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光造形を日本で初めて導入した山田眞次郎が、3Dプリンターで「産業革命」が起きるか検証する。

なぜ「アウトロー」はみんな1970年式のクルマを選ぶのか?(すごく面白いよ)

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『アウトロー』でトム・クルーズが乗るシボレー・シェベルSS(1970年製)

 先日、トム・クルーズの『アウトロー』ジャパンプレミアムがあった。朝のテレビのニュースで、舞台に立つトムのうしろに赤いクルマが一瞬流れた。「あの大きな赤い車はなんだろう?」と、ベットから飛び起きてネットで調べた。

 

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 トム・クルーズ『 アウトロー 』ジャパンプレミアム
 
予告編をみると、「彼の名はジャック・リーチャー 世界で最も危険な流れ者」がトムの役。
ジャック(元軍警察)が、法を超えて家族の復習を行う話。
カーチェースをしながら、ジャックは窓から腕を出して、前のクルマめがけて拳銃を撃ちまくっていた。
そのシーンのクルマのフロント・グリルにくっきりと「SS」のマークが入っている。
シボレー・シェベルSS(1970年)だ。
 
アレッ?このクルマ前に見た。この春封切りの「ワイルドスピード6」の予告編で、主人公ドミニク(ヴィン・ディーゼル)が、シボレー・シェベルSSに乗っていたんじゃなかった?
 
もう一度ネットで『ワイルドスピード6』の予告編を確かめた。
確かに、ドミニクも乗っていた。
 
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トム・クルーズが運転するシボレー・シェベルSS(『 アウトロー 』予告編より)
 
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ドミニクが運転するシボレー・シェベルSS(『ワイルド・スピード6』予告編より)

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シボレーシェベルSS 同型車(1970年)
 
ドミニクも暴走族兼麻薬ディーラーのボス。
ジャックも「世界一危険な流れ者」。2人ともタフガイだ。
 
監督も、映画会社も違う。シチュエーションは現代、ジャックもドミニクも、色も1970年式もまったく同じクルマで、同じ角度で映っている。
 
 
「なぜ、悪役は古い車に乗るの?」
 
 最初にこの疑問が湧きあがったのは「デス・プルーフ」(2007年 タランティーノ監督)を観たときだ。カート・ラッセル演じる殺人鬼スタントマン・マイクが乗っていたのは1970年型のシボレー・ノバだった。
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 スタントマン・マイクのシボレー・ノバ(『DEATH PROOF』2007年)
 
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 シボレーノバSS(1970年)
 
 私は年間300本くらいDVDを観る。
『デス・プローフ』でこの疑問がわきあがってからハリウッド映画を注意して見ているが、この3年間ほどタフガイが新型のクルマに乗っている映画はほとんどいない。
 
2011年カンヌで監督賞を取った『ドライブ』。昼間はスタントマン、夜は強盗を逃がす「ドライバー」を勤める。海外の広告で、主人公の後ろにあるクルマもシボレー・シェベル・マリブSS(こちらは1965年式)である。
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 映画『ドライブ』(2011年)シボレー・シェベル・マリブSS(1965年式)
 
確かに、タフガイが「環境にやさしい」からと言いながら、プリウスの窓からマシンガンをぶっ放すのは似合わない。『アウトロー』の予告編をみて、私の疑問は確信に変わった。
「今の発売されている新車の中には、ハリウッド映画がタフガイに似合うクルマがない」のだ。
 
タフガイが似合うクルマとは?
 
 悪役やタフガイに似合う車は、観客が見て「カッコいいなぁ。自分も乗ってみたいけど“ワル”に見えるから…」と思うようなクルマだ。
 
ワルそうに見えるクルマの条件とは?当然カッコいいことである。
それも凄みをきかせたカッコよさだ。
 
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 『ブリット(1968年)』
  1968年型フォード・マスタングGT390(6.4L 340馬力1700kg)
 
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 『バニッシング・ポイント(1971年)』
  1970年式ダッジ・チャレンジャー(7L 430馬力 1700kg)
 
