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ジミー・ファロンの「Fun Fun Fun」を聴いて、高2でお父さんが亡くなった中森君を思い出した

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昨日、The Tonight Show でジミー・ファロンとケビン・ベーコンがビーチボーイズの「Fun Fun Fun」を歌っているのを見て思いお出したこと。「Fun Fun Fun」は1964年、私が高校1年生の時の新譜で、その当時買ったシングルレコードもアルバムを、今も持っている。

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私は、戦艦大和で有名な広島県呉市の県立高校を卒業した。

高校2年生のとき、同じクラスの中森くんのお父さんが亡くなった。

中森くんは学区外の竹原市に住んでいたが、越境入学で、呉市の高校に入学した。
竹原から呉までは、通学に1時間くらいかかるので、彼は15歳から高校の近くで下宿生活をしていた。

私は、同じクラスだったが、中森くんと話したことはなかった。

僕は学校を休んで、彼のお父さんの葬儀に出席した。
話したこともない同級生のお父さんの葬儀に出席しなくてもよかったのだろうが、
それが、私にとって、人生で最初の死との直面だったし、
もしかしたら、葬儀を見てみたかったのかもしれない。

呉線という単線で、汽車に乗って竹原まで行った。
呉線は、当時まだ蒸気機関車D51だった。

竹原は呉より東にある。
当時の呉線は、道路と鉄道が海岸
線に沿って並んでくねくねと走っていた。
汽車の窓から、右手に瀬戸内の海を眺めながら、一人で竹原まで行った。

葬儀のことはあまり覚えていない。
田舎の大きな家で、中森くんは、僕と同じ一人っ子だったんだということを知ったことを覚えている。

1週間後に、中森くんが学校に来た。
みんな、腫れ物を触るように気を使った。

その日は、理科実験の授業があった。
実験室では自由な席に座れる。

私が、教室に入っていくと、すでに中森くんは座っていて、彼の両側の席は空いていた。
みんな遠慮したのだろうか?
私は、彼の側に座った。

母子で1週間を過ごした後、初めて学校に来た日に、
中森くんを慰めてあげたいという気持ちと、
高校2年生で、父親が亡くなるとは、どんな気持ちなのか、
ちょっぴり興味があったのだと思う。

実験室で、人生で初めて彼と口をきいた。
授業中もしゃべった。

「放課後、家に来ないか?」と彼を誘った。

私の家は、高校からバスで15分ほどのとこだが、バス停から登坂で1kmほどある。
2人で話しながら家まで帰った。

家に帰って、私の部屋で、一緒にレコードを聴いた。


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私の当時のステレオは、中学1年のときに買ってもらった、一体型の大型ステレオだった。
そろそろ、大型のコンポタイプが流行り始めていたころだった。

彼の気持ちを意識していたのか、最初にかけて曲が、ビーチ・ボーイズの「Fun Fun Fun」だった。

1966年に、広島の田舎で、最新のアメリカン・ポップスを聞いていた人はすくなかった。
中森くんは知っていた。

当時のアメリカンポップスの最新情報はFEN(
アメリカ軍の極東放送)だった。
私は、中学のころから、FENで、キャッシュボックスの毎週のヒットチャートを聞いていた。

中森くんは、こんな曲には興味はないだろうなって思いながらかけた「Fun Fun Fun」だった。

曲を聴きながら、彼は、学生カバンから、ノートを取り出した。

「ヤマダぁー、ワシャのぉ、毎週、キャッシボックスのトップ20を、こうやってノートに書いとるんでぇ。」とノートを見せれた。

ノートには、1ページずつ、日付が書いてあり、1位から20位まで、題名が英語で書いてあった。
僕も毎週のトップ20は聞いていたたが、書いてはいなかった。 驚いた。

「ナカモリ、おまえ、FENの英語聞いて、題名が全部わかるんか?!」

「全部はわからんよ。ノートをよー見てみぃ。読めん字があるじゃろう。そこは聞き取れんかったところよ」

確かに、よく見ると、ところどころ、英語の続け文字のような線でグニャグニャと書いてあるが、読めないところがある。
その下に、小さくカタカナで、聞き取った音が書いてあるが、理解できる単語っじゃない。
それでも、8割がたは、題名が書いてある。

「いつから、コレ始めたんな?」
「中学で英語習いだした頃からよ」
「竹原でかぁ?!」
「ほーよ、じゃけぇ、竹原じゃ、歌の話ができる奴はおらんかったよ。このノートをみせたんは、ヤマダが初めてよ」
「ワシも、ビーチ・ボーイズを聴かせたんは、オマエが初めてよ」

当時はカラオケがなかったので、レコードを流しながら、ジャケットに書いてある歌詞カード見て、歌っていた。
歌手もステレオから歌っているので、自分が出ないパートも、歌手がカバーしてくれる。

自分が持っているレコードは、全て歌えた。
彼も歌えた。
僕の持っていた6割くらいのレコードは、彼も持っていた。

2人で、何枚も、何枚もレコードをかけながら、一緒に歌った。
途中、晩御飯を食べて9時ころまで歌った。
歌は、私の方がうまかったが、中森くんは、気づいていなかった。

2人で歌いながら、坂道を下って、中森くんをバス停まで送っていった。

♪Well she got a daddy's car
and she cruised to the hanburger stand now,
・・・・・・
Fun Fun Fun till my daddy took my T-bird away♪

彼は一人っきりの下宿に帰っていった。

それが、彼の、お父さんの葬儀後の初登校の夜だった。
彼は、あの夜、どんな気持ちで寝たのだろう?

