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エンタープライズ(企業)向けのオープンソースとか育児とかについて考えていきます。

たょぅせぃはだぃじだょ

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こんにちは。

Rubyのまつもとさんの講演の文字おこしを読んで感動したことをブログに書こう書こうと思って、もう1ヶ月以上たってしまいました。内容それ自体はそこでまつもとさんが述べている言葉がすべてで(まだ読んでない人はすぐに読むべきです)、今更ぼくが何を書いても蛇足になるような気もしなくはないですが、そのなかで述べられていることでぼくがいま特に関心があるのは多様性のことなので、そのことをちょっとだけ書いておきます。

多様性は大事であることは進化の過程を見てもはっきりわかりますよね。みんなが同じ方向を向いていたら、その環境がずっと続けばすごい力になりますが、環境の急激な変化があったときに全滅してしまう。いま種として生き延びているものたちはそうやって急激な環境変化に耐えてきた結果であるわけで、それはエンジニアでも同じなわけです。ぼくはいま会社でほとんど1人で.NETの技術を追っていますが、これはこれで意味があるのかな、と勝手に思うようにしてます(まあ、Javaとその周辺技術があまりすきじゃないってのもあって逃げてる面はありますが)エンジニアだからってみんなMacでいいのかよ、WebのひとたちPHPばっかりしてるのって大丈夫なのかな、とかいろいろ日々感じるところがあります(もちろんそうではない人がたくさん居て多様性が確保できている場もあれば、そうじゃないところもあるってことなんでしょうけれど。そもそも余計なお世話ですね)。それから、働き方にしても、みんながみんなスーツ着て通勤電車に押し込まれて会社について仕事をするってのもどうなのかな、と思っていて、それが必要な人が一定量居ることを前提としつつも、でもそうじゃない形の働き方も選択肢としてあるのがベストだよなあとも思うわけです。多様性を維持するためには、選択肢がないといけない。いくらそうであるべき像があってもそこに向かうための道がないと行けないので、自分のためにそういう道を作る毎日なのです。

さて、そんなふうに多様性を意識的に指向したほうがいいんじゃないかという面もあれば、趣味とか人間の好き嫌いなんてところでは、すでに多様性が十分にある面もある。こんどはそういう場に自分が入っているとき、つい多様性があることを忘れてしまうことがあり、それもまた気をつけないと行けないなと思うのです。自分たちのまわりにいる人間は類は友を呼ぶと言いますが、違いを含めてある程度予想の範囲に収まることもある。しかし、ときどき、自分たちのまわりではない人たちと触れると、その人の考え方ってのは、そうとう深いところまで行っても「自明」じゃなかったりする。それに気づけば良いのですが、つい気づかないで自明の前提を置いて話し始めてから、その前提が自明であるのは自分のまわりだけだったことに気づいたりするわけです。ここは相当意識していないといけないと最近思うことが多いのです。ネットをみているとまるでいろんな世界に触れたような錯覚になりますが、見ている者は既に自分が意識的無意識的に取捨選択したものですから、やっぱり自明だと思っていることはそんなに堅牢なものではないことにふと気づかされたりします。やっぱり自分の感覚を信じちゃダメですね。

みなさんはどうですか。多様性を意識してますか。選挙も近くて色々不安なことも多いこのごろですが、ねがわくばいろんな面で自分が多様であり続けられますように。

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