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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

故郷を見つめ直す... 富田林寺内町

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鹿児島を後にし、実家に帰って来た。

小学校三年生の時に引っ越して来てから高校を卒業するまで、毎日通い慣れた道、読み慣れた地名。そんな実家の近辺を、あらためて"Think like a traveler"の視点で歩いてみる。

富田林の駅は、私が電車通学をしていた古市駅からさらに南に二駅いったところ。その駅からほど近い所に、今は富田林町という名の寺内町があることを、初めて知った。

江戸時代にタイムスリップしたかのような町並み。

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富田林市のウェブサイト
は、寺内町の誕生について、次のように記載する。

富田林寺内町は、兵火と一揆が絶え間なかった16世紀半ばの戦国時代、ここ南河内、石川の畔に生まれました。
 永禄初年(1558〜1561年)、本願寺一家衆の京都興正寺第16世の証秀上人が、南河内一帯を支配していた守護代の美作守安見直政(これには諸説あります)から富田の「荒芝地」を銭百貫文で購入。興正寺別院の御堂を建立し、上人の指導のもと近隣4か村の庄屋株が中心となり開発が行なわれました。町全体を仏法の及ぶ空間、寺院の境内と見なして信者らが生活をともにする宗教自治都市「じないまち」の誕生です。

戦国時代に誕生した自治都市の寺内町には、日本の町には珍しく、外周に土塁を巡らせ堀割もあったらしい。4か所ある町の出入り口にはそれぞれ木戸門が構えられ、夜間は閉ざされて治安を守っていたという。江戸時代には、幕府直轄だったらしい。寺内町にある商家の旧杉山邸は、国の重要文化財に指定されている。

小学生の頃は、新築のモダンな家にあこがれ、土壁の古い民家なんて時代遅れと見下していたところがあった。ところが今では、かつてのモダンな家はかなりくたびれて見えるのに、土壁の古い民家はそのまま。かえってその姿が美しく見える。

何でも古いものがいいというのではないが、日本の気候風土を熟知したうえで建てられた民家の持つ知恵だろうか、そういうものに気づかされた。

とはいえ、昔のままの生活を強いられるのもつらい。寺内町でその広告を見かけた設計事務所では、外見は寺内町の町並みと調和しながら、内部は現代の生活にマッチした改築を手がけている。建築素材のリサイクルにもなるし、エコで良いですね。

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