「お前が言うな」と言ってよい場合
ちょっと前の話ですが、「不都合な真実」でおなじみのアルゴア元副大統領に対して、映画でさんざん電気を節約しようと言っているわりには、自宅で電気を浪費しているとの批判がされたことがありました(ソース(英文))。ゴアは省エネのリフォームをして対応したかと思います。
このようなゴアに対する批判は、political-correctnessの観点を別にしても、正当であると考えます。(この文脈における)省エネは、みんなのそれぞれがちょっとずつ行なえば全体としてその合計分の効果が得られるからです。つまり、個人の最適化行動が全体の最適化につながります。したがって「囚人のジレンマ」の系ではありません。(もちろん、家庭でちょっと省エネしたくらいでは温室効果ガス削減の効果は疑問という点は別論です)
ところで、先日のエントリーのはてブで
囚人のジレンマは義務教育で教えるべき。
なんてコメントが付きましたが、より広く「ゲーム理論」は、義務教育とは言わなくても高校で教えるべきかと思います(ひょっとすると今は教えてるのかもしれませんが)。それほど難しい概念ではないですし、知ってると知ってないとでは大違いだからであります。どう見ても「囚人のジレンマ」の意味をわかってない人からのコメントもあるようですし。
さらに、ついでに以下のはてブのエントリーにも回答しておくと、
逆に70年に延長すべきと主張している三田誠広が、50年で切れた「星の王子さま」を翻訳してた。50年で切れるのは「野蛮」なことと言っていながら。
これも、political-correctnessの問題はあるでしょうが(特に、「70年にした方がクリエイターのインセンティブになる」という言い方ではなく「50年は野蛮」という言い方をしている以上)、しょうがないと考えます。三田雅弘は著作者の死語50年から70年の著作物は使用するなというのも無茶な話です。しかし、もし、三田氏が当該翻訳の印税の半分をサンテグジュペリの遺族や関連財団に寄付すると言うのならば、political-correctnessの問題も解消されたかもしれません(あ、だけど三田氏は著作権は金の問題ではないという立場でしたっけね)。