Cathedral Break in Action
エンタープライズ(企業)向けのオープンソースとか育児とかについて考えていきます。
こんにちは、きょうは寒いですね。雪が降ってますが、このあたりは積もっていないようで、子供たちが残念がっていました。
さて、今週、島根からお客様がいらっしゃいまして、いろいろ話を伺う機会がありました。その時に思ったことを書いておきたいと思います。
島根の県庁所在地は松江。松江と言えばもちろんRubyの総本山で、技術者にとってはおなじみの地名ですね。ただ、やはり技術者以外の方にはそうでもないようで、松江に実家のある同僚(弊社非技術系の女性社員)はそのことをまったく知らなかったようなのです。正月、帰省したときに駅前に「松江オープンソースラボ」という文字列を発見し、なんと、そこに突撃して、弊社の宣伝をしてきたと言うからすごい。しかも、その日、運転手としてかり出された同僚のお母様も同伴だったというのがまたすごい。冬休みの社会見学かよ!
その日は、正月明けでラボではふだんから集まっている人たちが新年会にでも流れようかという雰囲気だったそうで、妙齢の女性と、その母親というおよそラボとは無関係そうな二人組が突如現れたら何事かと思われても仕方ありません。ところがラボにいた方は心が広いかたばかりと推測されます。同僚たちは暖かく迎え入れられた上、押しつけがましくも提示された弊社の会社案内を受け取って頂き、さらに話まで聞いてくださったそうです。そういった半ば押し売りめいた訪問からしばらくして東京出張の折に弊社にまで来ていただいた、というのが経緯です。Rubyといえば松江で、松江や島根はオープンソースとかなり親和性がある、ということを知っている技術者であれば、恐れ多い感じがして逆に出来ない行動力ですね。
弊社はわりと大きめの企業向けのオープンソースパッケージを扱っている会社で、まあ業務システム的な部分を主にやっています。主戦場としてはRuby(というかRails)に触れることはあまりありません。弊社でもRubyを使ったプロジェクトはありますが、やはりRailsを使った顧客向けのWeb開発です。なので、同じオープンソースと行ってもRailsと弊社の扱っているようなJavaの大規模システムとは、業界自体が少し違う印象もあります。ただ、アプリケーションがサービスとして動くことが当たり前になってきている状態では、無関係ばかりとは言えない気がします。
業務システムがサービスとして提供するものを利用する側は結局Webになることはよくあります(ネイティブクライアントもまだたくさんありますが)。ある程度業務ごとに提供されるべきサービスが固定化してくると、カスタマイズというのはそれを以下に組み合わせてUIつまりWeb上で実現するかというところになってくるわけで、そんなときはやはりライトウェイトな言語で書かれたシステムのほうが向いているわけです。業務アプリケーションとWebアプリケーションのライフサイクルは異なっていて、APIによるインターフェース部分で切り離されていればそのスパンの違いも吸収できます。こんなことはたぶんすでにみなさんが語り尽くしたことだとは思いますが。
すでにJRubyとかIronPythonとか静的言語との相互運用性を考えても良いような仕組みもありますし、やはり我々のようなエンタープライズ向けのOSSを扱っている会社が積極的に手を出していくことにも意味がありそうです。とくに弊社の扱っているものは、業務システムの中でもミドルウェアに近いもので汎用的な機能が多いため、なおさら向いているんじゃないかとは感じました。
ラボでやっているサロンではセミナーをかなりの頻度で開催しているそうで、同じOSSをもとにしながら少し毛色の違うビジネスであるわれわれのやってきたことを話してみるというのはなかなか刺激的かもしれないな、などと思いました(もちろんそういうのはうちの副社長向けですな)
おそくなりましたが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。毎週社員のみんなでブログ書くというアクティビティを始めてからプレッシャーを掛け合ったりしてそれなりに記事も増えてきましたのでこの調子で一ヶ月最低3本くらいはエントリを上げられると良いなと思います。月3本て。なんて志の低い目標なんだ!
