性善説でプロジェクトは回せない。
どちらかというと、PMよりPMOの経験が多い。PM(プロジェクトマネジャー)は独りだがPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)は大抵複数だから。ポジションの数が多いのだ。
PMOは意思決定はしない(と私は考えている)。PMが(通常)意思決定者である。意思決定者でないPMはつらい(苦笑)。さらに上層へ上申しないと意思決定できないのだから。まあ、どちらにしても自分がPMOに入れば、PMが意思決定者かどうかに関わらず、彼/彼女がいろいろ物事を進めやすいように、配下へ指示・依頼がしやすいように、いろいろ評価ができるような情報を提供したり、効率的な段取りを提言したり、PMの不得意領域のマネジメント・コミュニケーションを代行したり、あるいは現場へPMの代わりに苦労している現場のマネジメント支援を行ったり、等々、いろいろな役割を提供していく。
そして、昨今の経験からして、PMだろうとPMOだろうと、
信用しない、信頼しないとまでは言ってない。自分が担当するプロジェクトの場合、それなりに難しい局面や条件下で仕事する環境なのだ。故意じゃなくても報告漏れ、遅延等、いろいろ問題が発生するのだ。そこを各人のセンスに任せていたら、みんな超忙しいので、忘れたり、不十分だったり、遅かったりするわけだ。
しかし、なぜ性善説が良くないと思っているかというと、
そういう状況にかこつけて、「ま、いっか」「今日のところは適当にごまかしておこう」「明日でもきっと間に合うさ」なんて考えちゃう人がそこそこ出てきてしまうのだ。そして、そのいくつかは、ゆくゆくクリティカルまっしぐらになることも多い。
多少嫌われてでも、「当たり前のこと、ちゃんとしましょうね」と警鐘を鳴らし続ける人が必要だ。それがPMO。PMがその役割を担うこともあるが、PMだって忙しい。だからPMOとしてそこをサポートするのだ。
そしてもうひとつ。PMOがサポートする理由が、「マナー」や「ルール」の品質維持だ。
「マナー」や「ルール」はこういう状況下にあっては、もっとスピーディに悪化する。自分が作った「マナー」や「ルール」じゃないもんね。他人の縛りに拘束されるのは嫌。ある一定の極限を超えた瞬間にぴゅーっと悪化するのだ。一度悪くなると、元に戻すのが難しい。本質的な作業品質の維持はもちろん大事だが、それを悪化させる「マナー」や「ルール」の悪化を防ぐのは、PMじゃなくてPMOの役割だと思っている。
実際、自分の使う3割の工数がそこに拠出される。3割が妥当とも思わないが、プロジェクトのために誰かがすべきと思えば、何割かは関係ない。頑張るのみ(笑)。本質的な管理工数がたくさん必要だったら、(本意ではないが)残業してても両立させる。繰り返すが、「マナー」や「ルール」が一度劣悪になると、もう収集がつかないのだ。
というわけで、性善説は序盤であってもほどほどに。後工程になればなるほど頑張ってそれを否定して、心を鬼にして管理していくのだ。例えヒールと言われようと・・・あ、そういう状況ではヒールとは呼ばれず、「鬼」か「悪魔」と呼ばれるに違いないが・・・(苦笑)