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マーケターとしてベンダーとして、一貫してデータの世界で生きてきた筆者による、思考と情報整理のためのメモ。

「テレワークの日」 を実施してみて思うこと

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3/19 月曜日、日本マイクロソフトでは 「テレワークの日」 と題してオフィスをクローズした。当日の模様は PC Watch の大河原さんの記事 に詳しいのでご覧いただきたい。当方もちょっとだけ取材を受けている。

当日は朝 9:00 に、樋口社長のあいさつを Lync のオンライン会議機能で放映した。もともと朝礼がある会社ではないので、まったくの日常通りにさらっとはじめるという選択肢もあったのだが、今回は社員が改めて BCP やワークスタイルを再考する機会にしたかったので、その意図を社長の口から語ってもらうことにしたのだ。それに、テレワークに慣れていない人も多少はいるはずなので、「ここからスタート」 という区切りがあったほうがいいだろうという思いもあった。休暇中や外出中の社員もいたため全員とまではいかなかったが、それでも 1,000 名を超える社員が一斉にその会議に参加したのはなかなか壮観だった。当方はといえば、今回の企画の言いだしっぺとしての責任を取り、そして Lync の製品担当でもあるので、当日朝出社してサポートにまわることになったのである。

この朝礼も含めて、当日は特に大きな問題は起きなかった。小さな問題は起きているかもしれないが、今それをサーベイで収集中である。この結果は、今後の BCP および同様の取り組みに対してそれを反映させるとともに、レポートにまとめて公開しようと思っている。きっと同様の取り組みを検討されている方には参考にしていただけるだろう。今後もまた定期的に行っていきたいと思っているので、賛同いただける企業や組織の方がいらっしゃれば、ぜひご一緒したいものである。

性悪説ではワークスタイルの柔軟性を担保できない

一般にテレワークというと、部下が目の前にいないことで労務管理が難しくなるという指摘をする人が一定数いる。さらに問題なのは、それにおびえて最初から手を付けようとしなくなることである。同様の背景から、人事をはじめとした制度設計は性悪説に基づきやすくなる。だからオフィスに出社するという行為を持って就業中であることの証明とする。一方労働基準法は悪しき企業から労働者を守るべく制定されているから、労働時間を明確にさせようとし、結果同じ結論に至る。この環境下で、ワークスタイルの柔軟性を担保するのは相当に難しい。

実は日本マイクロソフトとて、日本法人である以上例外ではなく、一部にある制度と現実の乖離を、運用でカバーしている側面がある。しかし米国本社ではそんなことはない。どちらがいいという話をする気はないが、労使の関係は契約に基づいて明確であり、やめる権利も、やめさせる権利も保障されている。性善説というわけではないのだが、Pay for Job、つまり成果に対して報酬が決められていくので、労使双方にとって重要なのは生産性であって、労働時間そのものに縛られる必要性はない。労働者はもっともパフォーマンスを発揮できる場所で働く権利を持っており、使用者は労働者がそのような場所を選べるような環境を提供する義務がある。優秀な従業員=ハイパフォーマンスな従業員は、自分のパフォーマンスを最大化する企業や組織を自由に選ぶのだから、企業や組織はそれに従うしかないのだ。ワークスタイルの柔軟性はその 1 つの要素なのである。

これからどうなっていくか?

法律が絡んでおり一筋縄ではいかない問題だが、しかし、既にホワイトカラーの仕事においても国境線があいまいになりつつある中で、時間ベースの労務管理がいつまでも続くと考えるのは現実的ではないだろう。「手を動かす」 作業の成果は比較的時間に依存しやすいのに対し、「考える」 作業は時間をかけたからといって成果を出せるとは限らないものである。より頭脳集約的な仕事には時間ベースの労務管理は合わない。組織内での効率的なリソース配分を突き詰めていけば、頭脳と手を分離して、それぞれに異なる管理体系のもとで投資をするのが理にかなっている。もしそうなったら、日本に残る仕事は果たしてどちらだろう?

選択の余地などないのである。いや日本のものづくりはそんなにドライに割り切れるものじゃない、という反論もあるだろう。しかし残念ながら既に日本は、第 3 次産業の労働人口が 2/3 以上を占める頭脳集約的な産業構造になっている。日本的ものづくりにかかわれる人はとても限られた、恵まれた存在なのだ。大多数のビジネスマンは、英語も日本語もしゃべれる新興国出身の優秀な頭脳と戦わざるを得ない。企業も同様だ。マーケットもサプライチェーンもグローバル化し、かつ国内市場が縮小していく中で、ワークスタイルの柔軟性を許容できない企業がより収益率の高い頭脳集約的ビジネスモデルを維持できるわけがない。生産性へのあくなきこだわりが、個人や組織が、今後の世の中を生き抜くうえでの必要条件なのである。

こんなことを考えた一日であった。

@hirokome on Twitter

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