その日から、2人は親友になった。

中森くんと私は、東京の大学に進学した。

卒業後、中森君は三井石油化学、私は三井金属に就職した。

三井石油化学は広島から30kmほど西に、岩国工場があった。
三井金属は竹原に精錬所があった。

お互い、広島に帰るために就職したののに、4月1日の入社式の日、
中森くんは、霞が関ビル本社に、
私は、大崎の工場に配属される辞令がでた。

入社式の夜、2人で、当時三井金属の本社があった、
三井本館(三越の隣)と霞が関ビルに行き、
記念にビルの前で、互いの写真を撮った。

私は、32歳くらいまで、広島に帰りたかった。
だから、5月の連休も含めて、毎年、年に3回は呉に帰省していた。


ある時、どうしても、車で帰省したくなって、レンタカーで帰ることにした。

子供が3人いるのに、借りたのは、2ドアの、真っ赤な「ピアッツァ」。

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滋賀県の名神に、長い直線がある。
夜中にその直線に着いた。直線道路のずっと先の方に赤いテールライトちいさく見える。

「あそこまでは直線だ」と思って、最高速を試してみることに。
家族はみんな寝ていた。

メーターは180km/hrを振り切り185くらいまでいった。
満足して、アクセルを話した瞬間に、上方から真っ赤なライトが光った。
オービスだ。
結局、後日、滋賀県警高速機動隊まで呼び出され、「これはあなたですね」と写真を見せれた。
歯を食いしばった凄い形相の写真の下に、149.9km/hrと書いてあった。

「意外とメーターと実測は違うんだなっぁ」と思ったが、「49.9km/hr?もしかしてお情け?}とも思った。
当時は50km未満は6点30日の免停だった。

僕にとっても、中森くんにとっても、この時の真っ赤な「ピアッツァ」は、一生忘れられないことになる。

中森くんは、何度も会社と交渉を重ね、結局、30万坪もある岩国工場の経理課長として広島に帰った。
35歳くらいのときだったと思う。

岩国に転勤した中森くんは、中古のピアッツァ買った。
それも、真っ赤なピアッツァを。

ある時、帰省した私の家に、夜、中森くんがピアッツァに乗ってきた。

大学のころ、よく2人で、クルマを走らせた山の方に走っていきながら、
{ヤマダぁ、ワシャぁのー、あの時、オマエが乗って帰ってきた真っ赤なピアッツァが、忘れられんかったんよ」

1990年、私は、40歳で、三井金属を辞めて、(株)インクスを創設した。
会社は、3年目で2億円くらいの売り上げになり、順調に成長していた。

中森くんが東京に出て来たので、西船橋で会った。

中森くんはお酒をほとんど飲めないが、イカの活け造を食べながら、
「ヤマダぁ、ワシも、会社を辞めて、社長になることにしたんよ」

「なんでぇ?」

「義理の父親が鉄工所をやとってのぉー、それを継いでくれんかいうんよ」

「そうはゆいうてものー、バブルも崩壊したし、鉄工所は今からエエ時代はこんでー」

「ワシャのー、経理しかやってこんかったが、分かったことは、会社が大きくても、小さくても、おんなじじゃ思うんよ。
売り上げがありゃ、会社は、必ず儲かるんよ。」

「ヤマダでも、社長できるんじゃけん、ワシでもできるじゃろぉ」

「そんなに社長は、あまいもんじゃないで!」

「まあ、やってみるよ」

「ほーかー、頑張ってみーや」

「それより、ヤマダぁ、ワシゃのー、もう42なったんでぇ。
オヤジが死んだ歳と同じよ」

「ワシも、12月にゃぁ、42なるよ。お互い厄年じゃのぉ」

「ワシぁ、もう、オヤジより長ごう生きとるんで。一日一日、あと、どれだけ長ごぉ生きれるか、心配なんよ」

「大丈夫よ!平均寿命も延びとんじゃし・・・」

「オヤジが死んだんと同じ長さ生きた次の日から、
ワシゃー、毎日のぉ、夜、布団に入ったら、両手の指を組んでから、
"今日も一日ありがとうございました。明日も目が覚めますように"
と、声を出してゆうてから、寝るんよ」