こういうところにブログを書いている方々は、普段からアンテナを張って積極的に自分へ投資! みたいなことをされることが多いような勝手なイメージを持っていますが、ぼくは怠惰な人間なので、そんなことはしません。目標を立ててそれに向かってタスクを詰んでいくという作業が成功した試しはほとんどありません。仕事も推して知るべし。なので、できないことは書きません。ただ降ってくるものについては頭を使って対処するくらいの知恵はかろうじてあります。そのときは後で使える何かを得ることもあるでしょう。なので、なるべく受け身であっても、少しは来年の糧になるようなところに「移動して待つ」。これくらいのことであればできそうです。いくつか未来の自分に向かって動く指令は出してあるので、あちこち移動して口を開けて待つ予定です。だれか食料を放り込んでください。
世の中には、そんなにお金にならないけどあったほうがいいものがたくさんあって、それに入れ込んでいる人がバイトをしながらやったり、あるいは普通の勤め人の方が空き時間にやったりしているわけです。ぼくにもそういうものにいろいろ足を突っ込んでいて、それは仕事で係わっているもろもろのこととまったくベクトルが違うので、そこでなにか将来の自分が助かるための準備に時間をかける気には到底なれません。IT業界だって他の業界だってただの仕事なので、業務外は違うことにリソースを集中する、なんていうスタンスはありえると思うのですが、どうもIT技術者に関しては、業務時間外にもアンテナを張っていないと資質として問題、みたいな言説を聞くこともよくあって、それって業界に余裕がないのかなあと思うこともあります。まあ思うだけで何もしませんけど……。
そんなわけで、ことしはもっと攻める、とか書いている弊社社長を尻目に、社員のぼくはネガティブな話を書き連ねていきますのでよろしくお願いします。
帰らなくて良いです。
先週、「スクエアfreeセミナー」の定例セミナーに行って来ました。「日本発OPENソースの若手リーダ達」ということで、OpenPNEの手嶋屋さんと、MoSPのマインドさんの講演がありました。手嶋屋の手嶋社長のお話しがけっこういまのぼくの状況にフィットしていてたいへん面白かったです(あ、マインドの屋代さんにはいつものことですが、MoSPに愛のだめ出しをしてたりしましたがそれは本エントリに関係ないので涙を呑んで省略します!)
手嶋社長の講演タイトルは「OpenPNEがあれば事務所は要らない」です。OpenPNEの機能紹介ではなく、OpenPNEを使った働き方そのものをテーマにしています。OpenPNEはご存じの通り手嶋屋さんが開発をしているオープンソースの社内SNSです。ぼくの会社でも社内SNSはOpenPNEですが、SNSの基本機能なんてものはたぶんあまり変わらないのだと思います。なので、SNSがどう仕事の仕方を変えるか、というところをテーマにしたのだと思います。すばらしい。さすがです。
手嶋屋さんではOpenPNEの開発を通じて、自社で出社しない働き方を試してみたそうです。チャットのプラグインを導入し、基本的にはそこで打ち合わせなどが行われるようにして、出社しないでも仕事を進める環境を作ったとのこと。そのときは、完全に出社しないというのはまだ難しいという結論になったようです。バーチャル手嶋屋とリアル手嶋屋の二つの手嶋屋が出来てしまって、その間に分断が出来たという話でした。自社プロダクトの開発はかなり、分散しての仕事に向いていると思うのですが、やはりそれでも、リアルで接することのメリットが大きい部分があると言うことでしょう。ただ、出社しないでも出来る感触はかなりつかめてきたとのことなので、いずれは手嶋屋さんでは完全に事務所をなくすことが出来るかもしれませんね。
前にノマドの記事を書きましたが、ぼくもかなり自由な場所で仕事をさせてもらっています。1人でやることが多いからできる綿もありますが、一時的に複数人で開発している期間もあり、そのときは打ち合わせはほとんどSkypeのチャットを使っています。お客さんとの簡単な打ち合わせもほとんどチャットで、たまに音声通話を行う程度で、打ち合わせはほとんどしていません。Skypeは音声通話が出来るのは良いのですが、チャットのログが複数端末に分離してしまうのはいまいちですね(自宅やスマートフォンで行う場合が稀にあって、そのときのログがPCに残ってくれません)本当はチケットシステムとチャットを連動させるのがベストかなと思っていますが、なかなか巧く環境を作れていません。
