AIが「1→9」を担う時代に、人事は何をデザインするのか ― 知識創造理論から考える、人事の3つの新しい役割
▫️はじめに
『日本の人事部』の連載「キーパーソンが語る"人と組織"」に、政策研究大学院大学の廣瀬文乃教授のインタビューが掲載されました(2026年10月20日)。タイトルは「AI時代にこそ求められる、人による『知識創造』の神髄――人事部門が担うべき三つの役割とは」です。
廣瀬先生は、野中郁次郎・一橋大学名誉教授の末弟子で、組織的知識創造理論を専門とされています。AIの導入が進むなかで、人にしか生み出せない価値とは何か、そして人事はそれをどう支えるのか。日本発の経営理論の視点から語られた内容は、私がこれまで論じてきたテーマと深く重なっていました。
本稿では、記事の要点を整理したうえで、人事の視点から私の解釈を述べます。事実の整理と解釈は、分けて書きます。
▫️記事の要点1:「0→1」と「9→10」は人が担う
廣瀬先生は、野中郁次郎先生と竹内弘高先生の著書『ワイズ・カンパニー』を引き、イノベーションを0から10の段階で捉えています。「0→1」は人間の構想力、「1→9」はAIによる効率化、そして「9→10」は再び人間が担う、という整理です。
生成AIは情報の処理や組み合わせに優れています。一方で、経験に意味を与えること、「何が善いか」を判断すること、その結果を引き受けることは、人間の役割だとしています。これからは、価値基準や美意識(感性)を示す力が鍵になる、とも述べています。
▫️記事の要点2:データは「誰かの経験の痕跡」
知識創造理論の中核にあるのが、SECIモデルです。暗黙知と形式知の相互変換を、共同化、表出化、連結化、内面化の4段階のスパイラルで表したもので、1990年代に野中先生と竹内先生が提唱しました。
廣瀬先生は、データは誰かの経験の痕跡であり、未来を示すものではない、と指摘します。顧客が感じた違和感や、まだ言葉になっていないニーズは、データベースには残りにくい。そこにこそ、暗黙知の源泉がある、という見方です。
そして、生成AIはSECIのうち「連結化」(形式知と形式知を組み合わせる段階)を大きく加速させる一方で、「共同化」「表出化」「内面化」には、人間の経験と行為が欠かせないとしています。
▫️記事の要点3:「場」と、建設的な対立
知識が生まれるには、「場(Ba)」が必要です。記事では、SECIの各段階に対応する場として、創発場、対話場、体系場、実践場が紹介されています。こうした場は、リモートや非同期の環境でも成り立ちうるとしています。
印象的だったのは、心理的安全性についての言及です。心理的安全性は、対立をなくすためのものではなく、建設的な対立に耐えられる関係をつくるためのものだ、という指摘です。野中先生が「知的コンバット」と呼んだ真剣な議論も、新しい知を生む機会として捉えるべきだとしています。
あわせて、ワイズ・リーダーに求められる能力として、善い目的をつくる、ありのままを見る、場をつくる、物語る、影響力を使い分ける、組織する、の6つが紹介されています。
▫️記事の要点4:取り入れるときの注意点
自社に取り入れる際の注意として、記事は次のような点を挙げています。
・いきなりモデルを導入するのではなく、「自社は何のために存在するのか」から始め、すでに起きている知識創造の事例を探す
・形式知化やデータベース化だけを、知識創造とみなさない
・全社的な大きな制度から始めず、一つのチームで小さな循環を回し、成功体験を物語として共有する
・効果が出るまでには時間がかかるため、トップのコミットメントが欠かせない
生成AIは案を生み出す助けにはなるが、選び、実践し、結果を引き受けるのは人間であり、「選ぶ力」「実践する力」「学び直す力」が重要になる、とも述べています。
▫️記事の要点5:人事部門に加わる3つの役割
記事の結論は、人事部門の役割です。廣瀬先生は、デイビッド・ウルリッチが示した4つの役割(戦略的パートナー、管理のエキスパート、従業員のチャンピオン、変革のエージェント)を踏まえたうえで、AI時代の知識創造の観点から、3つの役割を加えています。
・場のデザイナー:採用、配置、異動、プロジェクトの組み合わせを、知識創造の「場」として設計する
・経験学習のプロデューサー:AIに任せる仕事と、あえて人に経験させる仕事を区別し、暗黙知が育つ経験の質と量を確保する