 私はアメリカに住んでいたことがある。
私か感じたアメリカ人が考える凄みとは、昔からホイールスピンするほどのビッグパワーの大型2ドアクーペだ。
 
『ブリット』でスティーブ・マックウィーンが乗るムスタングや、『バニシング・ポイント』のコワルスキーが乗るダッジ・チャレンジャーなどのマッスルカーがその代表だ。
 
2ドアクーペといえば軽量スポーツカーのように聞こえるが、1700kgもある車がいくら430馬力あっても決してキビキビとしたカーチェースはできない。
 
今のポルシェ911は1400kg 400馬力だ。
こちらの方が街中をブッ飛ばすには圧倒的に有利なのに、ハリウッドのタフガイがポルシェに乗ってカーチェースをする映像は見たことがない。
 
実は、アメリカ人の観客は、昔から大パワーの大型2ドクーペが好きだったのだ。
それには、ヨーロッパや日本のように、道があった国に自動車が現れたのと、道がなかった国に自動車が現れたのとの違いだろう。
 
アメリカに峠があるのは、東部のアパラチア山脈と西部のロッキー山脈だ。
33州も山がない州がある。
その2つの山脈の間の2200kmは、映画に出てくる平坦な直線で、クルマしか走らない大きな道。それなら、重いビッグパワーの大型2ドアクーペでも十分早く走れる。
 
今、市販されている大型2ドアクーペは、2005年以降にモデルチェンジされた、ムスタングと、ダッジ・チャレンジャー、シボレーカマロ、クーペに近い4ドアダッジ・チャジャーがある。
これらは、60年代のマッスルカーの復刻版というべきクルマだ。
 
でも、なぜ、2013年封切りの『アウトロー』『ワイルドスピード6』で、1971年封切りの『バニシング・ポイント』と同じ1970年式のクルマに乗っているだろう。
 
1970年に何があったのだろう?
なぜ70年以降のクルマには、タフガイが乗る凄みのあるクルマがないのか?
私は3つの理由があると考える。
 
 
理由1:1970年マスキー法制定と73年のオイルショック
 
 1970年に米国でマスキー法が制定された。
 マスキー法とは
「自動車から排出される炭化水素(HC)、一酸化炭素(CO)、窒素酸化物(NOx)をそれぞれ90%低減することを目標とした。1976年を達成年とし、未達成の自動車は期限以降の販売禁止を義務付けた」
 
1973年4月に勃発した第四次中東戦争が原因で石油ショックが起きた。
下の表は、米国と日本の新車販売台数と実質原油価格の100年の推移である。
 
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 自動車販売台数と実質原油価格の推移
 
石油ショックによって、100年以上安定していた石油価格が73年から高騰したのである。
最初のマッスルカーFORDマスタングが発売されたのは1964年である。
 
それまでの2ドアクーペは、リッチマンが乗る軽快なクルマだったが、ムスタングはエアコンもラジオもオプションにするなど、若者でも買える安価なクーペが誕生した。
 
ムスタング以後、ビッグ3は、クライスラーがチャレンジャー、GMがカマロなどマッスルカーを次々と発売した。若者に受け入れられたマッスルーカーは、アッいう間に進化をし、1970年には7L370馬力と称して実質500馬力以上出ているモンスターまで市販された。
 
そんな無法クルマが市販されていた時代に、1970年マスキー法と1973年石油ショックのダブルパンチが襲ったのだ。
 
排気ガスに含まれる有害物質を少なくするのは、排気する量を少なくする方法が最も早い。
低燃費にするにも、排気量を小さくするのが最初に考えることだ。
 
実際に、マスキー法をクリアしたのは、25年後の1995年ホンダCVCCエンジンが初めてである。
こうして1970年以降、自動車業界はマスキー法・環境と低燃費・エコとの戦いが続くのである。
ビッグ3が自由奔放なクルマを生産できたのは、1970年が最後の年である。
 
最初のマッスルカー FORDムスタングが発売されたのは1964年である。
FORDはその年からルマン24時間への挑戦を始めえいる。
ルマン24時間は第二次大戦後1949年に再開された。
戦後のルマンでは、フェラーリが常勝だった。
V12気筒3.3リッターのフェラーリに、V8気筒7リッターの大排気量FORD-GT40が挑戦する。
 
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 66年ルマン24時間 FORD-GT40初勝利 1-2-3フィニッシュ 
 