リモートで仕事をする、というのは地震の後見直され、プラットフォームも増えてきては居ると思うのですが、まだ完全に移行するには時間がかかりそう、というのはぼくも実感としてもってるので、手嶋屋さんの実験にたいへん共感を持って聞かせていただきました。ぼくはエンタープライズ向けの仕事をしている会社でありながらこういう働き方がさせてもらえているかなりレアケースなのですが、手嶋屋さんのような考え方を持つ経営者が増えて、ぼくのような社員がレアケースでならなくなる日が来ると嬉しいです。
ところで、今日はコワーキングオフィスの「タネマキ」というところに伺ってこのブログも書いています。実際はぼくは有休を使ってもう仕事を収めてしまったのですが、書き物作業とお客さんのその後の対応など少しだけしたいことがあったので出てきました。
コワーキング、というのは寄り合いのオフィスのようなもので、ノマドワーカーたちが集まってそれぞれ別の仕事をしている環境とでもいえばいいのかな。手嶋屋さんの講演でも触れられていましたが、まさに上に書いたようなリモートで仕事をする人たちのための空間なのですね。最近こういったコワーキングオフィスは増えているそうで、ぼくは初めて来てみましたが非常に快適です。前に書いた記事でも喫茶店などでの仕事には長時間居ることがしづらいので、こういった環境はとても助かります。また、利用者同士のコラボレーションみたいなものも期待しているところが、たんなる勉強室やPC環境が使える喫茶店とは違うところです。フリーランスの方とかが多いのかな。ぼくのような会社所属でありながら自由な場所で仕事が出来る人がもっと増えればますます需要は高まりそうです。こちらもこれからの未来に期待しています。
来年もしばらくはこの形態で働きたいと思います。ほかにも面白い場所がありましたらぜひ紹介してください。いろんなところに行って仕事をしてみたいです。
来年もよい年でありますように。
昨日はオフィスで、クリスマスパーティがありました。お越し頂いた方、ありがとうございました。去年まではもう少し遅い時期にEnd Year Partyと銘打って開催されていましたが、今年はクリスマス開催になり、パーティらしさが増していたのではないでしょうか。社員向けではなく、社員が自由に知人を連れてくる形式で、多くの人で賑わっていたようです。
ようです、と書きましたが、ぼくは参加していないのです。とくに用事があったわけではありませんが、そういう場が苦手なので、毎年参加していません。うちの会社はこういうことをしても「輪を乱すなんて」みたいなことをいわれることがないので、助かりますね。
そんなわけで、当日の様子をレポートすることは出来ませんので翌日の様子をお伝えします!斬新!
たいてい、パーティの翌日は部屋にアルコール飲料の臭いが充満しているんだよなあ、と思って出社して、ドアを開けたら甘い匂いがします。なんだろう、と思ったら、こんなのがありました。

チョコレートファウンテンですね。子供たちテンションあがるんだよなあ、これ。レンタルしてたみたいですね。返すときには全部品をバラして洗って返さなければならないらしく、片付けていた社員がえらい苦労していました。二度と借りません、とのことですから、今年来られた方はラッキーでしたね。
これにつかったマシュマロを一、オフィスには、食べきれなかったものがたくさん残っていました。お菓子も山積み。
そして、この下には無数のハッピーターンが……地下に眠るハッピー王国。
もちろんお酒もたくさん消費された模様。ビールケースが8ケースもあります。

これはみたところハートランドですかね。1ビール瓶が500mlで、1ケースが24本だから、12リットル。単純計算で96リットルですね。よくみると ケースに入りきらずに溢れているのでこれより多いと思われるので適当に100リットルにしてしまいましょう。さらに、どうでもいい計算ですが、アルコール 度数が5%で、これは「摂氏15度において、原容量を100としたとき、含有するエチルアルコールの容量濃度」のようなので、100リットルとすると5リットルのエチルアルコールが消費されました。だからなんだというのだ。
冷蔵庫も大概ヒドイ状態になっていました。揚げ物だらけ。この冷蔵庫だけで何トンカロリーあるか分かったものではありませんよ。

