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ツイッターは瞬速短歌?-メディアの民主化

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 ツイッターを始めたは2年半ほど前である。
「まず、5人をフォローしましょう」とでてきたので、そのころ好きだったお笑い芸人の「有吉」をフォローした。フォロワーが孫さんくらい沢山いた。
 
 きっとテレビで見る一発芸のように、毎日オモシロいことをツイートするのだろうなと期待した。ところが、である。これまで一度もオモシロイと感じたことがない。
なぜだろうと興味をもった。ツイッターではお金をもらえないから、オモシロいことを言わないのだろうか?
 
 
ツイッターは 140 文字以内-補助金申請書「概要」は 200 文字以内
 
私は、ツイッターを始めたころは、140文字の制限いっぱいまで書いて、毎日、投稿した。140文字では起承転結で思いを書ききれない。そこを、なんとか140文字ピッタリで収めようと練習した。それは、200文字の大切さを知っていたからだ。
 
私は、何度も国の補助金申請書や学会論文を書いて通して経験がある。
 
補助金申請書はA4で30枚くらいの書類を書くのだが、その1ページ目の一番上が「タイトル」である。審査官が申請書を審査する際、何をみるか。審査官はまずタイトルから読む。だから一瞬で「これはなんだろう?」と審査官が興味を持つタイトルにすることが大切だ。
 
「読む」とは字を目で見ることだ。したがって、一瞬で目がいくタイトルにすることが大切だ。目がいくとは文字面(もじづら)を見ているのである。まず文字面だ。次に頭に中で無音の発音をして心地よいことだ。かつ意味不明で「なんだ、これは?」と本文を見てみたいとの興味に駆られる文字表現が重要なのである。
 
タイトルと中身とが関係なくても良い。まずタイトルで興味を持ってもらえないと、どうせ中身は真剣に読んではもらえないのだから。
 
申請書ではタイトルの次が「研究の概要」である。この「研究の概要」は、200文字以内という規定がある。補助金申請は、200文字を1字でも超えたら書類は受付てもらえない。学会論文のアブストラクトも 200 文字か250 文字が規定だ。
 
申請書の「研究の概要」と学会論文のアブストラクトとの共通点は、どちらも、その200文字で審査官を魅了できなければ、残りのページにどんな立派なことが書いてあっても、読んではもらえないということだ。
 
申請書だと、残りの30ページが無駄になる。学会論文だと数ヶ月が無駄になるのだ。それほど、大切な「概要」や「アブストラクト」を、国も学会も200文字で規定している。
 
これは、日本人なら、どんな大切なことでも、その概要を200文字の日本語で起承転結を表現することができることを、長年かけて知っているからだ。私がツイッターの140文字に興味を持ったのは、140文字で起承転結が表現できるかというところだ。
 
 
ツイッターは新たな短歌?
 
私は、毎日、最後の「。」を入れて139文字か140文字で終わるように書いた。読むと結構ためになることを書いたつもりだ。ところが幾らかいてもフォロワーはまったく増えない。今でもフォロワーは90人ほどだ。
 
私は補助金や学会論文を200文字で表現するのは練習をしたが、やはり、140文字では起承転結は書けないのだとアキラメた。やはりアメリカ生まれのツイッター社は、日本語の本質がわかっていなかったので、140文字という規定を作ったのだとかってに納得した。
 
ところが、大きな事件などが起きたときにネットを見てみると、中には本当にオモシロい表現をする人がいる。140文字など使っていない。ツイッターで1行ほどである。
 
短歌は五七五七七の31文字で自然や、生活、社会情勢を表現する。ツイッター1行は32文字。日本人にとって、ツイッターは、まだ法則のない、新たな俳句や短歌のようなものなのか?詠うように表現しないと人の感心をよべないのか?
 
 
SNS による新たな文語体の出現?
   
言語には口語体と文語体がある。テレビで見る有吉は音による口語体のプロだ。口語の特徴は、1分の沈黙は許されない。とにかく何か言わなければいけない。お笑いのプロは、反射的にオモシロいことを音として発することができる人のことだ。
 
文語体は文字だ。文字は書く。書かれた文字を見る側には、どれだけ時間をかけて考え抜いて書いたかはわからない。だから、ある意味、口語ほどは反射的でなくても良い。ワープロが一般的になるまで、個人は文字を手で書いていた。
 
インターネットでメールが送れるようになった95年あたりまでは、文字を書くとは、書類を作るか、日記や手紙を書くくらいしかなかった。メールで一気に文字を書く機会が増えた。ただメールはあくまでも個人宛の書簡である。今でもそうだが、メールの書式は手紙のように書く。
 
個人が、不特定多数が読むことを想定した文章を書くようになったのは、10年ほど前に始まったブログからだ。しかし、ブログは散文的文語体で書かれる。そのため、新聞や小説などの文語と比較される。私もこうしてブログを書いているが、それはある程度時間をかけて考えたことを何度か書き直してアップしている。
 
ところがSNSの出現で、文字で表現しなければいけない速度が一気に速くなった。特にツイッターは、140文字の中で散文的な文語体で表現しようにも、まともなことは表現しきれない。文字を受け取る側も、スマホの出現で文字認識能力が急速に速くなっている。この速度間が日本語の文語体を変えている。
 
旬な時に、旬な文字図(もじづら)で、気の利いたことを、30文字ほどで表現できる人がスターだ。1時間遅れると遅すぎる。そんな速度感を持った視覚的文語体が始まっている。
 
「その速度が気になる、キニナル」
「東京をイキキル」  
 
それは、わずか3 年ほど前からだ。
 
 
メディア民主主義の時代
 
そうなると、「有吉」が追いつけないのが納得できる。要求されている能力が違うである。テレビのお笑い芸人とは、反射神経の口語体が上手い人だ。かつての漫才は練習に練習を重ねたネタをやっていた。それは、伝播速度が遅かったからだ。
 
M1グランプリ(2001年~ 2010年)では5分だった芸が、レッドカーペット(2007 年~)では1分になっている。そのレッドカーペットも定期放送は終わり、皆が一発屋と呼ばれるようになっている。オモシロいことを発明しても、インターネットで一瞬に伝播され、人々は飽きてしまう。
 
こんなに高速で、大量の文字が消費される時代を初めてむかえているからだ。今、生き残ってるのは、あらゆる状況において反射的にオモシロい言葉を発する芸人、もしくはかつては発していた芸人だ。確かに頭の回転は速い。しかし、彼らのそれは耳に心地よい音の言葉である。 
 
SNSの中では目にも頭にも心地よい文字が勝つ。そこでは、音の口語体を使う芸人とは違う頭の使うのだ。 5分黙って考えることもできる新たな文語体である。
 
SNSが一般的に使われるようになって、3年ほどの間に、文字は毎日高速に使われるようになった。このわずかな期間に、不特定多数の中から、新たな文語体が次々に生まれている。
 
これまでのメディアとは特定少数が、一方的に、自分の都合のよい情報を発信する専制君主の時代だった。インターネットにより不特定多数が自由に発信できるメディア民主主義が始まっている。ブログも、動画も、SNSも、今や素人が一瞬でスターになれる。
 
生まれたばかりの SNS のリングでは、プロも素人も対等だ。ツイッターの例のように全く新しいルールで勝負できる。顔のない不特定多数の知が、まるで古い城壁を壊すように、少数の優れたプロの知を乗り越える音が聞こえるようだ。
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