挑戦3年目の66年にFORDは1位2位3位の3台のGT40が並んでチェッカーを受けるのである。ラフなアメリカン・マッスルがヨーロッパの高性能フェラーリを力ずくで押さえつけたのだ。
 
クロード・ルルーシェ監督の仏映画『男と女』が66年5月に公開された。
主人公の「男」ジャン・ルイ・トランティニアンはFORDのレーシングドライバーの役だ。
サーキットの練習風景で、男はGT40とムスタングを運転する。
 
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映画『男と女』(1966年)より 「男」ガ乗る FORD-GT40(左) ムスタング(右)
 
映画は66年5月封切りだから、撮影は65年に行われたはずだ。
64年のルマン挑戦用に、FORDは3台のGT-40を作っている。  
 
65年も3台で挑戦している。どう考えても、撮影時にGT40は6台しか存在しない。うちの1台をFORDは撮影用に提供している。
 
男は、ラリードライバーでもある。モンテカルロ・ラリーと思われる雪のレース場から、ラリーに出場したムスタングに乗って女(アヌーク・エメ)の子供がいる寄宿学校があるフランスの海岸の町までかけつける。
 
何も知らないで、海岸で子供と遊ぶ「女」。
クルマから降りた男は、かけ寄ろうとする。
すぐに思い直し、クルマに引き返す男。
来たことを女の背中に知らせるパッシンがこのシーンである。
 
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 映画『男と女』クロード・ルルーシェ監督(仏映画 1966年5月公開)
 
映画 『男と女』は66年5月に公開され。
ルマンは、毎年、1年で最も昼間の時間が長い6月に開催される。
5月に映画館で見たFORD-GT40が、その1ヵ月後の6月に1-2-3フィニッシュをするのである。
 
ルマンで優勝した6月に、『男と女』はカンヌでグランプリを取る。
ルマンで世界中の人が、GT40の強さを見せ付けられ、『男と女』でモンテカルロ・ラリーでも強そうなムスタングを見せられた。
 
私の記憶では、66年に、FORDはヨーロッパFORDを設立した。ヨーロッパでクルマをうりたかったら、ルマン24時間とモンテカルロ・ラリーで勝つことは鉄則である。
 
その後、FORDは1966年から69年までの5年間、ルマンで連勝する。
まるで1970年のマスキー法を知っていたかのように1970年にはルマンを去っている。
 
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 1968年式初代ムスタング-シェルビーコブラGT500RK
 
市販車が7リッター430馬力まで成長したアメリカン・マッスルカーの頂点が、この1970年なのである。環境とエコが、恐竜のように成長したマッスル・カーの心臓であるエンジンを止めた。
 
マッスルカーが生きたのは1964年から1970年までの、わずか7年間である。
写真のマスタングGTは45年前に、この凄みを出している。
今、この凄みを持つ車はない。
 
その頃の日本は、やっとモータリゼーションが始まったところだ。
1966年のトヨタ・カローラと日産サニーの発売された。
上のグラフを見てもわかるとおり、66年から72年までに一気に国内販売台数は、6年間で400万台を超えた。
 
アメリカでは、1908年のT型FORDの発売がきっかけとなり、1915年あたりからモータリゼーションが始まり、1929年に400万台を達成している。そこで世界恐慌だ。
 
当時のカローラやサニーは1000~1400ccだった。
ホンダとして初めての乗用車シビックを発売したのは1972年である。
日本の自動車史では、米国で7年間しか存在しなかったマッスルカーというクルマの恐竜時代を知らないまま、モータリゼーションが始まっている。
 
だから、我々には、なぜ1970年式シェベルSSを、最新の映画で『アウトロー』や『ワイルド・スピード6』が使うのかを理解できないのであろう。
 
1970年のマスキー法と73年の石油ショックで、クルマは環境とエコの名の下に牙を抜かれた。
最後の1970年式以上に、タフガイに似合うクルマはないのだ。
 
 
理由2:3次元CADがクルマのカタチを駄目にした
 
 FORDが3次元CADを使って設計を始めたのは1985年発売セーブル・トーラスからだ。
これにより、クルマが初めて丸みを帯びてきた。それまでは、下の写真は89年式クライスラー・ニューヨーカーのように天井とサイド部分が、しっかりと分かれており、ボンネット・車体部・トランクの3つのBOXをくっつけたのがクルマだった。
 