こっちはカロリーベースで計算してみようと思ったけど、さっき昼ご飯にいくつか食べてしまった現実と向かい合うことが出来ないため、やめておきます。
パーティといえばからあげ。業務用スーパーかよ。

これはワッフルかな。

弊社には生クリームを完全食だと行って憚らないトニーさん(仮名)という方がおられまして、彼が居ればこんなものひとのみにしてくれたものを、なぜかこんなときに限って彼が有給なんですよ。われわれはトニーさんなしでこの食材と対峙しなければならない。これはゆゆしき自体なわけです。ひとつ食べましたが、とても続けて食べられないです。
だいたいですね、あの揚げ物の山だってトニーさんさえいれば、なんということはないはずなのです。大量のポテトを食べるにはどうしたら良いかなんて、僕らに考えられるのはケチャップをつけるとかそんな程度ですが、トニーさんならばもっと画期的な(タルタルソースとか?)ことを思いつく筈なんですよ。
でもまあ、嘆いてもトニーの有給は覆りません。仕方ないので諦めました。適当にもらって家に持って帰ることにしました。
冷蔵庫下段を開けたらノンアルコールビールがたくさん余っていたので、

飲みながらブログを書いています。これ一瞬、普通にビールに見えるし、ぎょっとしますね。社長がびっくりしてました。ノンアルコールビール片手に仕事するのはなんか良いな。
で、最後はこれ。
パーティでは今年はお越し頂いたお客様1人1人にお菓子をあげていたようです(上の写真はプレゼント用に包み直したものじゃないけど)。あまっていたものを自分の子供たちのためにもらっていくことにしました。これ、なんかうれしいですね。End Year Partyではこうはいきませんからね。
以上、後の祭りレポートでした! なんだか写真並べたらGIGAZINEみたいな記事になったけど気にしないぞ!さよならメリークリスマス!
今日も文章が長い割には、たいしてたことは書いておりません。すみません。
今週もぼくがわりと気にしている分野でいろんなもめ事があって、考えることが多い一週間でした。そんなもの見なきゃ良いのに、とよくいわれます、もっともなのですが、他人事ではないと思ってしまいつい読んでしまいます。その上でいろいろ考えてはみるものの、どうもぼくのレベルではなかなか自分の中でこれならいいか、という結論を出せないまま、気づけばまた別の、少し違った問題が起き、そちらを考え、またまた別の問題が、などとおたおたしているうちにどんどん時間が過ぎていくのでした。どうも震災以後、こういった小さな問題意識みたいなものが、頭の中にたくさんばらまかれてしまったような気がしてなりません。
まあ、個々の問題をここに書いてもとっちらかってしまうばかりなので、それは止めておき、もっと抽象的なレベルの話を書きます。このところ、いろんな物事を判断する上で、物語のようなものに流れてしまうことをいかに冷静に見られるか、ってのがやっぱり大事なのかなあ、ということです。
昔からよく見るのは「天動説を批判したガリレオ」の物語です。既存の学説と相反する説を打ち立てたものの、本当に間違っていて消えていった無数の学者の墓標だって本来は物語の筈なのですが、それは見えておらず、ただ、ガリレオの物語の構成要素との一致を持って、自身の置かれた状況を肯定する構図です。カルト化した宗教など、社会問題になるケースも多いように感じます。
最近よく見るのはそのバリエーションとも言えるでしょう。「チャレンジャーを、既得権益層がつぶそうとしている」という物語です。なにか新しいことをやろうとする人が居て、ただ、その新しいことがモラル的に問題があった場合、それを批判されるのは当然なわけですが、これをさきのほどの物語にひきつけて見てしまうこともできてしまいます。やっかいなのは、要素だけ見れば確かに文字上はおかしくないところです。問題なのは「批判の内容が妥当か」なのだって、批判者の属性が既得権益を持っているかどうかではないのですが、往々にしてそうは判断されません。魅力的の物語がいくら援用できるからと言って、それは構造を肯定しないはずです。陰謀論の多くも同じかと思います。
震災以後で言うと、「どんな難しい概念だって、小学生に分かるようにやさしく説明できる」なんて物語もありました。何らかの専門家の発言を批判するときに使われたりしてる気がします。実際、あらゆるものがかみ砕けるのかどうかなんて確かめようがありません。実際に、わざと難しく言ってるのか、とという発言が別の専門家によって極めて平易に語られるというケースも確かにあるわけで、構造としては適用できてしまうわけですね。
