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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

単純明快さの良いところ

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米国の大統領は、次々と理解不能なことをしているように見える。所謂常識で見ればということなのだが、そして世界の平和とか地球環境とか人類の人権とか考えると、賛同できない部分が多々ある。だが、例えば最近大統領令にサインした規制緩和などを考えると、ある意味複雑になりすぎた行政の簡素化を進めているようにも見える。

考えてみれば、我が国は、様々起こる事象に対し、民間が自ら方向性をもって対応するという習慣がないため、結果として行政依存になり、個々の事象に個々に対処するものだから、全体の社会に与える影響や整合性が必ずしも担保されず、極めて複雑になっている面を否定できない。この点では我が国は極端なパターナリズムに陥っていると言わざるを得ず、個々の政策の是非は別にして、思い切って全面的に止めてしまうというトランプ的発想も取ってみた方が良い部分があるかもしれない。

それにしても総理の奥様が名誉校長だった学校の話は不可解だ。そもそも道徳主義的な総理を彷彿とさせる学校名だし、やはり何らかの関係を疑われても仕方ない。国粋主義的な方向性には危機感を感じるし、それがもしこのような形でなし崩し的に行われているのだとすれば、ちょっと空恐ろしいものを感じる。

小金井の裁判、確かに被告人の態度は報道を見る限りひどいものだと思う。だが、一方で被害者陳述がこれだけの長さというのも解せないし、マスコミの論調も被告人を非難するものが中心だが、それで判決に何らかの影響が及ぶのであれば、刑事裁判の原則に反するし、制度の趣旨からも逸脱していると感じる。ここでも大衆迎合主義に陥らないように注意が必要だと感じる。

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