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今でもワンボックやツーボックスと呼ぶのはその名残である。
3次元CADで設計を始めたことで、自由な曲面を組み合わせたデザインができるようになった。
 
その結果、右下のトーラスを見ればわかるようにクルマ全体が丸くなった。
この丸みを持ったデザインを初めてみたアメリカ人にトーラスは爆発的に売れた。
それをみて、クライスラーが3次元CAD設計に切り替えたのは1989年である。
 
私は、当時、デトロイトに住み、クライスラーの中で一緒に設計をしていた。
3次元CAD化でクルマの設計が変わっていく様をつぶさに見ることができた。
 
89年から4年間かけて開発したのが93式LHXだ。
2次元設計の89年式ニューヨーカーと並べてみると、3次元CAD化でデザインがどれほど変わったかわかる。
 
消費者はこの新しい丸みを受け入れた。発売された当時は、私もわからなかったが、今、こうして見ると92年式2代目FORDトーラスと93年式クライスラーLHXが同じクルマに見える。
 
日本の自動車メーカーが3次元CAD化を始まったのは、FORDから10年以上遅れた1995年からだ。
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 2001年式トヨタ・カムリ         1997年式ホンダ・アコード
 
3次元化が反映され始めた01年式トヨタ・カムリと97年式ホンダ・アコードが同じに見える。ポリバケツのようだと表現される今のクルマは、どれを見ても特徴がない。
 
人が「丸くなりましたね」と言われるのは、「カドがとれて穏やかになりましたね」という意味だ。クルマも同じではなかろうか。丸くなり、カドが取れてトガッたところのないクルマは、タフガイには似合わない。
 
 
理由3:リーマンショックで、再びワルのクルマを排除
 
 アメリカの自動車販売台数は、2000年が過去最高で1720万台だった。
その後、2007年までの8年間、増えはしないが、ほぼ1700万台を維持した。
この不思議なフラットが、サブプライムである。
 
私のアメリカ人の友人で、長年、GMの顧問弁護士をしていた人がいる。
2004年に、その夫婦と、トスカーナで2週間過ごしたときのことだ。
 
「実はシンジロー、私は1999年に、1年間、日本に居た」と打ち明けた。
20年来の友人である。
「なぜ日本にいるときに連絡してこなかったのだ?どこに住んでたのか?」
「ニューオータニ」
「何をしてたの?」
「ニューオータニの最上階をワンフロワー1年間借りて、GMACを作る準備をしていた。それは極秘だったから、シンジローに日本に居ることが言えなかった」
 
彼は、米国の大きな弁護士事務所の幹部だった。
2007年、彼からメールが来た。「今は、弁護士をリタイアしてフロリダに引っ越した。一緒にガラパゴスに行こう」との誘いだった。
 
私は、快諾して、その友人夫妻と一緒にペルーに飛んだ。
帰りに彼のフロリダの家に泊まった。
 
「まだ若いのに、なぜリタイアしたのか?」と聞いたが答はなかった。
答えは、その次の年のリーマンショックの象徴だったGMACにあった。
彼は、事前にきれいに切り抜けていて。
 
2000年から2007年、米国のクルマ市場は、8年間も過去最高を維持した。
そんなアメリカ自動車市場最高の時代の2005年、FORDは初代マスタングのデザインを踏襲した新しいムスタングを発表した。
 
40年ぶりのマッスルカーの復活である。
同じ2005年クライスラーからチャージャーR/Tが、
2006年GMからカマロSSが、
 
2008年クライスラーからV8気筒6.4L-HEMI 431馬力のチャレンジャーが発売された。
40年前の1970年式初代チャレンジャーは430馬力だった。1馬力多い。
 
1995年CVCCがマスキー法に初めて合格し、10年経った2005年に、環境にもやさしく、まあ低燃費だけど、かつてより1馬力だけ巨大なモンスターを作ることができるようになったのだ。
ムスタングを皮切りに、各社、次々にマッスルーカーを発売した。
 