「ほうかぁ」

これを聞いたときは、親が早く亡くなると、そういうことは気になるんだなぁ、と思う程度だった。

私は、中森くんが鉄工所をやると、苦労すると思った。
ましてや、1993年からの鉄工所である。

世の中も、彼の産業もどん底に下げっていく中で、彼は、言葉通り、
社長を継いで以来、毎年10%以上の利益をだした。

経理しか知らなって言ってたのにである。

結局、7年くらいで、累損は一掃し、無借金にし、10年ほどで、売上の半分くらいに預金を増やしていた。
今では、引き継いで、20年強になるが、数億円の売上はほとんど同じだが、売上の増減にかかわらず、10%以上の利益を維持している。

鉄工所という産業としては、相変わらず不況が続き、パイは小さくなっていったが、プレヤーも減っていった。

「ヤマダぁ、パイが小そうなったら、相手もおらんようになるけん、生き残っとりゃ、売上は維持できるわいや」

私の方は、創立から17年で、180億円になった。
私も創立以来、利益を出続けて、98年あたりから2007年までは10%以上の利益をだし続けた。
多くの人ができないような、いろいろな経験をしてたことはエキサイティングだった。

ところが、大きく張っていたので、2008年のリーマンショックで、会社は飛んだ。

数億円の売り上げを続けたてきた、中森くんの会社は生き続けている。

眠らないウサギが勝つと思っていたが、ウサギは必ず気がゆるんでしまう。
眠らないカメが勝つ。

中森君は、65歳になった今でも、真っ赤なピアッツァに乗り続けている。

クルマに乗らないで車庫に入れているのではない。

彼は、今日まで30年間、毎日、1時間かけて、中国山脈の山の中の工場にピアッツァで通っている。

先日、電話で話たときに、
「ヤマダぁ、ワシゃー、毎日のぉ、社員が全部帰ったあと、
夜9時ごろ工場の鍵かけてから、ピアッツァに乗って、エンジンをかけて、村はずれにある自動販売機でコーラ買うてのぉー、それから、その日のカセットを入れるんよ。カセットは、高校の頃の音楽しか持っとらんのよ。カセット入れて、音楽が鳴りだして、コーラを飲むと、クルマの中は、もう、あの頃よ。何十年もおんなじ音楽聞いとるけんねぇ、全部歌詞覚えとるよ。大声で歌いながら、ピアッツァ運転して帰る家までの1時間が、一番幸せよぉ」

「それで、寝るときは、今でも、"今日も一日ありがとうございました"って、ゆうてから寝るんか」
「当たりまえよ。生かされとんじゃけん」

「カセットで、どの曲が一番好きね?」
「そりゃー、ビーチ・ボーイズの "fun Fun Fun"よ」


本物のビーチ・ボーイズ
まず、こちらを聞いてから、下を聴いてください。

歌詞が違う

https://www.youtube.com/watch?v=F24LC0QsYTQ


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ジミー・ファロン(右) と ケビン・ベーコン(中央)の DRAFT 1

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「Fun Fun Fun」の最初のDraftってことだそう。

DRAFT1 no歌詞
動画こちら・・・
https://www.youtube.com/watch?v=ynKqgo-x780


Well she got her daddy's car and she cruised to the hamburger stand now
Then she called us and told us to join us at the hamburger stand
Then we hopped in the car and meet her at the hamburger stand now
And we'll have fun fun fun eating burgers at the hamburger stand

(彼女はパパの車を借りてハンバーガーやさんにいった。
それで、わたしたちに電話して、ハンバーガーやさんで会うようにいった。
それで、車にのって、彼女に会いにハンバーガーやさんにいった。
ハンバーガー食べて、fun fun fun

Well we ordered hamburgers and ketchup at the hamburger stand now
We got lettuce and tomato at the hamburger stand now
And we also ordered fries with our burgers at the hamburger stand now
So we had the hamburgers and fries at the hamburger stand

ハンバーガーとケチャップをハンバーガーやさんでオーダーした
レタスとトマトもつけた
フレンチフライもハンバーガーと一緒に、ハンバーガーやさんでオーダーした
だから、ハンバーガーとフライズをハンバーガーやさんで食べた。
Well we finished up our burgers we ordered at the hamburger stand now
Then we took off but got hungry so we went back to the hamburger stand now
Then the guy behind the counter said "welcome to the hamburger stand now"
And we said actually we were just at this hamburger stand now

ハンバーガーやさんで頼んだハンバーガーを食べ終わった
だから、店を出たけど、またおなかがすいたから、ハンバーガーやさんに戻った
そしたら、カウンターの人が、ハンバーガーやへようこそと言った
だから、今さっきこのハンバーガーやさんにいたんだけど、といった。


burger burger hamburger stand now
burger burger hamburger burger at the hamburger stand now
ham plus burger equal burger at the hamburger stand now

And we'll have fun fun fun eating burgers at the hamburger stand

Fun Fun Fun till my daddy took my T-bird away

その時が、生まれて初めての葬儀の出席だった。

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