花園大学06年後期集中講義レジュメ1
[引用]
単行本1300万部 ドラマ アニメ 音楽ガイドブック CD 楽曲ダウンロード のだめオーケストラ 『のだめ』クラシックガイド のだめバッグ のだめ弁当 のだめのどあめ
リアルのだめ(モデル) デ・ヴィンチで対談
メディア、商品、インターネット・サイト 読者・消費者の様々な広がり
参照
Yahoo Japan 『のだめカンタービレ』特集 http://nodame.yahoo.co.jp/
ファミマ のだめ弁当 クウラブハウスサンド マーボ丼 パスタ
http://www.family.co.jp/blog/topics/2006/11/_1128.html
TBS版中止についての報道
サイゾー 中濃用語辞典
http://www.ultracyzo.com/newssource/0511/01.html
1) TVドラマ『のだめ』をめぐる印象
マンガとドラマの落差と印象の違い →賛否両論
「マンガ的で面白い」と「わざとらしい学芸会で面白くない(ノレない)」
ブログ「夏目房之介の「で?」」での反応
2006年11月28日
『のだめカンタービレ』ブログ引用
午後?_
ブログ「夏目房之介の「で?」」 コメント[引用抄録]
問題点の整理
A)マンガ・リテラシーの成熟 70~80年代「読者作者共同体」の歴史
B)メディア横断的な共有感覚 「面白さ」の合意
「マンガ・アニメ的想像力」(大塚英志)?
→マンガのキャラが俳優やタレントのキャラクター・イメージと相互に参照され共有されるリテラシーの成立→ リテラシー共有関係
C)「テクストから遊離するキャラ」
映像と画像の相互参照と浸透?
D)「読み」のズレ 図1、2
図1『のだめ』2 7p 真澄が、わーって叫びながら去ってゆく部屋の左よりにある(居る?)もの
図2 同上 4巻<45p><1コマ目>にも同じ場所に出てくる。
何となく無視していいものと判断すべき周辺的な事象(文脈的判断
「中心的」と見なしている脈絡による情報の濾過 →逸脱=「気になる」
逸脱的な系列に別の「意味」を与える→「やおい」的想像力 『ぶっせん』
リテラシーの多層化、重層化
休憩
2) 原作とTVドラマの落差・検証
マンガでは再現できない「音」「音楽」をどう処理するか
〈■作品を読んでいると「絵から音楽が聞こえてくる」ような気になります。臨場感のある描写について、意識している点などあれば教えてください。
私の場合、その曲らしく、その曲を演奏しているように見えるように気を付けています。オケの編成や総譜をみてどこでなにが鳴っているのか調べたり、作曲家の先生にアナリーゼ(楽曲分析)をしてもらって曲の大事な部分(作曲家のこだわり)をなるべく入れて描けるように考えます。[略]柔らかい音なのか硬い音なのか・・・・コマ割や奏者の角度、集中線の太さや強さで違いを出したりするようにしています。〉
「原作者 二ノ宮知子インタビュー」1(Yahoo Japan 『のだめカンタービレ』特集)http://nodame.yahoo.co.jp/interview/index.html
音のマンガ的再現
『のだめ』9 16p~58p 講読 マラドーナ・ピアノ・コンクール本選場面
・ 事前に本選で演奏する曲目イメージを与える 図3 『のだめ』9 6p
・ 始まる寸前の緊張とのだめの集中場面 図4 同上 18~19p
集中線、効果背景のない「静謐」な瞬間の場面
「天才」のパターン スポコン→『ガラスの仮面』白目の舞台
必ず観客・解説者の反応が言葉となる 図5 同上 21p 効果背景
〈なんて音・・・・〉〈あいつ・・・・モーツァルトは苦手だったのに〉〈こいつの多彩な音が引き出されて・・・・まるで〉[めくり]〈オーケストラの音だーーー〉
〈彼らは見られる者としてのみ存在するから、視覚的な外面性が強調される。[略]「集中線」や「効果バック」が駆使され[略]大がかりな「擬音」までが配され[略]コマのサイズも大きく〉
〈見られるだけの存在は強者である。〉
笹本純「マンガの語りにおける視点とその決定因としての内語」(『マン美研』醍醐書房 02年所収 211p)
・ のだめの眼消える(『ガラスの仮面』の白目と同じ) 図6 同上 23p
入魂の(或いは魂の飛んだ巫女状態の)超越的な強者 曲目の挿入 集中線