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 1968年式(左)  ムスタング-シェルビーコブラGT500RK 2012年式(右) 
 
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 1970年式430馬力(左) ダッジ・チャレンジャーR/T 2008年431馬力(右)
 
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 1968年式(左)  ダッジ・チャジャーR/T  2008年式(右)
 
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 1968年式(左)  シボレー・カマロSS  2010年式(右)
 
2005年の新しいマッスルカーの復活で、ハリウッドはタフガイに載せるクルマを手に入れた。
 
『ドライバー』(2011年)で1965年式のシェベルの前に立つ主人公も、強盗を逃がすときは2005年式のムスタングに乗る。
 
『ワイルド・スピード5-MEGAMAX』(2011年)では、ドミニクの愛車はダッジ・チャージャー(1970年式)だが、リオで、銀行から盗んだ金庫を町中引き回すのは、2010年式のチャージャーだ。
 
新旧を最も象徴的に表しているのは、『トランスフォーマー1』(2007年公開)の中で、バンブルビーというトランスフォーマーとして登場するのも新旧カマロSSだ。
 
映画の前半では1970年式の旧式カマロSSだったが、主人公の彼女が「どうしてこんな古い車なの?」と言った瞬間に、旧式カマロはスネて、一人でトンネルの中を走りながら、2006年式カマロを見つけ、形状をコピーして新しいカマロに生まれ変わる瞬間がこの映像である。
新旧カマロが交差する。
 
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 左の斜めが旧型、右の後姿が新型カマロ『トランスフォーマー』(2007年公開)
 
2005年、新しいマッスルカーを手に入れたハリウッドは、次々に新型を映画に出した。
 
しかし、2013年公開の『アウトロー』も『ワイルド・スピード6』も主人公は、1970年式のシェベルだ。まだ見ていないからわからないが、新しいマッスルカーは主役級では出演しないのではないかと思う。
 
2005年デビューのムスタングなど新しいマッスルカーは、2008年のリーマンショックをはさんで、フルモデルチェンジから今年ですでに9年目に入る。
1964年の初代ムスタング発売から1970年までの7年間を、すでに超えている。
 
観客は、「またムスタングかぁ」と飽きている。
もちろん、ビッグ3もこの8年間で多くの新車を発表している。しかし、リーマンショックの象徴GMACを作ったGMは、2009年6月にチャプター11になり、社長が議会に呼び出されたときに、自家用機で来たと叩かれるご時勢に変わった。
 
そんな後に発表できるクルマは、「タフガイに似合います」という「ワルのクルマ」は出せなかったのだ。いまやクルマのキーワードは、小型、環境に優しい、エコ、ハイブリッド、電気自動車などがポリティカル・コレクトな言葉である。
 
しかし、正義の言葉は、どれをとってもタフガイには似合わない。
こうして、ハリウッドが行き着いたのが、結局、古い「ワルのクルマ」なのだろう。
1968年のムスタングGTを見れば、誰でもその凄味を感じるでしょ?
 
 
アメリカはどこに戻りたいのか?
 
 『リンカーン弁護士』(2011年)という映画ある。原題を『The Lincoln Lawyer』という。文字通り1981年式FORDリンカーン・タウンカーの後部座席をオフィスとするチョイ悪弁護士である。弁護をするのは麻薬ディーラー達。
 
 
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『リンカーン弁護士』(2011年公開)FORD リンカーン・タウンカー(1981年式)
 
映画のオープニング・クレジットからリンカーンの細部のカットが次々と流れる。このカット見ても分かるとおり、2次元で設計されていたころの直線で構成されたクルマ自体に、凄い存在感がある。
 
『MEN in BLACK3』(2011年公開)で、ウィル・スミスが乗ろうとしているクルマは、FORDクラウン・ビクトリア(1983年式)である。
 
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『MEN in BLACK3』(2011年公開)FORDクラウンビクトリアLTD(1983年)
 
これはリンカーン・タウンカーと同じ大きさのフルサイズカーだ。南部の典型的なアメリカ人が好きそうなクルマだ。この形が92年まで生産されている。ハリウッドは70年代を卒業して、次の80年代に向かっているのか? どちらも角目(ヘッドライトが四角)、箱型のクルマだ。
 