こうした物語が怖いなあと思うのは自分もそういう誘惑に抗い切れてないんじゃないかと思うからです。
よく、マスコミが「発言を切り取った」といわれることがあります。文脈から切り離されて批判を浴びてしまい、切り離されたほうの文章の持つ物語性の存在感が強くなりすぎてしまうこともよくあります(最近だと「二番じゃダメなんですか」なんてのが典型的のように感じます)。よくあるからといってそれが良いとは思えないわけですが、ここにも物語としての誘惑があるわけですね。
もっとも、報道なんて大きな話をするつもりはありません。最初に書いたようなぼくがこのところ目にしているもめ事はほとんどがTwitter発のもので、そのことをなんとなく考えています。この「あらかじめ断片化されたメディア」というのはどうも物語を要求しやすいな、と思っています。そして、そのぶん「誰が言ったか」ということが重要な文脈にならざるを得なくなっているのではないかとも感じています。
さっき例に挙げた既得権益のケースで「批判者の属性」は、などと書きました。原理的にはそのはずだとは思うのです。ただ、Twitterのように短文になればなるほど「批判の内容」の記述を解釈する上でどうしてもその人の属性やこれまでの発言に頼らざるを得ないのではないかとも思っています。ある言葉を無造作に投げたとき、それをどういった意図で使っているかなど短文だけみても短すぎる故に過ぎてくみ取れず、無理にくみ取ろうとすると、別の物語が必要になる。こうやって比較的耳障りは良いものの、少しずれた物語が定着してしまうことがある。
これまた恐ろしいなあ、と思うわけです(これは発言する側としても怖いですし、受け取る側の誘惑としても怖いです)でどうすればいいのか、ってことになると「一切発言しない」とか、「ときどき恐ろしさを思い出しながらがんばる」とか、なんだかなあということしか思いつかず、まったくすっきりしないわけでした。昔からもちろんこんな話はよくあることだったとは思いますが、このところとくに強く感じていたので、気持ちのメモとして書き留めておきます(なんか当初書こうと思っていたことはぜんぜん書けてないのですが)
今週はあんまり書くネタが無いので、昔ちょっと書いたかと思うのですが、ノマドの話をまたします。
いま係わっているプロジェクトがほとんどぼく1人で完結することもあって、震災以降、在宅で仕事をすることが増えました(開発のプロジェクトなので、ノートPCひとつあれば仕事は出来ます)世間的にも震災時の帰宅難民の問題から、在宅勤務を認めるという話はたまに聞くようになりました。すべての仕事が在宅で出来るようになるにはまだインフラが追いついていないようですが、ぼくのようなタイプの仕事であればもっと在宅を認める企業が増えれば良いと思っていたので、この傾向自体は歓迎したいところです。ぼくにとって家で仕事をするメリットは
- 通勤時間を得られる(往復二時間半程度)
- 途中で買い物をしたり、外食をしないのでお金が節約できる
- 着替えなくていい
- 行き詰まってるときに、部屋の中をうろうろしても同僚に迷惑がかからない
- 独り言をつぶやいたりしても同僚に迷惑がかからない
- 冷蔵庫をあけるとなんか入ってる
などなど数えきれません(というか、どうみても社会不適合者です本当にありがとうございました)
と、家でやることにはメリットも多いのですが、デメリットもあります。そもそも、ぼくは在宅と言っても家でずっと仕事をしているわけではありません。子供がいるので、別室で仕事をするのですが、やはり子供たちが遊びたがってしまい、仕事が中断せざるをえないこともけっこうあります。効率という面ではやはりベストとは限りません(子供が幼稚園などに行っていて不在のときには意味がありますが)。あと、逆に仕事を終えるのが遅くなってしまうのもあります。会社に行っていれば早く帰りたいので、切りを無理矢理つけて帰ってしまっていただろうという場合でも家だとだらだらとやってしまうことがあります。
そんなわけで、子供が居ない間は家で、子供が帰ってくる時間になると家の近所で仕事をするというのをよくやります。メリットに上げたすべてを享受することは出来ませんが、会社に行くよりもずっとましです。最近では、フリーの技術者たちをメインターゲットにした、共同オフィスのようなところも増えてきましたので、そういうところが近くにあれば良いのですが、とりあえずはカフェや図書館をさまよって仕事をしています。