・実践知のリーダー集団:人事自身が実践知を備え、組織の中に実践知を持つリーダーを育てる
▫️私の解釈1:「経験学習のプロデューサー」が最も重い
ここからは、記事そのものではなく、私の解釈です。
3つの役割のうち、私が最も重要だと感じたのは「経験学習のプロデューサー」です。
AIで業務を効率化すると、これまで若手が経験を通じて学んでいた仕事も、AIに置き換わっていきます。資料の下調べ、議事録の作成、データの集計。こうした仕事は、効率の面では手放してよいものに見えます。けれど、その中で人は、顧客の違和感に気づき、業務の勘所をつかみ、暗黙知を育ててきました。
効率だけを追えば、暗黙知を育てる「修羅場」も「試行錯誤」も、組織から静かに消えていくかもしれません。何をAIに任せ、何をあえて人に経験させるのか。この線引きは、業務設計であると同時に、人材育成の設計です。
これは、令和8年版の労働経済白書が紹介していた研究とも重なります。AIから答えをそのままもらう学生は、ヒントを引き出して使う学生より、AIを使えなくなったときの成績の落ち込みが大きかったそうです。AIとの付き合い方を誤ると、人の経験と力は育ちません。
▫️私の解釈2:測りやすいものが、知識創造を空洞化させる
廣瀬先生が、形式知化やデータベース化だけを知識創造とみなさないよう注意している点も、非常に示唆的です。
文書化の件数、ナレッジの登録数、AIに読み込ませた資料の量。これらは測りやすい指標です。けれど、測りやすいものを目標にすれば、組織はそれを増やすことに最適化され、本当に大切な暗黙知の循環は見えなくなります。測定値が目標になると、その測定値は良い指標として機能しなくなる。グッドハートの法則は、知識創造にも当てはまるのだと思います。
人事が知識創造を支えるなら、何を測り、何を評価するのかも、あわせて設計する必要があります。
▫️私の解釈3:「場」と「専門家」を支える仕組み
先日紹介したHarvard Business Reviewの研究では、生成AIの共同実験を続けた組織と、現場の専門家の8割超が離脱した組織の差は、専門家を支える仕組みの有無にありました。継続的な学びの場、共通の評価基準、そして実験の仕事を評価と報酬に反映すること、です。
これは、廣瀬先生の言う「場のデザイナー」の仕事と重なります。場は、自然には生まれません。知的コンバットができる関係、試行錯誤が許される時間、その貢献が認められる評価。これらを設計するのは、人事の役割です。
▫️留意点
・本稿は、インタビュー記事の要点を整理したもので、記事の全文ではありません。詳細は原文をご確認ください。
・SECIモデルの各段階を順番にこなすことは逆効果になりうる、と記事自身が注意しています。モデルを形式的に当てはめるのではなく、自社の目的と部門の特性に合わせることが前提です。
・「AIに任せる仕事と、人に経験させる仕事の線引き」は、業務や職種によって大きく異なります。一律のルールではなく、部門ごとの対話のなかで決めていく必要があると考えます。
▫️自社で点検したい問い
1. AIに任せた仕事の中に、若手が暗黙知を育てていた経験が含まれていないか。
2. 何をあえて人に経験させるかを、意図して決めているか。
3. 知識共有を、文書化の件数やナレッジの登録数だけで測っていないか。
4. 立場を越えて真剣に議論できる「場」が、組織の中にあるか。
5. 心理的安全性を、対立を避けることと取り違えていないか。
▫️おわりに
AIが「1→9」を担うほど、「0→1」と「9→10」を生む人の経験と、それを育てる場の価値は高まります。
AI活用の本質は、人と組織の変革にあります。その中で人事が担うのは、AIと人が協働しながら、人が知を生み出し続けられる環境をデザインすることだと、改めて感じました。
▫️出典
『日本の人事部』「AI時代にこそ求められる、人による『知識創造』の神髄――人事部門が担うべき三つの役割とは」(2026年10月20日)
Harvard Business Review「AI Experiments Need Domain Experts. Here's How to Support Them.」(2026年8月6日)
厚生労働省「『令和8年版 労働経済の分析』を公表します」(2026年9月29日)