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『嫌われる勇気』(アドラー心理学)著者・岸見一郎氏の講演会に行ってきた!(2015年11月28日(土))<レポート後編>

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2015年11月28日(土)参加したアドラー心理学の講演会レポート、続編です。

13時半から16時半の3時間講演、13時会場ちょっと前に会場のTCA(水天宮)到着。
まだ5人くらいしかいなくて、当然の一番前席、かぶりつきです。

というのも、スクリーンもなく、資料投影なし、の様子だったので、何はともあれ、話者の岸見一郎氏がよく見える場所にいたほうがよいだろうとの判断です。通常は、真ん前の席ではなく、2列目に陣取ることが多いのですが、このかぶりつき席が実は正解だったことを知るのは、講演会が始まってからのこと。理由については、後述します。

さて、レポート後編、15時からの1時間半は、Q&Aセッション。実はここからが本番という感じでした。前半は、『嫌われる勇気』にも書かれているアドラー心理学の基本的な考え方をさくっとご紹介。本を読んでいる人には復習、本を読んでいない人にはまずは知識編として頭に入れたというところです。

250人くらいいたと思う聴講者にマイクが回され、途切れることなく数多くの、多種多様な質問が出てきました。聴講者の大半が産業カウンセラー有資格者だと思われ、そのためか、やはり、カウンセリング場面で遭遇するであろう具体的でディープな話題が質問というより、ほぼ相談に近い形で述べられます。
岸見氏は、それに一つ一つ、アドラー心理学の視点とご自身が実際に関わったカウンセリング事例とで解説。

ここで非常に腹落ちしたことがたくさんありました。

さて、メモに基づいて再現しましょう。(自分で書いたメモの再現なので、詳細とか微妙な表現が実際のものと少し違っている可能性がある点はご容赦ください)

Q1:先ほど「褒める」のは良くない。「貢献」に注目しなさい。とおっしゃいましたが、私、最近、4歳の孫と同居することになり、そうすると、つい「褒めてしまう」のです。褒めるのはいけないとおっしゃったので、肝に銘じたいと思います。(・・って、しょっぱなが質問じゃなくて、感想だったwww)

A1:お孫さんと同居ですか。それはそれは。「孫」「小さい子」と思うと、つい褒めてしまうのですが、「大切な友だち」と思ったらどう言いますかね。そう考えてみてはどうでしょう?何かをしたとき、大切な友だちだったら、「いい子だね」「よくできたね」なんて言わないですよね。たぶん、「ありがとう」と言うんじゃないかと思います。

どういう祖父母になるか?ということも大事ですね。怖い祖父母になる?甘い祖父母になる? この2つの選択肢と思うかも知れないけれど、どちらもやめたらいいんです。「役割の仮面(ペルソナ)」を外す、という言い方をします。 役割の仮面を外して、孫とも対等の関係で接するのです。子どもは話せば分かりますよ。1歳児でも。



Q2:職業相談をしています。来談者のいろいろなカウンセリングをしています。承認欲求がすべてだとおっしゃる人がいます。「承認欲求」っていけないものなんでしょうか?

A2:職場では、上司の顔色をうかがう、誰かの評価を気にしなければ、出世できない、などいろいろあるでしょうけれど、でも、なんでも「その通りです」というものでもないですよね。誰かが言っていることが間違っていると思ったら、「それは違うのではないか」と言う勇気も持たなければならない。
つい「誰がそれを言っているか」を考えてしまいますが、一度でいいから、「誰が言っているか」ではなく、「何がそこで言われているか」に注目してみるといいのです。



Q3:アドラー心理学をどう日常に取り入れたらよいでしょうか?

A3:理論的には非常にシンプルなのです。だから、アタマが良い人には、シンプル過ぎて向いていないかも知れません。講演をしていると、たまにこうおっしゃる人がいます。「こんな簡単なこと、私はずーっとやってきたことばかりだった」と。こういうことを言う人は、一般に「ランキングじゃんけん(注1)」の人ですね(会場爆笑)。表現も考え方もシンプルです。けれど、学んで実践することとなると、実はとても難しい心理学だと思っています。できることからやるしかないんです。