最近、チェーン系のカフェで電源を提供しているところが増えてきました。スターバックス、タリーズ、サンマルクカフェあたりは、新規店舗だとけっこうな確率で電源があるようです。ファーストフードだと、マクドナルドが有名ですが、ゲームで占領する人が多いのか、昔あったのにいまは取り外してしまっているところもあったりしますね。ロッテ系のロッテリア、バーガーキング、クリスピークリームドーナツなんかにも電源があるところが多いようで、電源を用意することが、ニーズの一つとしてある程度大きくなってきているのかなと感じます。
オープンな場でプレゼン資料のようなものは躊躇われますが、開発であればそれほど気にせずできます。長く集中するという仕事には向いていませんが(長居するときは、途中で追加注文するとか、場所を変えるとかをしています)。ぼくの家の近くにはチェーン系くらいしか電源を提供してくれるところがないのですが、場所によってはそういったカフェがたくさんあるところもありますし、気分を変えていろんなところで仕事をするのも面白いです。機会があればぜひやってみてください。
先日、OSSコンソーシアムの部会で (株)TIS さんから OSSのデジタルアーカイブシステム DSpace を紹介 していただきました。デジタルアーカイブというのは、いろんな文化資源をデジタル化して保存し、公開する仕組みで、国家プロジェクトとして多くの美術館や博物館、図書館などで取り組みがなされています。DSpaceはこの仕組みをOSSで実装したもので、すでにかなりの大学や博物館などで実績があるそうです。
もともと、ファイルの保管に関する仕組みと言うことで、弊社が扱っている文書管理システム Alfresco と似ている部分があるのでは、と思って参加したわけですが、システムにおいて重視している点がかなり違うことが分かりました。以下、セミナーを聞いて、ぼくの感じたDSpaceのイメージですので、実際のDSpaceの開発思想とは異なっているかもしれないことをご容赦ください。
DSpace 自体はデジタルデータを保存しておき、それを適切に取り出す仕組みを持っています(全文検索にLuceneを使うなど、バックボーンとなる技術もAlfrescoと似ています)が、ここは最低限の機能に限られている印象がありました。この保存の仕組みだけ見るとAlfrecoの方が高機能かもしれません。ポイントは、それを公開する部分です。これはDSpaceだけで完結しません。デジタルアーカイブシステムのネットワークでは、公開されたデータのうちメタデータをクロールしていくハーベスターと呼ばれる中央集権サーバが存在します。レジストリに登録することで、中央のサーバが各組織に置かれた配信サーバにメタデータを取得しにやってきます(これを刈り取り(ハーベスティング)呼ぶようです)ユーザはまず、中央にあるサーバからメタデータだけを検索し、そこから、各組織に実データを閲覧しに行く、という仕組みになっているようです。ここで、メタデータを配信する仕組み、メタデータのフォーマットおよびプロトコル(OAI-PMH)が標準規格になっており、DSpaceはこれを実装することで、デジタルアーカイブシステムとして機能する、というわけです。この部分はもちろんAlfrescoにはありません。Alfrescoというのは組織内で文書ライフサイクルを管理する仕組みはありますが、それらを組織外部に流通させる部分に関してはそれほど強くありません。
セミナーではAlfrescoとの違いについても検討したというお話しがありました。その結果、印刷業界で言うとAlfrescoがプリプレス、DSpaceがポストプレスにあたっており、目的が異なっているという結論を得たとのことでした。これは非常に納得できる切り分けです。AlfrescoのようなECMには組織内で変わっていく文書ライフサイクル全体を管理することに重点がありますが、DSpaceはすでに完成したデータをいかに長く保存するかに注力しています。採用されている規格もそういった長期保存を考えたモデルを採用しているとのことです。
