エスノグラフィーでUXを観る
・エスノグラフィーっていったい何?
デザイナーとしてアメリカに駐在していた時、私は大型テレビのデザインを担当しており、多くの一般家庭を訪問し、単にヒヤリングだけでなくテレビが置かれている場所や、周辺に置かれている家具とのバランス、インテリアとのデザイン調和など、現地のリサーチ会社との協同作業で多くの要素をリサーチし、ペルソナなどを作りながら具体的なデザインに生かしていた。それらの作業自身は、今のエスノグラフィー技術とは比較にならないが、30年程前でも開発前の事前リサーチは日常的に行われており、さすがにアメリカはマーケティング先進国だと感心した記憶がある。
さて、その単純リサーチから一歩踏み込んだエスノグラフィーだが、昨今は私たちのようなユーザビリティをバックグラウンドに持つ人や、マーケティング担当者などでかなり一般的になってきた。 その言葉は、いったいどのような意味を持ち、何の役に立つのだろうか。 今回は、UXを演出するためのメソッドとして、最近注目を集めているエスノグラフィーについて考えてみよう。
エスノグラフィーの語源は、エスニック料理といえば大体皆さんの頭にイメージが思い浮かぶように、実はこのエスノ(民族)という言葉とグラフィー(記述)という言葉の合体語だ。デザインを学んだ大半の人は文化人類学を学ぶ機会があったと思うが、私自身の記憶をたどると、エスノグラフィーの始まりは文化人類学者が、例えばアマゾンの未開地で原住民と一定期間を共に暮らし、人類の根源を探り発祥の原点を解き明かすといったことだったと思う。
人類の起源に遡り、そこから現代人の行動心理を見直す。
なんとロマンあふれる学問ではないだろうか。
・エスノグラフィーの応用分野
さて、このエスノグラフィーだが、昨今はITの分野で言えば、サービス画面デザインの問題点発見とその改修に利用されたり、新規のサービス開発でそのポテンシャルを探るために、想定したターゲットユーザーから情報を得て、より精度の高いサービスに仕立て上げるといったことに活用されている。
以前本コラムで、その応用分野の一部である、ペルソナ(とある商品やサービス開発において、プロジェクトチームで合意された、より具体的な想定ユーザー)を紹介したが、実はIT分野では、そのペルソナと対でエスノグラフィーが活用されている。これまでUXではたびたび出ている、ユーザーと商品のタッチポイントのすべてで、この技術が活用できると私は考えている。商品は、コンシューマー用途からビジネス用途まで多岐にわたり、ある意味、売れるものすべてでエスノグラフィーは活用できる。
具体的には、洗剤の開発をするなら、一般家庭の洗濯の場面を時間をかけて観察し、ピックアップした行動について、インタビューなどでその行動をさらに掘り下げる。単に表面的な主婦の意見をうのみにするのではなく、行動の裏に隠された非露出、非言語領域まで踏み込むことで、その真意を探り、商品開発に生かすといったことも行われており、そのような洞察がエスノグラフィーの最大の魅力だ。
ずいぶん前のことになるが、日立は「野菜中心蔵」という冷蔵庫を販売していた。「中心蔵」は「忠臣蔵」をもじったもので、この誕生には秘話がある。当時、かなりの数の一般家庭の冷蔵庫前にカメラを取り付け、主婦と冷蔵庫の関係を探っていた。その膨大なデータを再生して一つの知見を得た。それは当時、野菜の出し入れが最も頻度が高いにも関わらずマルチドア冷蔵庫の最下段に野菜室があり、主婦が困っているという事実だった。この質問をしても多くの主婦は、野菜室の位置に疑問を持たず、仕方なくその出し入れを行っていた。ところが、収録されたビデオからは、間違いなく主婦が困っている構図が読めた。時には腰痛を引き起こす原因にもなっていた。結果として上から冷蔵室→野菜室→冷凍室として「野菜中心蔵」を発売、爆発的なヒットとなった。まさにカメラがとらえた真実の瞬間だったと言える。ご承知のとおり昨今は、冷凍室が中央部にある。これは冷凍食品の出し入れ頻度が、ライフスタイルの変化に伴い増加、結果としてそうなっているわけだが、これは「野菜中心蔵」の誕生経緯から容易に推測できるもので、消費者行動を真摯に見つめる目は重要だということの証左だ。
