持っている大坪会長を退任させることで、テレビ事業を育てた思い入れのない津賀社長が、ジャック・ウェルチのように、過去の未練に縛られずに、家電を大幅縮小するような大鉈を振るのではないでしょうか。


 スピード感、個人プレイ、オリジナリティー、役員について問題があればすぐ変える。
「欲しい人」とは、残って欲しい人の意味ではなく、これから、新たにパナソニックが必要とする人であり、今、パナソニックにはいない人のことだと思います。いらない人とは、すでに携帯事業撤退などで始まっている、これまでの古い産業を支えてきた人たちのことでしょう。津賀社長が、この言葉を実現するなら、1917年に二股ソケットから始まったパナソニックは、100年目には、GEのように復活すると思います。

選択と集中
 ジャック・ウェルチは「集中と選択」との方針で、その産業分野で1位か2位でなければ撤退しました。これは、儲からない事業はやめて、儲かる事業に集中すると受け取られがちです。しかし、日本で行われた、ジェフリー・イメルト氏の社長就任パティーの席で、「GEは、“集中と選択“といって、どんどん撤退するように思われるかも知れませんが、GEは、今や、年間に何百という会社を買ったり、売ったりしています。われわれは、以前よりもっと速い速度で、新しい分野を拡大しているのです。われわれが、これは世の中の役に立つと思う企業や産業に投資しています。ベンチャー企業もひとつの新しい産業のあり方でしょう。しかし、GEも、世の中の役に立つと思えば、一気に大量の資金を投入して、地球上で、GEでしか起こしえない進化を起こすことができるのです。」という意味の話をされました。この言葉どおり、パナソニックも、現状を縮小しても新しい産業への挑戦を続けていただきたいと期待しています。

うまくいけば、日本産業再生の大きな道しるべ
パナソニックは、特に目立っているだけで、大なり小なり、日本産業が抱える苦難を象徴していると思います。動き始めたパナソニックの動向を注意して見極めることは、日本再生にとって重要なことだと思っています。
 
 英国や米国の歴史から学ぶなら、電気の次は自動車です。
 今年は、販売は絶好調に見える自動車産業の幹部も、「自分たちも、いずれはパナソニックになる」との不安を抱いています。この抜け出せない「日本の閉塞感」から、最初に脱出の道を模索し始めたのが、パナソニックではないかと思い始めています。うまくいけば、日本産業再生の大きな道しるべとなることでしょう。

山田眞次郎

以下は、先日出版した井関利明慶應義塾大学名誉教授と一緒に出版した「思考」という著書です。われわれなりに考えた日本企業再生への道を書いています。

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