Q4:友人が少しメンタルで悩んでいて、その話を聴かされますが、私もそこに巻き込まれそうになります。アドラー心理学の「課題の分離」についてもう少し教えてください。

A4:「課題の分離」自体は、人間関係における最終的な目的ではない。課題がごちゃごちゃになりやすいので、「分離」してみるというもの。
例を上げましょう。「勉強しない」ということの課題は誰のものですか?「親の課題」ではなく、「子どもの課題」ですね。
でも、分離できないこともあります。別の例で説明します。「仕事ができない部下」というのは、「部下の課題」ではなく、「上司の課題」ですね。
そういう場合は、「共通の課題」として取り組むこともあります。
そういうお友だちには、「何かできることがあったら言ってね」という言い方をするのがよいでしょう。
何でも自分ごととして捉え、熱く支援していくような"熱い関係"がよいとは思えません。相手の課題を全部引き受けちゃうようなことはよくないのです。
アドラーはこうも言っています。
「患者を無責任と依存の地位に置いてはいけない」と。
「無責任」にするというのは、「あなたの症状、病気は、あなたのせいではないよ」と言ってしまうことです。
一方でカウンセラーや友人が「依存」されたら、力になってあげることができません。課題を抱えた自分自身の力でよくなっていかないといけないのです。
だから、たとえば、カウンセラーが「先生のおかげでよくなりました」などとクライアントに言われたら、それ、ダメなんです。
自分の力でなんとかやっていけるとクライアントが自分で思えたら、そこでカウンセリングは終えられます。
心の病を抱えていると、必要以上に依存してくる人がいます。そして、カウンセラーもその依存が自分の承認欲求を満たすものだから、依存に応じたくなるという問題があります。そこを分離しないといけないんですね。



Q5:さきほど、「存在している」レベルでも他者に貢献できるというお話がありました。どのタイミングで、「存在しているだけで貢献なんだ」という感じが芽生えるのか?そう思えない成育歴の人もいます。

A5:親子関係のあり方によってこれは変わってくるはずです。「生きている」という時間を味わう、そういう体験をしてこなかった人がいたら、つまり、父も母も自分の「仲間」だと思えないような育ち方をしてしまったとしたら、そうだとしても、彼ら・彼女らに「過去がない」と言う風に考えるのではなく、「過去のことを、今、問題にしても仕方がない」と考えたらよいのです。



Q6:企業内で看護師をしています。自信過剰で、上司に立ち向かっては叱られている若い人がいます。「自分には能力があるのに、だから、もっと能力にあった仕事をさせてください」という社員がいるのですが。

A6:「優越コンプレックス」と言いまして、現実が伴っていないのに、過剰に自分を誇示する人というのがいます。これは、劣等感の裏返しなんですね。
「支戦場(しせんじょう)」・・・本来の仕事の場で戦わず、上司は部下に理不尽に叱るのも、上司側の「承認欲求」の表われです。上司も劣等感がある。
部下は部下で、そのやり方にのっかって、はむかっていく。こちらも劣等感の表われ。
子どもの例ですけれど、問題行動を起こす子どもというのは、「責めて叱られたい」と思うという屈折した欲求があります。



Q7:家庭の問題で、問題行動を起こす子ども。どうしたらよい?

A7:「不適切な行動」を無視するのがよくないです。アドラー心理学で言っているのは、「注目しない」であって、「無視する」ではありません。
問題行動に注目すればするほど、問題行動は続いて行きます。
問題行動は、どちらかと言えば「闇」です。「闇」には「光」を当てるしかない。「光を当てる」とは、つまり「勇気づける」ことです。
本人がその行動に向き合う援助をするのです。
「結末を体験させる」ことで大人が叱らなくていい方法があります。
「結末の体験」には3種類あります。
①自然の結末を体験させる・・・自然にそうなっちゃうよね、というもの
②社会的結末を体験させる・・・たとえば、ルールを決めておくことで、ルールに結末をゆだねるような例です。
たとえば、授業で「15回の講座の内、5回欠席すると期末試験は受けられません」というルールを最初に決めておくことで、教師は叱ることなく、学生がその社会的結末を知ることとなります。ただし、これ、適切なルールである必要があります。
では、「適切なルール」とは何か。
  1)立法の民主制・・・「誰も知らない間に出来たルール」は誰も守れません。
  2)適法の平等性・・・「守らなくていい人もいる」なんてのはダメです。誰にも平等に適用されるルールであること
③論理的結末・・・結末を話し合いによって予測するお手伝いをする。「今のままだと、どうなると思う?」という対話をする。こういう話し合いができる関係を日頃から作っておくことももちろん大事です。