メタデータを通信するOAI-PMHというプロトコルは公開されている標準規格ですし、メタデータそのものはDublinCoreでこれはAlfrescoもすでに対応できています。なので、AlfrescoがOAI-PMHによる通信を実装すれば、デジタルアーカイブシステムとしてデータを配信することは出来るようになるとは思います。が、両者の重視している点が違うことを考えると、もし、同じことをAlfrescoを使ってやる場合は、Alfrescoだけでやるよりも、DSpaceと連携を取るアーキテクチャの方が良いなと思いました。つまり作成段階で組織内でデータが作られている間は、Alfrescoで管理し、それをデジタルアーカイブとして公開する際に、Alfresco側からDSpaceに発行すれば良いわけです。これまでと同じように直接DSpaceに入れることもできますし、配信部分はDSpace側がシンプルな形でやったほうが良いのではないかと思いました。
簡単なイメージを作ってみました。
(右側はDSpaceの収集方法としてぼくの理解したそのままを書いてあります。間違っていたらご指摘ください)
OSSというのは学術機関をはじめとする公的機関の公開原則とも相性が良いですから、ぜひともこういう製品が導入されるところが増えて行ければ良いなと思いますね。今年は震災があったことで、デジタルアーカイブが改めて評価されているという話もありました。さいきん家庭にも3D映像が浸透し始めてきたこともあり、立体物のデジタルアーカイブ3D化されて、どんどん増えていくんじゃないかと思います。データの作成過程が複雑になれば文書管理システムにも出番はありそうですし、今後、このジャンルも眺めていきたいと思っています。
今日はとりとめのない、なんだかよく分からないことを書きます。
震災以来、どうもTwitterタイムラインで小競り合いが多くなりました。もちろんこれはぼくがそういう人を多くフォローしているというのが大きいでしょうけれど、いろんな価値観の違いが浮き彫りになってきたんだなと感じます。起きること自体はそれで仕方ないので、とくにコメントはないのですが、気になるのはそうやって起きたちいさな争いが、罵倒になってしまうこともあって、見ていて辛いなと思うことも良くあります。
で、そういうのを見ていて、相手のことひどく罵って「バカにバカと言って何が悪い」というコメントをつけるケースを何回か見ました。あ、先に書いておきますが、この記事では、その発言を見てSF的に想像を広げたことを書くつもりなので「そういうことを言って良いかどうか」については知りません(いや、ぼくは罵倒は良いと思ってませんが)
話を戻します。こういった罵倒発言を見ていて、想起するのは、じゃあ、太っている方にデブと言って良いのかということです。これはあまり公言する人を見たことはありません(ネットではそういう罵倒は確かに多く見ますが、わざわざ「言っても良いんだ」と行為自体の承認する発言はあまり見ません。問われたら言うのかもしれないけど)実際、バカにバカと言っている人の発言を追っていても、容姿や体型について相手を罵倒することはあまりないように感じます。
そこにハードルの違いが何かあるのかな、と思ってまず思いついたのは、ある人がバカであるという判断は議論や発言そのもののツールである「言葉」と関連が深いが、体型はそうではない。従って、太っている人の比喩とは相似形でないから、ということです。議論をするためのツール自体が壊れているので、議論自体が成立しないことを宣言するのにバカという発言をする、という解釈です。これが実際、正しいかは確かめようがないので、この前提で話を進めてみます。
同じ理論を太っている人に適用してみると、体型自体が議論のツールになっている状態であれば、太っている人に対してデブというハードルがもっと下がるのではないかということです。「体型自体が議論のツール」ってなんでしょうか。生き物の中には体色を変化させてメッセージを発するものがいますが、これをさらに高度に発達させた、体型で会話をする生物体を想定してみてはどうでしょうか。体型を変化させ、その組み合わせが言語になっていて、議論のときもそれを使います。