24p〈渾身のシューマン〉25p〈すごい集中力〉〈執拗なまでのシンコペーション〉〈そのリズムの持つ切迫感に〉〈取り憑かれていくように・・・・〉おもに千秋(高度な実力をもつ者)による解説的な註釈→ 〈切れちゃダメだよ〉長老的審査員の註釈による緊迫感「だいじょうぶかな?」
シンコペーション 同じ高さの強拍音と弱拍音とが結ばれて、強弱が転換し、曲に変化を与えるようにする技巧。また、そのリズム。ジャズに多い。切分音。(新明解国語辞典)
・ 同上23~27p 図7 演奏中のコマ様式の変化 コマ枠線の角度深くなり、間白がツブれ、23~25pの横アングルから一転26p俯瞰→7p仰角、俯瞰肩越し、顔アップ、ロング(左向き) 読者視覚の急激な変化
・のだめの「向き」 図8(視線誘導と向きの矢印図)
18~23p 演奏開始当初は「内面に向かう」右向き
→24p 逆転して左向き2コマ(攻め、積極性→〈こんな演奏をするあいつを はじめて見た〉(千秋) →25p再び右向き〈取り憑かれていくように・・・・〉
→26p俯瞰左向き(客観視するナレーション)→27p右向き→最後のコマで左向き 自分に向き合った演奏から「観客」のいる場所への帰還
・ 観客の反応 図9 読者の緊張の解放→感動 「凄い音」のイメージ
休憩
3)『のだめ』TVドラマ 06年12月18日放映分(フジテレビ 午後9時~)
鑑賞
マンガとの落差
図10 同上 32~33p 「今日の料理」になる場面 図11 34p 〈止まった!?〉連載の「引き」 図12 38~39p 白目ののだめ 背景の人形イメージ(楽曲のイメージ) 図13 41p 楽曲イメージ=のだめの暗喩 図14 42~45p 観客の不思議な解放感・充実感とのだめ自身の挫折(楽曲イメージと一致) 絵・イメージと文字(セリフ・ナレーション)で「音」を再現
「内語」 図15 同上 53p 〈野放しにはしておけない〉
図16 同上 55p トラウマの再現場面がここにきている
図17 同上 58p 〈だめだったじゃないですか〉→落ちる人形 比喩の完成
内面表現の違い 音のない「内語」
12月26 日(火)
4) 実写ドラマとマンガの受容の違い
・マンガ
内面を文字で表す→読者個々の「好み」の「声」で受容→実写への違和感
「私の中ののだめちゃんは、ああいう喋り方じゃないのよ!」
・実写ドラマ(アニメ)
内面の言葉の音声化→音声キャラの固定・キャラとしての受容
別物~類似の間のどこかで着地できる世界を受け入れるかどうか
・ マンガ
楽曲をイメージと文字(セリフ、ナレーション、音喩、音符記号など)で再現
「音」の質、「凄さ」を文字表現による「意味」で描写、間接的に表現
・ ドラマ(アニメ)
直接「音」で表現 質や「凄さ」はセリフ、表情演出などで注釈的に補強
ドラマの「意味」による「音」の価値づけ(『アマデウス』とサウンドトラック) 物語・ドラマ・世界観←→楽曲自体の意味と価値
昔(50年代)米TVドラマの吹き替えは棒読み的で、演技というより話されている意味内容を伝えるのに精一杯な印象だった →よく考えれば外国人が日本語を話す違和感があった →音声とキャラクターの違和感
アニメは元マンガの絵・キャラなので、そこはない
→同じマンガ原作でアニメと実写が並立する現象(違うメディアとして受容?
『NANA』『DEATH NOTE』『のだめ』
ミルヒ=竹中直人(西洋人を無理やりやる日本人=学芸会)がミソ
ベタなガイジン演技 「・・・・ではあーりまセンッ!」(マンガとの比較
マンガのミルヒも「いねーよ、こんなガイジン」的存在
キャラの強さ
参考画像フジ『のだめ』サイト http://wwwz.fujitv.co.jp/nodame/index.html
図18 TV版キャラ配置 図19 マンガ版(コピー 対比
ドラマを見るときのメディアなりの「基準線」の設定→期待値の水準
5) 受容の共有
「演技」概念、許容範囲の変更 ギャグだから可能?
スマスマの学芸会 ジャニーズ ヒーローもの クドカン的演技
←→「渡る世間」的演技(日常リアリズム
「学芸会」的演技の浸透 演技身体のキャラ化?
マンガ・アニメ的想像力、リテラシーをスタッフ、俳優、視聴者も共有する時代 マンガとアニメもメディアが違うが画像・キャラで強く共通する
→スタッフ・俳優の共有→実写映像でのキャラ共有
メディアを横断する者としての「キャラ」
休憩