オルタナティブ・ブログ > 山田智恵のビジネスアナトミー >

ビジネスや世の中の流れの分析。ときどき手帳の話など。

スティーブジョブスの「点と点をつなげる」背景

»
 
スティーブジョブスがなくなって1年がたちました。
特にMacユーザーでもない私ですが、昨年はジョブスへの追悼の意味も込めてインドに旅行にいきました。それはそれは、生涯忘れられない旅行になりました。それから1年。私はジョブス氏に関して、勝手に思っていることがあります。
スティーブジョブス氏のスタンフォードでの有名なスピーチがありますが、あの中では3つの話をしています。その中の一つ、「点と点をつなげる」話をいつも思い出します。
 
ジョブスは大学生の時に、裕福ではない里親に高い学費を支払ってもらうほどの大きな意義を大学に見いだせずに、退学を決意し、好きな授業だけ受けることにし、カリグラフィーの授業を受けた話です。その当時はそれが何の役にたつかもわからなかったけれど、のちにマックを開発するときにカリグラフィーの知識を使い、美しいフォントを持つ最初のコンピューターを誕生させることができたという話でした。
この体験から、「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。」とジョブスは言っています。
 


YouTube: Steve Jobs' 2005 Stanford Commencement Address

 

ところで、カリグラフィーって、どういうものかご存じですか?

私も中学時代に米国に3年間住んでいたことがあるのですが、選択科目でカリグラフィーのクラスがあり、とっていました。とっていたのは全員女子で、みんな大人しい、眼鏡をかけた内気な女の子達でした。演劇やスポーツのキラキラした人気者が多いクラスとは、真逆のクラスでした。 

よくアメリカ映画で、おばさまたちが集まって、オシャベリをしながらキルトや編み物をしている場面がありますよね?カリグラフィーも、ああいったイメージの世界です。(私はカリグラフィー大好きです!)

以下、勝手な妄想です。

本人はスピーチの中で「楽しい日々だった」と言っているのですが、その一方で「もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。」とも言っています。日本以上に学歴社会のアメリカで、大学を中退を決意して、カリグラフィーを習っている。スティーブジョブスも人の子なので、絶対に悩んでないわけはないと思うのです。

もちろん、カリグラフィーの美しさや素晴らしさに対しては心から感激していたとは思うのです。その一方で「僕は何をやっているのだろう」とも思っていたのはないかと。

ちょっと周りを見ると、ビバリーヒルズ高校生白書のような、GossipGirlのような青春時代を謳歌する世界が繰り広げられている。その横で、お金がなく、大学をドロップアウトして、カリグラフィーを習っているジョブス。

「いつか見てろよ」と思ったのではないかと思うのです。

その強い思いがあったからこそ、後から点と点を結びつけることができたのではないかと。10代のころのコンプレックスは、大人になってもずっと残ります。中学生の時に太っていてコンプレックスに思っていた子は、大人になって痩せてもずっと自分は太ってるんじゃないかと思うそうです。そのくらい強烈に残る。カリグラフィーを習っていた時の思いは、それだけ強く残っていたからこそ、後で生かせたのではないかと勝手に思っています。

ジョブスが亡くなって1年。

マックユーザーでもないのに、勝手にジョブスの心境を妄想し、思いをはせています。とんでもなく影響力のある人物なのだと、今さらながら思います。

 

Comment(0)