 2012年発売の「Born to die」という初アルバムを出したLana del Rey(ラナ・デル・レイ)が流行っている。アルバムの中の「RIDE」という曲のPVに、キャデラック・デビル・クーペ(1975年式)がでている。 
 
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Lana del Rey ”RIDE”(YouTube)-2012年 キャデラック・デビルクーペ(1975年式)
 
彼女は自らのことを、「ギャングスタースタイルのナンシー・シナトラ」と言っている。ナンシー・シナトラはフランク・シナトラの娘で60年代中期に活躍した歌手。ラナは同じアルバムの中で、「ブルー・ベルベット」を歌っている。これは1963年にボビー・ビントンがヒットさせた曲だ。

ラナ・デル・レイ  「ブルーベルベット」(2012年 YouTube) 
ボビー・ビントンン「ブルーベルベット」(1963年 YouTube)
 
話が、ゴチャゴチャになっているように思われるかも知れないが、その時代に青春を過ごし、現在までのトレンドをずっと見てきた私には、70年のシェベルも、75年のデビルクーペも、63年の「ブルー・ベルベット」も、俯瞰してみると、リーマンショックを経験し、弱くなりつつあるアメリカを肌で感じたアメリカ人が、今、申し合わせたわけでもなく、ひとつの方向に向かっているように感じる。
 
 
何に対する反抗なのか?
 
 戦後のアメリカは強かった。チャック・ベリーやエルビスがロックンロールを生み出し、65年あたりまでのアメリカの音楽は、ビーチボーイズのように、単純で底抜けに明るかった。67年に発売されたジミ・ヘンドッリクスの「パープル・ヘイズ」で、アメリカの音楽から底抜けの明るさが消え始めた。
 
アメリカだけでなく世界中がこの時期から悩み始めたように感じる。
66年~67年「中国文化革命」
68年5月「フランス五月革命」
68年8月「プラハの春」ソ連軍事介入
69年1月安田講堂
69年11月ワシントンで大規模ベトナム反戦デモ
 
65年から69年の5年間は世界中の若者が反抗した。その間に、音楽も、映画も、世界も変わった。この間が、マッスルカーの全盛期である。1970年、20歳の私が映画館で『イージーライダー』を見たとき、古い時代の胎動が終わり、新たな世界が生まれたように感じた。
 
今、思えば、マスキー法とは、古い時代の恐竜のように自由奔放に勝手な振る舞いをする自動車産業に規制をかけたのかも知れない。
 
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 映画『EASY RIDER』(1969年米公開)
 
69年『イージーライダー』の最後のシーンで、トラックとチョッパー(バイク)が並走しながら、トラック乗っている農夫らしき老人が「脅してやろう」と、リアウィンドーに掛けてあるショットガンを取り出す。窓からショットガンをチョッパーに乗るデニス・ホッパーに向けながら「髪を切れ!」と老人。
 
デニス・ホッパーが中指を立てる。老人は若者を撃つ。「髪を切れ!」たったそれだけで「バーン!」だ。この犠牲で70年から新しい時代が始まった気がした。撃たなければ済まないほど、反抗は大きくなっていた。
 
ラナ・デル・レイの「RIDE」のPV(プロモーションビデオ)の中は、私には、まるで69年に見える。道端で、70年代のヒッピーがそのまま年をとったような老人に誘われるままに、キャデラック・デビル・クーぺに乗り込むレナ。
 
一方でラナは『イージーライダー』と同じようなチョッパーの後ろに乗り砂漠を疾走する。
 
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  ラナ・デル・レイ “RIDE”(2011年発売 アルバム“Born to die”より)
 
まさに、映像はそっくりだが、違うのは曲調とショットガンの位置だ。『イージーライダー』ではトラックのリアウィンドウに掛けてあった。『RIDE』では、ピーター・フォンダのチョッパーにアメリカの国旗の色に塗られたヘルメットをかぶせてあった背もたれに、ショットガンが縛り付けてある。今度は、若者が撃つ番なのだろう。
 
1969年の『EASY RIDER』の主題歌はステッペン・ウルフの「Born to be Wild」だ。
2011年のラナ・デル・レイのPVの曲名は『RIDE』はアルバム「Born to die」の中だ。
この言葉は、意図した一致だと感じる。
 