Q8:「やめなきゃいけないなけど、やめられないんです」というような相談があります。

A8:「わかっているけど、やめられない」とよく人は言いますが、たとえば、ダイエットしているのに、つい食べちゃう。「わかっちゃいるけど、甘いモノを食べるのを止められない。つい食べちゃう」と。それ、「つい食べた」のではなく、食べるその瞬間に、自分で「食べていい」と判断しているんです。あなた自身が「自分で自分に食べていいという判断を下しているんですよ」と誰かが教えてあげないといけないんですよね。
「変われない」という人がいますけれど、それ、「変わりたくない」んです。「変わらない」と自分で判断している。
「治療抵抗」という言葉があります。よく「できない、できない」という人がいますが、「できない」のではなく「やらない」と自分で決めているんですよ。

アドラーはこう言っています。「症状の除去は、カウンセラーの目標にはならない」と。

例で説明しましょう。ある時、中学一年生の女の子が親御さんなしに一人でクリニックに来談されました。こういうの、非常に珍しいのです。歯医者や内科だって親御さんがついてくるでしょう?ましてや精神に関するクリニックに子ども一人で来るなんて。で、「赤面症を治してほしい」と言ってきた。
そこで尋ねました。
「赤面症が治ったら、何をしたいの?」
「男と付き合いたい」

中1で"おとこのこ"じゃなくて、"おとこ"って言ったのにボクは驚いたのですが、だって、本当に普通の女の子なんですよ。で、とにかく、男性を付き合いたいと言う訳です。
彼女の中では、男性と付き合ってみたいのに、付き合えないのはなぜかと考えた時、そこに症状が必要になってきたのですね。「赤面症」だから付き合うことができないと。で、色々あって、その後、合コンに行ったんだそうです。中1で(笑)。合コン後、メールが来た人がいたりして、なんか、そこで我に返ったというか。彼女は気づいたらしんです。
「男性を付き合うことが、今の私の最優先課題ではない」と気づいた。そうしたら、「赤面症」という症状も"不要"になって。それでカウンセリングは終了です。

もう一つの例です。「過食症」の女性がいました。
「10日間、大学に行ってない。行けなくなった」と言うのです。たくさん食べて、食べ吐きをしているらしい。
こういう時、「この症状は誰に向けられたのか」を考えます。「症状」には「相手」があります。
この場合の「相手」は、彼女の「母親」でした。
相手から注目されたい、注目されるためには「症状」が必要になります。
彼女はとても優秀で、親の期待通りに育って、大学にも入りました。
カウンセリングを通じて、こう伝えました。「あなたの人生は、自分で決めていいんだよ」と。
そうこうするうちに、「過食症」という症状が不要になって、それでカウンセリングは終了です。
とまあ、こんな風に、「症状」の除去ではなく、その「症状」が目的とすることを考えるのです。



Q9:友人から相談されて困っています。お子さんが折角合格した大学へ10日で通わなくなったと言います。お母様(友人)は、病院やカウンセラーやその他相談室などに通い、色々相談しているそうです。そんな中、これ、と思ったチェックシートを使ってみたら、どうも「アスペルガー症候群」のチェックに当てはまる部分も多いというのです。ただし、お子さん自身に病識はなく。こういう時、どう対応すればよいのでしょうか?

