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東京五輪で日本人が学ぶべき巨大プロジェクトの不条理

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東京2020オリンピック・パラリピック終了しました。無観客で私のチケットが無効となるなど色々残念な点は多かったのですが、もっと残念に思うことがあります。巨大国際プロジェクトの不条理さをほとんどの日本人が学べなかったことです。

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新興外資系企業で知った国際プロジェクトの不条理さ

マイクロソフト株式会社や日本オラクルなど大手外資系起業を経てきたのですが当時はまだ日本独自でプロジェクトをほとんど回していました。北米とヨーロッパチームのリソースを使いながら日本で実行するような、国際プロジェクトではありませんでした。巨大な国際プロジェクトとなると命令と統制をより強めないと運営が不可能となります。

また、日本の暗黙の常識とかも共有されないため、たとえば、「料理は肉、魚、ベジタリアンかどれか事前に聞いておけ」とかの命令が届いて、「ビュフェ方式で好きに取る方式が日本の常識だから」とか余分なコミュニケーションのコストがかかることになります。東京五輪で大量の弁当廃棄とか選手のペットボトルが大量に廃棄で我慢ならないとかの悲憤慷慨もこういったギャップが事前に埋められなかったことに起因する事象です。

日本の大組織は部門や現場の「命令違反」を容認しているという事実

グローバルな巨大プロジェクトに参加してわかること、それは日本の大組織は、部門や現場の「命令違反」を許容してともかく、大きな破綻なくやり遂げよという運営をしているという事実です。巨大電機メーカーやジェネリック医薬品メーカーなどで現場の規律違反がニュースになるわけですが、そもそも統制が緩く部門や現場の命令違反を容認している日本の大組織の体質が現れていると考えます。

失敗学関連で、命令違反が組織を伸ばすという著書も出ていますが、そもそも日本の組織は命令違反を許容しながら、無理な作戦や司令でも部門や現場の裁量でどうにかやり遂げるというプロジェクト運営を得意としてきました。

東京五輪2020をこの状況の2021年夏に実行するのは、インパール作成以来のロジスティックス軽視がもたらした うんぬん という批判は結局のところ、日本の実態がみえていません。参謀本部が無茶な作戦を建てても部門や現場の命令違反でどうにか成し遂げてきたという経緯があり、指令を出す本部は失敗に学べず また 部門や現場は無茶な作戦に対してだめだというフィードバックを怠る体質がありました。

「トップ」 →(命令) → 「部門」 → (無茶なことを現実的にフィットした命令) → 「現場(現場の裁量でどうにかする)」

IOCのバッハ会長の方針にイシューがあっても拒否してないのだからやり遂げるしかかなった東京

命令違反が体質に染み付いているので、2021年の夏前に医療関係者や野党らが、東京五輪中止とギリギリまで主張し、政府与党や菅義偉首相らは「安心安全の東京2020オリンピック競技大会」というスローガンを繰り返すだけでした。ここで肝心な事実が語られませんでした。もう返上できるタイミングを過ぎてしまったので東京20202五輪は無観客になろうがとにかく開催するしかないし、IOCのバッハ会長には逆らえないということです。偉さでいえば、開催国の象徴・元首の方がIOC会長より上なのは確かです。しかし、命令系統として2021年に開催することを受け入れて返上しなかった以上、五輪についてはIOCの会長が一番偉く、このひとの意見にイシューがあっても従わねばならないわけです。

東京五輪2020は巨大プロジェクトの不条理に向き合い理解するチャンス

巨大プロジェクトの不自由さや、不条理、無茶な命令でも事前に交渉して判断する権限を確保しなければやらざるをえないこと、それらを今からでいいから日本人は学ぶべき、そう考えます。この、部門や現場の判断を勝手にしないというやりかたに我々は慣れていないと自覚しています。しかし、サッカーJリーグの運営などを長年見続けてきた私からすると、現場の命令違反はやらずイシューがあれば上に報告して判断を仰ぐというこの命令系統を守る方式が巨大プロジェクトをより改善していく唯一の道ではないかと考えています。

東京五輪2020のような次がいつあるか分からないような大会をやり遂げられたから良かった というだけの経験では、巨額の予算を使い無観客開催という犠牲を払ったかいがないと考えます。

とかく、世の中は不条理で不公平です。恵まれた人と恵まれてない人との差は埋まり難く、受け入れがたい最期が待っています。アスリート・パラアスリートそして、開会式や閉会式のパフォーマーは一般の人とは違う素養や条件を持っており、映像で見せ続けられる夏を我々は過ごしました。そういう現実に向き合い、困難を乗り越える必要性や不条理な組織に向き合って、フィードバックし、ダブルループ学習で目標の前提からよりよくしていくしくみを作らねばならない、そんな気づきが得られれば、それが東京でオリパラを開催したレガシー(遺産)となることでしょう。

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