現在のモンスター産業である金融が稼ぐのを黙って見てきたが、自分たちには何もいいことはなかった。国をグチャグチャにされただけだ。このことはアメリカだけではない。ヨーロッパの金融危機も、日本のこの20年間の不況も、格差という意味では同じだ。世界中が悩み始めている。声を出さない若者。しかし、映画や音楽を見る限り、静かに反抗は起きているのだろう。
映画や音楽は、世相や共感を先取りする。
ベトナム戦争は1960年に始まった。アメリカは50万の兵を出している。終わったのは1975年。1970年はちょうど10年経ったときだ。911の後、2003年にイラク戦争が始まっている。連合軍として38万人が参加している。10年経っても、まだ終わっていない。ちょうど1970年と同じような時期なのだろう。
 
 
じゃあ、タフガイのクルマは悪いのか?
 
 『アウトロー』で乗るシボレー・シェベルSSは、マッスルカーの頂点だった1970年式7.4L-450馬力のクルマだろう。リッター3kmも走れないかもしれない。ガソリンをまき散らし、CO2を吹きまくりながら、タイヤから白煙をあげて走るのだろう。それが、アメリカ人の考えるタフガイの車だ。
 
 アメリカにICONという自動車メーカー(って呼んでいいのか?)がある。60年代のFORD-BRONCOの中古(HPでは80万円くらいと書いてある)を持ち込むと、まったくの新品に作り直してくれるサービスだ。ブロンコは1966年から発売されたSUV発祥のようなクルマだ。
 
直すというより、古い車をベースに新しく作るという感じである。残っているのはシャシーナンバーくらいではなかろうか。いろいろランクはあるが1500万円くらいかかる。60年代の80万円の中古を持ち込んで、1500万円かけて古い形を踏襲した新車にしてもらうようなサービスだ。
 
シャーシーナンバーがあれば、排気ガス基準も安全基準も、当時のまま自由奔放にできるのであろう。デザインにはNIKEのデザインチームが協力しているくらい本気だ。
 
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 ICON BRONCO YouTube Jay Leno's Garage
 
2009年に設立されたSINGER Vehicle Designという自動車メーカーがある。こちらは、1968年くらいからのナローと呼ばれていた頃のポルシェ911をベースに新たなポルシェを作ってくれるサービスだ。
 
こっちは4000万円くらいする。エンジンはコスワースでチューンした新品同様のものがついている。こちらもBBCの「TOP GEAR」などにも紹介されるほど本物だ。
 
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 SINGER Vehicle Design (YouTube)
 
両社とも、60年代のクルマを新品同様に作り直す。それよりも安い新車がいくらでもあるのに、高いお金を出して古いクルマ買う人がいるのだ。これまでもクラシックカーをきれいに再現するレストアにお金を払う人はいたが、上の2車は違う。
 
世の中にない古い形の新しいクルマを作るのである。
英語で何ていうんだろう? Reuse?
 
25年ほど前、「アメリカには、もう鉄鉱石から鉄を作る高炉は必要ない。電気炉だけで十分だ。なぜなら、もうアメリカに必要な量の鉄はあるから」という話を聞いたことがある。電気炉とはスクラップの鉄を溶かしてもう一度鉄板を作る炉だ。
 
アメリカ国内にある鉄を溶かしてリサイクルすれば、もうこれ以上地中から鉄鉱石を掘って鉄を作らなくても良いという話である。日本の鉄鋼メーカーは、まだ高炉を持っている。鉄鉱石を輸入して鉄を作る。もはや、日本のように賃金が高い国で行うべき仕事ではなくなりつつあるから、新日鉄と住友金属が生き残りをかけて合併しなければいけないような状況だ。
 
クルマは鉄とプラスチックの塊だ。「鉄は溶かしてまた使える。プラスチックも粉砕してリサイクルしている」と自動車メーカーは主張する。
しかし、ついこの前まで、リサイクルするより鉄鉱石や石油から新たな作ったほうが安かったのだから、今でもリサイクルには新たに生産するほどの費用はかかるだろう。その費用とは、装置産業だから償却費とエネルギーの料金だろう。結局、新車を作るということは、いくら「リサイクルをしています」と言っても、溶鉱炉がモクモクと煙を出しているときと同じくらいエネルギーを使っているのだ。
できた車の排気ガスがきれいで環境にやさしい、低燃費でエコだと言っても、その新車作るのにどれだけのCO2を排出して、どれだけのエネルギーを使っているのか?それよりも、すでにある車を直して使った方が、よほど環境にも、エコにもいいのではないだろうか?
 