・「みる」を考える
これらの結果から、私がエスノグラフィーのポイントとして考えているのは以下だ。
見る(Look)第一印象としてさらりと「みる」
観る(Watch)ユーザーの立場として、商品を選ぼうと思い「みる」
診る(Examine)使っているシーンを思い浮かべ、さらにその環境まで考えて「みる」
創る(Create)これまでのステップを総合化してアイデアを練り、ソリューションを考える
というプロセスを経て、再度
看る(Nurse)使用中、使用後を含めて、見守るように「みる」
これをワンループとすることを提案したい。
多くの「みる」が出てきたが、その見かたのレベルがそれぞれに違い、意味も異なる。そこには気づきが常に付随しており、そのレベルも変わる。UX観点からは、その掘り下げのレベルでユーザーの経験分析も随時変化していく。ただ重要なことは、単にみる深さが深ければいいのではなく、種類を変えることで、発見のポイントが変わり、それがそのまま経験品質を左右するということだ。いずれにしても商品のライフサイクルを見たうえで、エスノグラフィーメソッドでPDCAサイクルを回せば、お客さまにとって、より満足度の高い商品、より売れる商品を創ることができると思う。
・ビッグデータが創る"リアルタイムエスノグラフィー"
また、リアルタイムエスノグラフィーという考え方も提唱したい。従来のエスノグラフィーは、行動観察をベースとして特定の個人、特定の作業(商品)で、じっくり腰を据えて観察し、その結果から、何らかの気づきを得て発想し、モノの改善や新たな商品作りにつなぐというのが典型的なメソッドだ。その観察で得た結果に、昨今のSNSなどから得られる、しかもリアルタイムのビッグデータを掛け合わせればどうなるだろうか。単に「個性」というだけで切り捨てられることの多いエスノグラフィーから得られた結果に、より客観性を持たせることが可能になるのではないだろうか。昨今は多くのビッグデータ解析サービスがスタートしているので、これからエスノグラフィーは客観性を得て、さらに成長することを期待したい。
・エスノグラフィーを提案に生かす
エスノグラフィー=「モノづくり」「モノ改善」というのが一般的なメソッドだが、実は重要なポイントが、「見て」→「気づく」ことにあり、提案力強化につながることを見逃してはいけない。例えばお客さまに何らかの提案をする、もしくは提案書を作成する、その時に、自社の考え、能力、技術だけを一方的に展開してはいないだろうか。過去に多くの提案書を見ているが、そのような提案書が何と多いことだろうか。これから共に経験を積み重ねていくお客さまのことをあまりにも知らなさすぎる。提案の前には多くの場合、お客さまからのオリエンテーションがある。また、お客さまの情報はWebサイトからも得られる。上場企業の場合は、株主総会の資料ですら提案のための重要な素材となる。これらを提案する側がいかに気づき、それらの素材を提案書に反映できるかが、昨今はより重要になってきている。
従来は、各社から出された提案書比較の際に、機能に重点が置かれ、RFP(提案依頼書)で記された要求仕様にいかにフィットしているかが、勝負の分かれ目だった。 しかし昨今では、その機能比較だけでは採用ポイントにならず、その提案で企業がいかに成長し、いかにイノベーションを起こせるかが採用の軸となる。採用を決めるためには提案企業がいかに提案先企業を理解し、その事業伸長を見据えているかを、提案書に描いていないと採用されない。これまでは、採用判断が技術部門だったかもしれないが、最近では決定部門の幅も広がっている。お客さまのことを十分に知り尽くすというプロセスでも、大いにエスノグラフィー技術は応用できる。
次回は、私の専門分野でもあるWebサイトとUXの関係について掘り下げてみたい。
※文章中に記載された社名および製品名は各社の商標または登録商標です。
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