このとき、デブという罵倒へのハードルは下がるでしょうか。まだ足りない気がします。体型の視覚的状態が言語になっていて、それでデブと罵倒するハードルが下がるのだとして、それと相似形でいまの我々が実行可能な罵倒は「声が汚い」とか「文章が下手」とかそういうことになりそうです。「文章が下手」はだいぶ近づいてきている気がするのですが、そこから「バカ」というのにはまだ距離がある気がします。どうもコミュニケーションの形態を変更しても仕方ないようですね。体型そのものが脳のはたらきをするのはどうでしょう。体型そのものが脳のシナプスのような役割を果たすイメージです。……いや、しかし、こうなると、外形を表す「体型」というのと乖離してきます。無理矢理体型を脳シナプスにしてしまうと、個々の生物体というよりかはそれらの集合自体が生命のような様態を示すようなことまで想定しないといけません。こうなると、個々人の会話とかいうレベルではなくなってしまい、手に負えません。
うーん、うまくいきませんね。
やはり太っている人に対してデブという暴言を吐くハードルを下げるのは無理のようです。これはもう諦めるしかありません。もっとも、ハードルが下がったからと言ってそういう発言をして良いわけではないのですれけど。
すこし前になりますが、LCA日本フォーラムとCFP日本フォーラム共催セミナーが協賛する「LCA/CFPセミナー」 を聞いてきました。「CFP/CO2見える化」企業事例と報告として、企業の方々の取り組みの報告があり、次に工業会の方がLCAの事例を発表するような形でした。
事例についてはそれぞれに苦労があることが分かりなかなか面白かったのですが、LCAのソフトウェアを開発する側として興味があったのは、やはりフリーディスカッションとして、工学院大学稲葉教授が議題に挙げられた未来のLCAについてです。
ある製品があったとします。LCAというのはその製品のライフサイクル全体で、どれくらい環境に影響を与えるかを測る仕組みですが、その製品を構成するすべての要素(たとえば、製品に含まれる部品や塗装、あるいは輸送時の負荷などあらゆるものです)をひとつの企業が調べることはほとんど無理です。それぞれの部品については、それぞれの部品を作っているところが調査し、それを足し合わせていくことが必要になります。この個々の部品や、製品のLCA結果をどんどんデータベース化していき、別のひとが使えるようにしていこうということです。これまでは、それを取り纏める機関を通じて、地道にメンテナンスしてきました。
で、未来のLCAでは、ネットワークに繋がった大データベースにそれぞれメーカーが自分でLCA結果を放り込んでいく流れになるかどうか、というのが議題です。LCAのデータというのは微妙な問題を含んでいて、ある程度細かい情報まで出してしまうと企業秘密などに抵触する可能性が出てきたり、一部の数値の過多で判断される危険性もあります。あらゆる企業が素直にデータを出してくれることはないだろう、ということはこれまでも議論があり、この日も同様の懸念が出されました。
ただ、いっぽうでアメリカなどで小売・流通大手が、排出量の情報を付けないサプライヤーとは取引をしない、などという話もあり、いやおうなしにデータの流通が促されている事情もあるようです。
開発者からすると、ここで思い浮かぶのはやはりGoogleでしょう。GoogleというのはWebに公開されているあらゆる情報を検索できるようにする大データベースを作ったわけですが、いまやそれだけでは止まらず、地図や書籍など、それ以外のジャンルにも進出しているのはよく知られているとおりです。そのため、日本でのこれまでの常識と衝突するケースがいくつかありました(ストリートビューのプライバシーの件もそうでしょうし、Google Booksなんかもそうです)。ただ、やはり大きな力を持ったところが、一気に情報を半強制的に公開していくような流れ(Amazonにも近い印象がありますよね)に、ただ抵抗するのは難しいのではないかとも思えます。
出したくないと手をこまねいている間に大手に押しつぶされてしまっては意味がありません。ここはむしろ、日本ではこういうところが諸外国と違って企業文化の中で大切にされているのだ、ということをちゃんと明らかにし、その上で出来るところを公開していくような仕組みを先に作っていった方が良いのではないかという気もしています。いち開発者として今後の流れがどうなるかを注目していきたいと思います。
- オープンソース(11件)
- システムインテグレーション(1件)
- テクノロジー(2件)
- 社会(11件)
- 育児(3件)
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