25年前のアメリカの鉄と同じで、先進国にはもう十分なクルマの台数があるのだから。寿命がきて動かなくなった台数分だけを新たに作る。動く間は直しながら乗るという概念が最も新しいと感じるようになった。
 
 今日(1月20日)、新型クラウンを試乗した。ピンクのクラウンを見てみたくて行ったのだが、「12月頃に出す予定です。どう思いますか?ピンク?」と2人の営業マンに聞かれた。
自分たちも疑問を持っているような聞き方だった。
 
新型クラウンは良くできていた。静かで、ハンドルもクイックで、なかなか良い。が、何の変哲もない。重さが2トンもある。3.5Lのエンジン。こんなものを何のために作り続けるのか?
 
1970年の古い車を直して、排気ガスとガソリンを撒き散らしながら乗っている「世界で最も危険な流れ者ジャック・リーチャー」の方が、新型クラウンに乗るより人より、地球にやさしいと思った。
 
3Dとは、Reduce Reuse Recycleだそうだ。RecycleよりReuseの方がやさしい。クルマはリサイクルの時代ではなくReuseで、生産をReduceする時代に入ることをジャック・リーチャーやドミンクは予言している。すでに十分モノがある先進国では、モノを作って儲ける時代は終わろうとしている。
 
 
ひとつは偶然、2つ重なる偶然はない
 
 私は、あることに疑問を持つと、ずっとそのことに注目している。たとえば、今回の、「タランティーは何故古いクルマを使ったのか?」という疑問が湧くと、ずっとそのことに注目をして映画をみていた。題名を挙げればきりがないほど、多くの主人公が古いクルマに乗っていた。
 
しかし、トム・クルーズの『アウトロー』で疑問は確信に変わり、1970年の同じクルマが新たな疑問になった。何故1970年なのか、それも、タランティーノのノバも入れると3台とも。70年に何があったんだ?この好奇心で調べていくと、トム・クルーズをテレビで見てから10日もかかってしまい、こんなに長くなった。
 
その間、毎日、「ヘェー」と思う連続だった。こうなると、人が読んでくれるとか、読んでくれないとかはどうでもよくなり、自分の好奇心を満足させることに没頭した。もしここまで読んでくれた人がいたら、とても感謝します。
 
でも、「ひとつだったら偶然はあるが、2つ重なる偶然はない」という目で見ると、新しい発見に、とても役に立つと思います。
 
 
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「古いクルマの波が日本にも来る」と思いました。それも初代GTRやZのようなクルマではなく、もう少し新しいクルマ。たとえばスープラ(SUPRA)やシルビア(SILVIA)など80年から90年代のクルマです。そこをミドル・スクール(中くらいのクラス)と呼んでいます。
 
上でも書いたように、日本のモータリゼーションはアメリカから40年ほど遅れています。ちゃんとしたクルマが作れるようになったときにはすでにマスキー法がありました。だから、日本の自動車メーカーは低燃費のクルマしか作ったことがないのです。
 
それでも、今でもカッコいいクルマが10車種くらいあります。日本の黄金時代は、しっかりしたクルマが作れるようになった80年から、3次元CAD設計が始まる前の95年くらいまででしょう。そのころからの、これからクルであろうミドルスクールの日本車の写真を集めて、タンブラーやフェイスブック・ピンタレスト(Pinterest)・ファンシー(Fancy)・サマリー(Sumally)インスタグラム(Instagram)などのSNSで発信しています。
 
よかったら見てみて下さい。フォローしてくれている人はほとんど外国の人です。
外国での日本のミドルスクール車への憧れは凄いですよ。
 
Tumblr "Rebellion オート東京"  http://r-auto-tokyo.tumblr.com/
 
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