A9:まず最初に言えることは、「病名」をすぐつけるのはよしたほうがよいです。それと、アドラーは「原因」を探すのは止めよう」とも言っています。
原因、理由・・・何かあるはずだ!と周囲は考えたくなりますが、理由は後付けになります。
人間は、「こうしよう」と思ったら、それをします。理由は後づけで考えるものです。
たとえば、「好きな人」が出来て、相手のことをどこを見ても、「ああ、いいなぁ」と思うものですが、ひとたび、気持ちがさめると今度は、「〇〇だから嫌いだ」と後から理由づけしてくもんです。
「大学へ行かない」と本人が決めてしまうと、理由はなんとでも後づけできます。それよりも、「なぜ?」と考えるのです。行かないと決めた「目的」というか。
この場合、明らかにお母さんは東奔西走して、「悩んでいる」わけですよね。「お母さんが一番困る時にお母さんが一番困ることをしている」、これが「学校に行かない」目的です。 「学校に行かないこと」は誰の課題でしょう?「本人の課題」ですよね。ここで「課題の分離」をする必要があいrます。
例を挙げましょう。中学生ころから引きこもり、10年経過して、とうとう成人してしまった人がいます。親御さんが相談に来られました。息子さんからのケイタイ着信を気にしているんです。聴けば、「今日はカウンセリングに言ってくるけど、何かあったらお母さんに電話してね、と言ってきたので、ケイタイを切るわけにはいかない」とお母さんはおっしゃる。それで、ボクは言いました。「携帯、電源切りましょうよ」と。すると、お母さんは、「だって、お母さんが電話に出なかったら、ボクは死ぬ、と言うのです」と抵抗した。ここは非常に考えなければならないところではありますが、ボクはその時、「大丈夫、絶対死なないから、思い切って、電話切ってください」といました。子どもは、親が関われば関わるほど、子どもの屈折した承認欲求を満たしてしまうんです。 自分のことは自分で決めなければならない、ということをわからせていくしかない。このカウンセリングに、子どもは来ていませんから、相談内容は「引きこもりの子どものこと」だったのですが、当人がいないところで、当人の話しをしても仕方ないので、お母さんの話しをすることにしました。
お母さんに「何か趣味はありませんか?」と聞いてみました。子どもに注意関心を払い過ぎないためです。そのお母さんは太極拳とおっしゃって、子どもを家に置いて、少しずつ外に出て太極拳を習い始めるんですが、それにはまって、中国に遠征までするようになって、そうなると、引きこもりの子どももお母さんいないからなんとかごはん食べないといけないというので、ちょっと変わってくるんですね。
別の例で、子どもの不登校について相談に来れられた時、当人がいないんで、当人不在ではその子どものことをテーマにはしないわけですね。
どうするかというと、お母さんに焦点を当てます。
たとえば、「子どもが家にいるのが気にならなくなるにはどうしたらいいか」とか、そういうことならテーマにしますよ、と伝えます。その後、しばらくして、そのお母さん、「子どもと会話ができるようになりました!」と明るく言ってきた。「学校のことを話題にしないようにしたら、子どもと仲良くなれました」と。他愛もない話をすることができるようになったというんです。
目の前に来ている人の援助をするのがカウンセラーの役割です。

注1) 「ランキングじゃんけん」・・・勝間勝代さんと対談した際、「ランキングじゃんけん」という話が出てきたそうです。男性に多いそうですが、「どの大学出身?」とか「現在の地位は?」などいちいち相手と自分のランキングを比較して、勝とうとすること、だそう。こういう「ランキングじゃんけん」な人は、定年後、自分の肩書がなくなるとしょぼーんとしてしまう、などという話もちらっと出てました。

※最前列に陣取ってよかった理由:岸見氏の声が非常に小さい。ささやくようにお話になる。マイクを口に近づけていらっしゃるにも関わらず、だれかがくしゃみでもしようものなら何も聞こえなくなるほどのささやき声。最前列にいた関係で、かろうじて、肉声も同時に聞こえてきて、聞きもらすことはほぼなかった(皆無ではない!)けれど、5列目くらいにいたらしい同僚は、「時々聞こえなかった」と嘆いていたので、最後列など、もっと聞こえなかったのではないかと心配になった。
そういうこともあるので、前列にいた方がよいのですよね。

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「できないというけど、自分できめているんですよね」という観点。
「課題の分離」・・・という考え方は、非常に納得が行きました。「誰の課題か」という視点で支援することを私も覚えておきたいと思います。
もう一つ、「何かのために症状というものが必要になる」というお話。「症状の目的」を考えるという視点。

研修講師として年間1000人以上の方とお会いしますが、休憩時間や講習後に相談で残られる方がいらっしゃいます。
その相談とは、自分のことだったり、同僚や家族のことだったりします。

たとえば、「こういう研修を受けて、しばらくは続くんだけど、どうしてもやめちゃう。どうしたらいいんですか?」
「やるのをやめる、と決めているのは誰ですか?」ということですよね。

家族の相談を持ちかけられることもあります。本来、研修のテーマ外なので、対応しなくてよいのですが、単なる雑談レベルで会話することはあります。
そんな時は、「課題の分離」「症状の目的」という話しをしてみるのもよいかも知れません。

アドラー心理学、奥深い。

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このセミナーの帰りの電車の中で、さっそく、この本を買いました。
『嫌われる勇気』は、小説仕立てですが、この新書は、もっとアドラー心理学を真面目に解説していて、
詳しく理解できます。アドラーの成育歴などもあって、フロイトと袂を分かったあたりのいきさつもなるほどーと思いました。




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